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14.心の声
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後日、私は北川君と駅で落ち合い、東京へと向かった。事件の顛末の報告を兼ねて、篠原涼美の見舞いに行くことにしたのだ。
顛末の報告は、協力してくれた北川君に対する礼儀程度の意味であり、さして詳しくは話さないまま、終えた。それでも、車中での時間は潰れた。
篠原涼美がいる施設は、東京にしては静かな場所にあると言えた。だが、外見の寒々しさは、数多くある他の病院と変わらない。白い壁は清潔感以上に、冷たさを映す。
北川君の背中について行くと、その部屋はあった。一階の一番奥にある個室、九号室。
「母はちょうど家に戻ったところらしいです。受け付けの人が言っていましたから」
気兼ねしなくていいですよ、というニュアンスで言ったのだろう。北川君はドアを開けた。
真昼だというのに、部屋の中は蛍光灯で照らされていた。ここにも冷たさが澱のように積もっている。
天井を見上げた私の気持ちを察したのか、北川君は、
「仕方がないんです」
と、説明を始めた。
「窓を開けると、施設の外から見えてしまう。涼の、涼美のこんな姿、誰にも見せたくないから」
「覗く奴がいるのか?」
「今はいないと思います。でも、事件が起こった当時はしばらくの間……」
語尾を濁す北川君。そうだったのか。
私は、部屋の中央からやや奥にあるベッドに目を向けた。少しだけ、勇気が必要だった。
そこに横たわっていたのは、確かに篠原涼美。面影という言葉を使ってもいいのなら、ポニーテールを揺らして私に挨拶した少女の面影がある。若干、小柄に見えるのは、薬害のせいなのか、それとも……。
口元に着けられた酸素吸入器を除けば、単に眠っているだけの姿に見える。事前に想像していたほどには、痛々しさを感じない。他人事だからか? いや、違うと信じたい。
「……本当に眠っているようだね」
「そうですね」
気のない返事をよこした北川君。見ると、お茶を入れようとしている。
「おいおい、そんなことはしなくていいよ。君もしばらくぶりなんだろう、彼女の顔を見るのは」
「ええ、まあ」
それでも作業をやめようとしない。
「私の心を読んでみなよ。お茶なんていらないって思ってることが分かるから」
笑いながらそう言ってやると、北川君はぴたりと動きを止めた。だが、それはお茶を入れるのをやめようとしたのではなく、身体が硬直したように見えた。
「……ここでは能力は使いません」
ぽつりと言った北川君。気のせいか、声に緊張感があった。
「ど、どういうことだい? そりゃ、君がプライバシーその他諸々のことを慮って、なるべく読心をしないように心がけているのは知っているが」
「使えるわけないじゃないですか」
彼の視線は、篠原涼美を見ていた。これ以上ないほど、真摯な眼差し。
「……君は、涼美ちゃんの気持ちを……」
言葉がうまくまとまらない。私は強く頭を振って、口調を改めた。
「あの事件以来、君は彼女の心に呼びかけていないのか?」
知らず、声が大きくなった。対照的に、北川君の口調は弱くなる。
「ええ……」
「どうしてだ? 折角、能力がありながら。意識のない者が相手でも、その気持ちに触れることができるんだろう? 何故、使わない?」
「……京極さんと同じ理由です」
意味が分からない。私はきっと、怪訝な表情をしたろう。
「十年前、自分の能力を涼ちゃんに使うことはやめると誓ったんです。京極さんが大学での研究をあきらめたように」
「……」
腹の底が、ぐんと冷たく、重たくなった。彼の言いたいことが分かったような気がした。
「考えてみてください、涼ちゃんが事件に巻き込まれるきっかけについて。その根本の原因を作ったのは、僕がこんな能力を持っていたからだ」
「何を」
「だってそうでしょう? 僕が普通の人間だったら、京極さんと知り合うはずないから、実験に参加することもなかった。涼ちゃんだって、実験に参加してくれるよう、あなたから頼まれることはなかったはずですよ。ねえ? そうなるとですよ、涼ちゃん達は旅行の日をずらしてまであなたの話を聞くこともなかった。予定通り、九月の十二日に出発して、無事に戻って来ていたはずなんです。でも、実際はそうじゃない。僕が能力を持っていたから」
「やめるんだ!」
憑かれたように話す北川君を、私は一喝した。彼の両肩を強く握り、そのまま真っ直ぐ見た。
「お願いだから、やめてくれ」
「……」
「そんな風に考えるのはよすんだ。あの憎むべき犯人達の他に責任を取らねばならぬ人物がいるとしたら、それは私一人だけだよ。自分の研究のことしか考えずに、身勝手なお願いをした私だけだ。君は関係ない。それよりも思い出してくれないか。君が涼美ちゃんと出会ったきっかけ、親しくなれたきっかけ。それはきっと、君の能力にあるんじゃないか?」
北川君は、固い動きでうなずいた。
「彼女と会えてよかっただろう? それとも、彼女が無事なら、会えないままの方がよかったか?」
「……違う……。会えてよかった。会えてなかったら、僕は……」
「だったら、その素晴らしい力に感謝しろ。自分の内に閉じ込めてしまおうなんて、思うな。涼美ちゃんと出会えた力を、涼美ちゃんに使わないなんて、おかしいんだよ。そう考えるんだ」
「……」
しゃくりあげるような音がした。
「さあ、聞けよ。彼女に聞いてみるんだ。何だっていい。自分のことが好きか、覚えてくれているか、ずっと眠ったままだけど元気か――何でもいいんだ。とにかく、涼美ちゃんに話しかけろ。眠ったままの彼女の意識、揺り起こせ!」
「やって、みる」
とぎれがちに言った北川君だったが、もうその目は濡れていなかった。彼はゆっくりと、しかししっかりと彼女の手を取る。
「涼……」
その名を口にしたきり、目を閉じる彼。
静かな時間が流れた。
彼の目が開かれた。その瞳が、希望の光に輝いている。私にはそう映った。
「ありがとう、京極さん」
北川君がゆっくりと口を動かす。
「涼が……応えた」
――終わり
顛末の報告は、協力してくれた北川君に対する礼儀程度の意味であり、さして詳しくは話さないまま、終えた。それでも、車中での時間は潰れた。
篠原涼美がいる施設は、東京にしては静かな場所にあると言えた。だが、外見の寒々しさは、数多くある他の病院と変わらない。白い壁は清潔感以上に、冷たさを映す。
北川君の背中について行くと、その部屋はあった。一階の一番奥にある個室、九号室。
「母はちょうど家に戻ったところらしいです。受け付けの人が言っていましたから」
気兼ねしなくていいですよ、というニュアンスで言ったのだろう。北川君はドアを開けた。
真昼だというのに、部屋の中は蛍光灯で照らされていた。ここにも冷たさが澱のように積もっている。
天井を見上げた私の気持ちを察したのか、北川君は、
「仕方がないんです」
と、説明を始めた。
「窓を開けると、施設の外から見えてしまう。涼の、涼美のこんな姿、誰にも見せたくないから」
「覗く奴がいるのか?」
「今はいないと思います。でも、事件が起こった当時はしばらくの間……」
語尾を濁す北川君。そうだったのか。
私は、部屋の中央からやや奥にあるベッドに目を向けた。少しだけ、勇気が必要だった。
そこに横たわっていたのは、確かに篠原涼美。面影という言葉を使ってもいいのなら、ポニーテールを揺らして私に挨拶した少女の面影がある。若干、小柄に見えるのは、薬害のせいなのか、それとも……。
口元に着けられた酸素吸入器を除けば、単に眠っているだけの姿に見える。事前に想像していたほどには、痛々しさを感じない。他人事だからか? いや、違うと信じたい。
「……本当に眠っているようだね」
「そうですね」
気のない返事をよこした北川君。見ると、お茶を入れようとしている。
「おいおい、そんなことはしなくていいよ。君もしばらくぶりなんだろう、彼女の顔を見るのは」
「ええ、まあ」
それでも作業をやめようとしない。
「私の心を読んでみなよ。お茶なんていらないって思ってることが分かるから」
笑いながらそう言ってやると、北川君はぴたりと動きを止めた。だが、それはお茶を入れるのをやめようとしたのではなく、身体が硬直したように見えた。
「……ここでは能力は使いません」
ぽつりと言った北川君。気のせいか、声に緊張感があった。
「ど、どういうことだい? そりゃ、君がプライバシーその他諸々のことを慮って、なるべく読心をしないように心がけているのは知っているが」
「使えるわけないじゃないですか」
彼の視線は、篠原涼美を見ていた。これ以上ないほど、真摯な眼差し。
「……君は、涼美ちゃんの気持ちを……」
言葉がうまくまとまらない。私は強く頭を振って、口調を改めた。
「あの事件以来、君は彼女の心に呼びかけていないのか?」
知らず、声が大きくなった。対照的に、北川君の口調は弱くなる。
「ええ……」
「どうしてだ? 折角、能力がありながら。意識のない者が相手でも、その気持ちに触れることができるんだろう? 何故、使わない?」
「……京極さんと同じ理由です」
意味が分からない。私はきっと、怪訝な表情をしたろう。
「十年前、自分の能力を涼ちゃんに使うことはやめると誓ったんです。京極さんが大学での研究をあきらめたように」
「……」
腹の底が、ぐんと冷たく、重たくなった。彼の言いたいことが分かったような気がした。
「考えてみてください、涼ちゃんが事件に巻き込まれるきっかけについて。その根本の原因を作ったのは、僕がこんな能力を持っていたからだ」
「何を」
「だってそうでしょう? 僕が普通の人間だったら、京極さんと知り合うはずないから、実験に参加することもなかった。涼ちゃんだって、実験に参加してくれるよう、あなたから頼まれることはなかったはずですよ。ねえ? そうなるとですよ、涼ちゃん達は旅行の日をずらしてまであなたの話を聞くこともなかった。予定通り、九月の十二日に出発して、無事に戻って来ていたはずなんです。でも、実際はそうじゃない。僕が能力を持っていたから」
「やめるんだ!」
憑かれたように話す北川君を、私は一喝した。彼の両肩を強く握り、そのまま真っ直ぐ見た。
「お願いだから、やめてくれ」
「……」
「そんな風に考えるのはよすんだ。あの憎むべき犯人達の他に責任を取らねばならぬ人物がいるとしたら、それは私一人だけだよ。自分の研究のことしか考えずに、身勝手なお願いをした私だけだ。君は関係ない。それよりも思い出してくれないか。君が涼美ちゃんと出会ったきっかけ、親しくなれたきっかけ。それはきっと、君の能力にあるんじゃないか?」
北川君は、固い動きでうなずいた。
「彼女と会えてよかっただろう? それとも、彼女が無事なら、会えないままの方がよかったか?」
「……違う……。会えてよかった。会えてなかったら、僕は……」
「だったら、その素晴らしい力に感謝しろ。自分の内に閉じ込めてしまおうなんて、思うな。涼美ちゃんと出会えた力を、涼美ちゃんに使わないなんて、おかしいんだよ。そう考えるんだ」
「……」
しゃくりあげるような音がした。
「さあ、聞けよ。彼女に聞いてみるんだ。何だっていい。自分のことが好きか、覚えてくれているか、ずっと眠ったままだけど元気か――何でもいいんだ。とにかく、涼美ちゃんに話しかけろ。眠ったままの彼女の意識、揺り起こせ!」
「やって、みる」
とぎれがちに言った北川君だったが、もうその目は濡れていなかった。彼はゆっくりと、しかししっかりと彼女の手を取る。
「涼……」
その名を口にしたきり、目を閉じる彼。
静かな時間が流れた。
彼の目が開かれた。その瞳が、希望の光に輝いている。私にはそう映った。
「ありがとう、京極さん」
北川君がゆっくりと口を動かす。
「涼が……応えた」
――終わり
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