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一瞬、空白が頭の中や心の中を満たした。
だけど、じきに飲み込めた。ああ、そうか。
「ひょっとして、小中高、それに大学と、ずっと一緒の学校になったのは、おまえの意思だったのか」
「そうだよ。もっと言えば、中学のときに痩せたのだって、君に言われたからだ」
「覚えてない……すまん」
「別にかまわない。僕は今の僕も気に入っている」
「じゃあ、小仲さんの義理の親父さんにとどめを刺したのも……?」
「君を守るため。まあ、友情と愛情半々ぐらいだったかな。あのときの気持ちは、もう忘れた」
「じゃ、じゃあ、今になって柏原さんにメッセージを送り付けたのは?」
これだけがまだ分からない。僕の真顔による質問がよほどおかしく見えたのか、出川は笑みを隠すようにして、左手の甲を口元に宛がった。
「そりゃあ、やばい!って感じたから。さっき、君が僕に言ったことをそっくりそのままお返ししたいね。大崎は柏原さんと仲がよかったから、じきに男女の仲になるに違いないと踏んだ。このまま手をこまねいていてはだめだ。大崎が義父を刺したことを彼女に教えればどうなるだろうって思い付いた。でも、普通に明かしたって、彼女は君に感謝して、ますます惹かれるかもしれない。僕にとって逆効果だ。だから、義父を殺してやったことを盾に、強要や脅迫を匂わせる文章にした。これなら柏原さんの気持ちは、君から離れるだろうって」
「……理解した」
そんな心の動きがあったなんて、全く想像の埒外だった。
「理解はしたけど、僕は出川の気持ちには応えられない」
「よく分かっている」
「友達付き合いならできると思う。それでかまわないのなら」
これまで通り、大学の中でも外でも変わりなく過ごせる。そう言おうとした僕を、出川は手の平を向けてきて制した。
「実は、事故の治療で、ついでに血液検査をしてもらったんだ。というか、何か気になる症状が出てたみたいで、勝手に調べられたんだけどさ。一週間後に結果を知らせると言われていたのが早まって、僕がまだ動く他の大変だったからわざわざ医者が説明に来た。何かあったんだと思って覚悟はしてたんだ。何でも、造血に関する病気で、かなり面倒くさいやつらしい。あ、安心してくれ。感染するような病気じゃないから」
「……」
何の冗談を言ってるんだ?と思った。しかし声にはならない。
「まあ、僕が我を失って暴走する前に、天の意志だか神様仏様だか知らないけど、止めてくれたんじゃないかな。ほんと、いいタイミングの事故だった」
「待て。一度に受け止めるには、情報量が多すぎだ。命に関わる病なのか」
「うーん、知らないまま放っておいて、無理をすれば死ぬって言われた。だから、今は大丈夫だよ、多分、うん。
子供のときに犯した殺人では死刑どころか、捕まることさえ免れたけれども、まさか病気が襲ってくるとはなあ。欧米の絞首刑は、十三階段を登るってよく言うけれども、僕の場合、一気に十二段目まで押し上げられた気がするよ。
白状すると、今日は休学届を出すつもりで来たんだ。長期の入院になるというから。あっ、帰りはいいよ。母が迎えに来てくれるから」
だったら、資料を一ページずつコピーしていたのは何なんだ。僕を心配させまいとしてのポーズ? だとしたら、最後までだまし通してほしかった。
「その、何か協力できることはある? 輸血や移植や……」
「分からない。詳しい説明は今日、家族と一緒に聞くことになってるんだよね。何か分かったら、大崎を頼るかもしれない。そんときは無理のない範囲でよろしく」
「あ、ああ」
まだ戸惑いの中うなずいた僕の前を、いつの間にか立ち上がった出川が横切り、ひょこっひょこっと去って行く。
「何だ? 迎えがもう来るのか?」
腰を浮かせて聞いた。返答を聞く前に追い掛けていた。
「いや、これから電話するんだ。公衆電話、ここからは学生棟にあるのが一番近いんだっけ」
「ばかやろ」
僕は携帯端末を取り出し、渡した。
~ ~ ~
~ ~ ~
そして今。
小学四年生のあの事件から数えると、約十二年が経った。
僕らは卒業を目前に控えていた。
出川の気持ちや病気を知ったからと言って、僕の考え方や生き方が劇的に変化するなんてことはなく、医学部に転科するなんてあり得ないし、介護士を目指そうとすら思わなかった。僕にできるのは営業だと思いそこを売り込んだ結果、いくつかの企業に引っ掛かった。殺虫剤メーカーの大手と、チョコレート専門の中堅企業とで迷ったが、彼女の希望で後者を選んだ。我ながらいい加減だ。
彼女――柏原富美とは大学二年生になる前辺りから付き合い始め、何度か離れそうになっても元の鞘に収まっている。僕が思い描いていた以上に、彼女はタフだ。時折、昔の事件のことを思い出しても、平気な顔をしている。
ついでに付け足すと、小学四年生の時分に起こした罪は、今も胸の内に仕舞ったままだ。
出川蒼馬は今のところ大丈夫だ。
大学にもまた通うようになって、一年半遅れぐらいで卒業できる目処も立ったという。それだけ真剣に勉強に取り組んだせいか、大学院に進むことも考え始めたとも聞いた。うちの学校は飛び級制度があるから、ひょっとしたら利用するかもしれない。
何せ出川は、階段の十三段目をスキップして、今は十四段目からの人生を歩んでいるのだから。
終わり
だけど、じきに飲み込めた。ああ、そうか。
「ひょっとして、小中高、それに大学と、ずっと一緒の学校になったのは、おまえの意思だったのか」
「そうだよ。もっと言えば、中学のときに痩せたのだって、君に言われたからだ」
「覚えてない……すまん」
「別にかまわない。僕は今の僕も気に入っている」
「じゃあ、小仲さんの義理の親父さんにとどめを刺したのも……?」
「君を守るため。まあ、友情と愛情半々ぐらいだったかな。あのときの気持ちは、もう忘れた」
「じゃ、じゃあ、今になって柏原さんにメッセージを送り付けたのは?」
これだけがまだ分からない。僕の真顔による質問がよほどおかしく見えたのか、出川は笑みを隠すようにして、左手の甲を口元に宛がった。
「そりゃあ、やばい!って感じたから。さっき、君が僕に言ったことをそっくりそのままお返ししたいね。大崎は柏原さんと仲がよかったから、じきに男女の仲になるに違いないと踏んだ。このまま手をこまねいていてはだめだ。大崎が義父を刺したことを彼女に教えればどうなるだろうって思い付いた。でも、普通に明かしたって、彼女は君に感謝して、ますます惹かれるかもしれない。僕にとって逆効果だ。だから、義父を殺してやったことを盾に、強要や脅迫を匂わせる文章にした。これなら柏原さんの気持ちは、君から離れるだろうって」
「……理解した」
そんな心の動きがあったなんて、全く想像の埒外だった。
「理解はしたけど、僕は出川の気持ちには応えられない」
「よく分かっている」
「友達付き合いならできると思う。それでかまわないのなら」
これまで通り、大学の中でも外でも変わりなく過ごせる。そう言おうとした僕を、出川は手の平を向けてきて制した。
「実は、事故の治療で、ついでに血液検査をしてもらったんだ。というか、何か気になる症状が出てたみたいで、勝手に調べられたんだけどさ。一週間後に結果を知らせると言われていたのが早まって、僕がまだ動く他の大変だったからわざわざ医者が説明に来た。何かあったんだと思って覚悟はしてたんだ。何でも、造血に関する病気で、かなり面倒くさいやつらしい。あ、安心してくれ。感染するような病気じゃないから」
「……」
何の冗談を言ってるんだ?と思った。しかし声にはならない。
「まあ、僕が我を失って暴走する前に、天の意志だか神様仏様だか知らないけど、止めてくれたんじゃないかな。ほんと、いいタイミングの事故だった」
「待て。一度に受け止めるには、情報量が多すぎだ。命に関わる病なのか」
「うーん、知らないまま放っておいて、無理をすれば死ぬって言われた。だから、今は大丈夫だよ、多分、うん。
子供のときに犯した殺人では死刑どころか、捕まることさえ免れたけれども、まさか病気が襲ってくるとはなあ。欧米の絞首刑は、十三階段を登るってよく言うけれども、僕の場合、一気に十二段目まで押し上げられた気がするよ。
白状すると、今日は休学届を出すつもりで来たんだ。長期の入院になるというから。あっ、帰りはいいよ。母が迎えに来てくれるから」
だったら、資料を一ページずつコピーしていたのは何なんだ。僕を心配させまいとしてのポーズ? だとしたら、最後までだまし通してほしかった。
「その、何か協力できることはある? 輸血や移植や……」
「分からない。詳しい説明は今日、家族と一緒に聞くことになってるんだよね。何か分かったら、大崎を頼るかもしれない。そんときは無理のない範囲でよろしく」
「あ、ああ」
まだ戸惑いの中うなずいた僕の前を、いつの間にか立ち上がった出川が横切り、ひょこっひょこっと去って行く。
「何だ? 迎えがもう来るのか?」
腰を浮かせて聞いた。返答を聞く前に追い掛けていた。
「いや、これから電話するんだ。公衆電話、ここからは学生棟にあるのが一番近いんだっけ」
「ばかやろ」
僕は携帯端末を取り出し、渡した。
~ ~ ~
~ ~ ~
そして今。
小学四年生のあの事件から数えると、約十二年が経った。
僕らは卒業を目前に控えていた。
出川の気持ちや病気を知ったからと言って、僕の考え方や生き方が劇的に変化するなんてことはなく、医学部に転科するなんてあり得ないし、介護士を目指そうとすら思わなかった。僕にできるのは営業だと思いそこを売り込んだ結果、いくつかの企業に引っ掛かった。殺虫剤メーカーの大手と、チョコレート専門の中堅企業とで迷ったが、彼女の希望で後者を選んだ。我ながらいい加減だ。
彼女――柏原富美とは大学二年生になる前辺りから付き合い始め、何度か離れそうになっても元の鞘に収まっている。僕が思い描いていた以上に、彼女はタフだ。時折、昔の事件のことを思い出しても、平気な顔をしている。
ついでに付け足すと、小学四年生の時分に起こした罪は、今も胸の内に仕舞ったままだ。
出川蒼馬は今のところ大丈夫だ。
大学にもまた通うようになって、一年半遅れぐらいで卒業できる目処も立ったという。それだけ真剣に勉強に取り組んだせいか、大学院に進むことも考え始めたとも聞いた。うちの学校は飛び級制度があるから、ひょっとしたら利用するかもしれない。
何せ出川は、階段の十三段目をスキップして、今は十四段目からの人生を歩んでいるのだから。
終わり
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