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九.病の進行は信仰を呼ぶ
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志熊の話す声には、ひぃー、ひぃーと苦しげな呼吸音が時折混じる。
「だったら僕なんかに判断を求めてないで、早く病院に行きましょう」
「……だよな。覚悟を決めて行ってくるか」
急に素直になったかと思うと、むくりと上半身を起こした志熊。
「志熊先輩、タクシーを呼びますか。それとも送ってくれる知り合いに心当たりがあるんでしたら連絡を」
「いや、いい。バイク転がしていく」
「まじですか?」
びっくりして声が素っ頓狂になってしまった。
志熊の方はかすれ声で続けた。
「まじだ。こんなことで金を掛けたくない」
「でも……」
「大丈夫。俺、バイクに乗ってるときは慎重にやるからさ」
薄く笑うと志熊はがっしりした身体に似合わぬ、ゆらりとした動作で立ち上がった。最初に一度だけふらついて、あとは案外しっかりとした足取りで上着を羽織りにかかる。
止めようか否か、石上は迷ったが、結局そのまま送り出すことにした。タクシーを使用するにせよ知り合いに送ってもらうにせよ、志熊が他の人物と接触する機会が増えると、それだけこの実験に紛れが生じることになる。そう考えたからだった。
「保険証を忘れないでください」
声を掛けてから石上は退室した。
結果から言えば、石上の判断は間違っていた。
志熊は病院に向かう道すがら、交通事故を起こして死亡してしまった。しかもタンクローリー車を含む数台が絡む大きな事故で、火災が発生し、志熊の身体は大きく損傷した。そのため彼が本当に奇病Xに罹っていたのかどうかは考慮されることすらなく、火葬されるに至った。
石上は後悔を覚えたものの、仮説はやはり当たっているのではないかという思いを強くした。いや、以前よりもさらに非科学的な思い込みをするようにまでなっていた。
すなわち、「奇病Xは進行しなくても、罹患者を“悪”と判定したのなら早々に死をもたらすのではないか」という考え方に取り憑かれた。ある種の寄生虫がカタツムリなどに寄生し、神経を乗っ取ってカタツムリを操り、鳥に食べられやすいように動くという話を知り、そこから連想したものだった。石上からすれば志熊が死んだのは、奇病Xに身体を乗っ取られた志熊自身が交通事故のきっかけを作ったから、となる。
もちろん、医学的、生物学的には何の根拠もない。
石上に自信を与えたのは、これもまた科学ではなく信仰に近いものである。ある意味、石上の身体からの“お告げ”だった。
(病気の進行、聞かされていた話と違って遅いな。もしかして、停まっている?)
進行が止まっていることはさすがになかったのだが、確かに石上の病状は深刻にはなっていなかった。通院で診察に当たる医師も、これはもしかしたら何らかの特別な作用が働いて、奇病Xの進行を遅くしているんじゃないかと可能性を口にした。近い将来、精密な検査を受けてもらうことになるかもしれないとも言った。
医者の言葉に意を強くした石上は、独善的な考えにのめり込んでいく。
(自分は選ばれた人間なのだろうか。だから病気が悪化しない……いや、そうとは思えない。選ばれた人間であるならば、わざわざ奇病Xに罹らせなくたっていいじゃないか、神様。
病の進行を食い止めているのは、僕自身の力によるものなんだ。それは恐らく、真理にいち早く気が付いたからだろう。『奇病Xはある罹患者からみて、罹患者以上の悪人に感染する』という真理に)
以降、石上太陽は彼の信じた真理を元にして、行動に出る。
奇病Xの力で悪い奴らをできる限り葬ってやろう。
石上が最初のターゲットに選んだのは、かつて通った中学校の校長と理事長だった。
その学園は私立の有名進学校だったが、一族経営で理事長は世襲制にほぼ等しかった。世襲制が原因だと言い切るには証拠が足りないが、代が下るに従って経営は傾いていった。そして石上がその中学で二年生になった頃、とんでもない事実が発覚する。
学園の経営を支えるために、当時の理事長と校長が互いの了解の下、女子更衣室に特別な仕掛けをして女子生徒の着替える様を盗撮し、その映像を高値で密かに販売していたのだ。
前代未聞の不祥事に、学園の評判は地に落ち、スポンサーや進学先としての高校も離れ、瞬く間に立ち行かなくなった。並行して、生徒やその保護者からもこんな学校で学ぶ(学ばせる)なんてお断り!という空気ができあがり、その結果、在校生全員が他校への転入を余儀なくされるという事態になった。
石上らはいらぬ苦労をさせられた。転校先ではあの学園の生徒だったということがばれると色々噂されて、居心地が悪いことこの上なかった。自殺未遂を起こした女子生徒も何人かいたと聞く。
理事長や校長、その他盗撮を知っていた教職員数名が罪に問われ、刑に服したが、残念ながら死刑になるような犯罪ではない。生徒、特に被害に遭ってきた女子生徒からすればばか負けするくらいに軽い刑罰だった。中には執行猶予が付き、しばしの冷却期間を経て早々に教師としての職を得た者すらいた。
そんな連中に、見合った罰を下さねばならないと石上は考えたのだ。
「だったら僕なんかに判断を求めてないで、早く病院に行きましょう」
「……だよな。覚悟を決めて行ってくるか」
急に素直になったかと思うと、むくりと上半身を起こした志熊。
「志熊先輩、タクシーを呼びますか。それとも送ってくれる知り合いに心当たりがあるんでしたら連絡を」
「いや、いい。バイク転がしていく」
「まじですか?」
びっくりして声が素っ頓狂になってしまった。
志熊の方はかすれ声で続けた。
「まじだ。こんなことで金を掛けたくない」
「でも……」
「大丈夫。俺、バイクに乗ってるときは慎重にやるからさ」
薄く笑うと志熊はがっしりした身体に似合わぬ、ゆらりとした動作で立ち上がった。最初に一度だけふらついて、あとは案外しっかりとした足取りで上着を羽織りにかかる。
止めようか否か、石上は迷ったが、結局そのまま送り出すことにした。タクシーを使用するにせよ知り合いに送ってもらうにせよ、志熊が他の人物と接触する機会が増えると、それだけこの実験に紛れが生じることになる。そう考えたからだった。
「保険証を忘れないでください」
声を掛けてから石上は退室した。
結果から言えば、石上の判断は間違っていた。
志熊は病院に向かう道すがら、交通事故を起こして死亡してしまった。しかもタンクローリー車を含む数台が絡む大きな事故で、火災が発生し、志熊の身体は大きく損傷した。そのため彼が本当に奇病Xに罹っていたのかどうかは考慮されることすらなく、火葬されるに至った。
石上は後悔を覚えたものの、仮説はやはり当たっているのではないかという思いを強くした。いや、以前よりもさらに非科学的な思い込みをするようにまでなっていた。
すなわち、「奇病Xは進行しなくても、罹患者を“悪”と判定したのなら早々に死をもたらすのではないか」という考え方に取り憑かれた。ある種の寄生虫がカタツムリなどに寄生し、神経を乗っ取ってカタツムリを操り、鳥に食べられやすいように動くという話を知り、そこから連想したものだった。石上からすれば志熊が死んだのは、奇病Xに身体を乗っ取られた志熊自身が交通事故のきっかけを作ったから、となる。
もちろん、医学的、生物学的には何の根拠もない。
石上に自信を与えたのは、これもまた科学ではなく信仰に近いものである。ある意味、石上の身体からの“お告げ”だった。
(病気の進行、聞かされていた話と違って遅いな。もしかして、停まっている?)
進行が止まっていることはさすがになかったのだが、確かに石上の病状は深刻にはなっていなかった。通院で診察に当たる医師も、これはもしかしたら何らかの特別な作用が働いて、奇病Xの進行を遅くしているんじゃないかと可能性を口にした。近い将来、精密な検査を受けてもらうことになるかもしれないとも言った。
医者の言葉に意を強くした石上は、独善的な考えにのめり込んでいく。
(自分は選ばれた人間なのだろうか。だから病気が悪化しない……いや、そうとは思えない。選ばれた人間であるならば、わざわざ奇病Xに罹らせなくたっていいじゃないか、神様。
病の進行を食い止めているのは、僕自身の力によるものなんだ。それは恐らく、真理にいち早く気が付いたからだろう。『奇病Xはある罹患者からみて、罹患者以上の悪人に感染する』という真理に)
以降、石上太陽は彼の信じた真理を元にして、行動に出る。
奇病Xの力で悪い奴らをできる限り葬ってやろう。
石上が最初のターゲットに選んだのは、かつて通った中学校の校長と理事長だった。
その学園は私立の有名進学校だったが、一族経営で理事長は世襲制にほぼ等しかった。世襲制が原因だと言い切るには証拠が足りないが、代が下るに従って経営は傾いていった。そして石上がその中学で二年生になった頃、とんでもない事実が発覚する。
学園の経営を支えるために、当時の理事長と校長が互いの了解の下、女子更衣室に特別な仕掛けをして女子生徒の着替える様を盗撮し、その映像を高値で密かに販売していたのだ。
前代未聞の不祥事に、学園の評判は地に落ち、スポンサーや進学先としての高校も離れ、瞬く間に立ち行かなくなった。並行して、生徒やその保護者からもこんな学校で学ぶ(学ばせる)なんてお断り!という空気ができあがり、その結果、在校生全員が他校への転入を余儀なくされるという事態になった。
石上らはいらぬ苦労をさせられた。転校先ではあの学園の生徒だったということがばれると色々噂されて、居心地が悪いことこの上なかった。自殺未遂を起こした女子生徒も何人かいたと聞く。
理事長や校長、その他盗撮を知っていた教職員数名が罪に問われ、刑に服したが、残念ながら死刑になるような犯罪ではない。生徒、特に被害に遭ってきた女子生徒からすればばか負けするくらいに軽い刑罰だった。中には執行猶予が付き、しばしの冷却期間を経て早々に教師としての職を得た者すらいた。
そんな連中に、見合った罰を下さねばならないと石上は考えたのだ。
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