32 / 32
32.ある噂
しおりを挟む
「いや、そんなことはないですよ。多少はどきっとした。ただし、驚いたのよりも、嬉しさの方が勝ったことによる感情の動きだったと思う」
「そんなに嬉しいですか、私が採用されていて?」
「エンドールさんは優秀だと分かっていたから、そういう人と一緒に仕事ができるのは頼もしい」
「なーんだ、そういうニュアンスだったんですね」
もちろん彼女に本気でがっかりした様子はなく、さばさばとして言ってのけると、「今日の仕事が終わったら、飲みに行きませんか」と誘ってきた。
「歓迎会はないみたいですからね。少なくともここ当分の間は。現に依頼案件を抱えていらっしゃる諸先輩がおられるのに加え、カラバン探偵が完治していない現状では難しいでしょう」
「うーん、どうかな。前者の理由はともかく、後者の、カラバン探偵の体調は関係ないんじゃないだろうか。そういうことで回りに迷惑が及ぶのを嫌う人だと、噂に聞いたよ」
「分かります、いかにも名探偵タイタス・カラバンです。あぁ、早くお目に掛かって、意気込みを見てもらいたいな。そしていつの日か、ご指導を」
「そういえば、近い内に、カラバンさんへご挨拶をする場を用意してもらえるそうだよ。ほんの少し前に、ギップスさんがモガラさんと話していた」
「願ってもない機会です! と言いたいところですが、ひょっとしてそれはお見舞いということなんじゃあ……」
「僕がここに入る前に聞いた噂では、リハビリが非常に長く続いていると聞いたから、普通の病院ではないかもしれないなあ」
「普通の病院以外でリハビリ……療養施設的な?」
「まったくの想像だけどね。名探偵がいるとなったらカラバン氏のみならず、他の患者や病院関係者にまで害が及ぶ危険性があるから、当然、病院名や担当医師などの詳細は公にされて来なかったんだし」
「お詳しいんですね」
「いやいや、だから想像に過ぎないって」
苦笑を浮かべ、顔の前で手を振った。本当のところを言うと、ハンソンとして裁判を受けている期間に、カラバン探偵がどうされているかについては、事務所の同僚からいくらか聞かされていた。ただし、その大半がモガラを通じての情報だったのは注意を要する点かもしれない。尤も、モガラからすれば僕を陥れてどんなにましな刑でも一生牢獄に閉じ込めるつもりだったろうから、カラバン探偵の症状に関しては案外、正確なところを言っていたかもしれない。
まだ務め始めて初日だから様子見の段階だけれども、いずれ確認するつもりでいる。近い内に挨拶できるのなら、まさしく願ったり叶ったりだ。
「そういえば、私が聞いた噂には、別の話もありました」
「え? どんな話だろう、気になるな」
「知っていたら途中で遮ってくださいね。休憩時間も余り残っていませんし、なるべくかいつまんで言うと――」
エンドールが声を潜める。極端に小さなボリュームだから、僕は耳をそばだてることになった。
「カラバン探偵は実はすでに回復しているが、故あって世間的には伏せている。体調がよくないふりをして、悪党連中や犯罪組織を油断させ、一網打尽にする狙いがあるのだ。その証拠に、カラバン探偵が実務から外れて長くなるのに、カラバン探偵事務所の実績はほとんど落ちていない――ということなんですけど、どう思います?」
声量をいきなり戻すエンドール嬢。僕は思わず顔をしかめた。
「そうだね。興味深い仮説であることは認める。ただ、その根拠がこの事務所の上げる成果が、カラバン探偵がいるときとほぼ同じだからというのは、いささか弱いよ。諸先輩方に失礼な話だし」
「ですよね。なので私も小声で言ったんです。反面、皆さんに対して失礼だ!と言っちゃうと、カラバン探偵の能力を低く見積もることになるような気がして……二律背反です」
「ははは、大げさだねえ。さ、そろそろ戻らないといけない」
軽い調子で笑い声を立てて、とりあえずこの話題は切り上げる意思を示す。時間もないことだし、分かってくれるだろう。
「もう一つだけ、教えてくれませんか。フランゴさんはこの噂をちらっとでも前に聞いたことはなかったかどうか」
「なかったなあ。君はいつ、どこで、誰から聞いたの?」
この質問返しはあまりよくないなと思いつつも、つい聞いてしまった。
「カラバン探偵が負傷したと報じられてから……ひと月後ぐらいだったかな? 学生時代の友達が、わざわざ知らせてくれたんです。私の将来の希望の一つが探偵だって知っていたから。場所は喫茶店かどこかだったと思いますけど、はっきりとは」
「ふうん。ひと月後なら、まだカラバンさん抜きの探偵事務所の業績がどうこう言えるほどじゃないな。友達は何か他に根拠を持っていた?」
「……いいえ。業績の話は、最近になってからゴシップ誌に載っていたのを私が見ただけです」
「じゃあ、ひとまず忘れることだね」
僕は安堵し、そんな助言をした。
「君の言う噂が万が一、真実だったとしたら、噂をあおり立てることでカラバンさんの作戦に支障を来すかもしれない。かといって、あからさまに全面否定すると、萎縮していた犯罪者が再び活発に動き出す恐れがある。僕らは知らぬふりを決め込むのが最適だと思うよ」
「……ですね。ということは、先輩にも聞かない方がよさそうですね」
強くうなずくエンドール嬢だった。
「そんなに嬉しいですか、私が採用されていて?」
「エンドールさんは優秀だと分かっていたから、そういう人と一緒に仕事ができるのは頼もしい」
「なーんだ、そういうニュアンスだったんですね」
もちろん彼女に本気でがっかりした様子はなく、さばさばとして言ってのけると、「今日の仕事が終わったら、飲みに行きませんか」と誘ってきた。
「歓迎会はないみたいですからね。少なくともここ当分の間は。現に依頼案件を抱えていらっしゃる諸先輩がおられるのに加え、カラバン探偵が完治していない現状では難しいでしょう」
「うーん、どうかな。前者の理由はともかく、後者の、カラバン探偵の体調は関係ないんじゃないだろうか。そういうことで回りに迷惑が及ぶのを嫌う人だと、噂に聞いたよ」
「分かります、いかにも名探偵タイタス・カラバンです。あぁ、早くお目に掛かって、意気込みを見てもらいたいな。そしていつの日か、ご指導を」
「そういえば、近い内に、カラバンさんへご挨拶をする場を用意してもらえるそうだよ。ほんの少し前に、ギップスさんがモガラさんと話していた」
「願ってもない機会です! と言いたいところですが、ひょっとしてそれはお見舞いということなんじゃあ……」
「僕がここに入る前に聞いた噂では、リハビリが非常に長く続いていると聞いたから、普通の病院ではないかもしれないなあ」
「普通の病院以外でリハビリ……療養施設的な?」
「まったくの想像だけどね。名探偵がいるとなったらカラバン氏のみならず、他の患者や病院関係者にまで害が及ぶ危険性があるから、当然、病院名や担当医師などの詳細は公にされて来なかったんだし」
「お詳しいんですね」
「いやいや、だから想像に過ぎないって」
苦笑を浮かべ、顔の前で手を振った。本当のところを言うと、ハンソンとして裁判を受けている期間に、カラバン探偵がどうされているかについては、事務所の同僚からいくらか聞かされていた。ただし、その大半がモガラを通じての情報だったのは注意を要する点かもしれない。尤も、モガラからすれば僕を陥れてどんなにましな刑でも一生牢獄に閉じ込めるつもりだったろうから、カラバン探偵の症状に関しては案外、正確なところを言っていたかもしれない。
まだ務め始めて初日だから様子見の段階だけれども、いずれ確認するつもりでいる。近い内に挨拶できるのなら、まさしく願ったり叶ったりだ。
「そういえば、私が聞いた噂には、別の話もありました」
「え? どんな話だろう、気になるな」
「知っていたら途中で遮ってくださいね。休憩時間も余り残っていませんし、なるべくかいつまんで言うと――」
エンドールが声を潜める。極端に小さなボリュームだから、僕は耳をそばだてることになった。
「カラバン探偵は実はすでに回復しているが、故あって世間的には伏せている。体調がよくないふりをして、悪党連中や犯罪組織を油断させ、一網打尽にする狙いがあるのだ。その証拠に、カラバン探偵が実務から外れて長くなるのに、カラバン探偵事務所の実績はほとんど落ちていない――ということなんですけど、どう思います?」
声量をいきなり戻すエンドール嬢。僕は思わず顔をしかめた。
「そうだね。興味深い仮説であることは認める。ただ、その根拠がこの事務所の上げる成果が、カラバン探偵がいるときとほぼ同じだからというのは、いささか弱いよ。諸先輩方に失礼な話だし」
「ですよね。なので私も小声で言ったんです。反面、皆さんに対して失礼だ!と言っちゃうと、カラバン探偵の能力を低く見積もることになるような気がして……二律背反です」
「ははは、大げさだねえ。さ、そろそろ戻らないといけない」
軽い調子で笑い声を立てて、とりあえずこの話題は切り上げる意思を示す。時間もないことだし、分かってくれるだろう。
「もう一つだけ、教えてくれませんか。フランゴさんはこの噂をちらっとでも前に聞いたことはなかったかどうか」
「なかったなあ。君はいつ、どこで、誰から聞いたの?」
この質問返しはあまりよくないなと思いつつも、つい聞いてしまった。
「カラバン探偵が負傷したと報じられてから……ひと月後ぐらいだったかな? 学生時代の友達が、わざわざ知らせてくれたんです。私の将来の希望の一つが探偵だって知っていたから。場所は喫茶店かどこかだったと思いますけど、はっきりとは」
「ふうん。ひと月後なら、まだカラバンさん抜きの探偵事務所の業績がどうこう言えるほどじゃないな。友達は何か他に根拠を持っていた?」
「……いいえ。業績の話は、最近になってからゴシップ誌に載っていたのを私が見ただけです」
「じゃあ、ひとまず忘れることだね」
僕は安堵し、そんな助言をした。
「君の言う噂が万が一、真実だったとしたら、噂をあおり立てることでカラバンさんの作戦に支障を来すかもしれない。かといって、あからさまに全面否定すると、萎縮していた犯罪者が再び活発に動き出す恐れがある。僕らは知らぬふりを決め込むのが最適だと思うよ」
「……ですね。ということは、先輩にも聞かない方がよさそうですね」
強くうなずくエンドール嬢だった。
0
お気に入りに追加
2
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
S級騎士の俺が精鋭部隊の隊長に任命されたが、部下がみんな年上のS級女騎士だった
ミズノみすぎ
ファンタジー
「黒騎士ゼクード・フォルス。君を竜狩り精鋭部隊【ドラゴンキラー隊】の隊長に任命する」
15歳の春。
念願のS級騎士になった俺は、いきなり国王様からそんな命令を下された。
「隊長とか面倒くさいんですけど」
S級騎士はモテるって聞いたからなったけど、隊長とかそんな重いポジションは……
「部下は美女揃いだぞ?」
「やらせていただきます!」
こうして俺は仕方なく隊長となった。
渡された部隊名簿を見ると隊員は俺を含めた女騎士3人の計4人構成となっていた。
女騎士二人は17歳。
もう一人の女騎士は19歳(俺の担任の先生)。
「あの……みんな年上なんですが」
「だが美人揃いだぞ?」
「がんばります!」
とは言ったものの。
俺のような若輩者の部下にされて、彼女たちに文句はないのだろうか?
と思っていた翌日の朝。
実家の玄関を部下となる女騎士が叩いてきた!
★のマークがついた話数にはイラストや4コマなどが後書きに記載されています。
※2023年11月25日に書籍が発売!
イラストレーターはiltusa先生です!
※コミカライズも進行中!
無限の成長 ~虐げられし少年、貴族を蹴散らし頂点へ~
りおまる
ファンタジー
主人公アレクシスは、異世界の中でも最も冷酷な貴族社会で生まれた平民の少年。幼少の頃から、力なき者は搾取される世界で虐げられ、貴族たちにとっては単なる「道具」として扱われていた。ある日、彼は突如として『無限成長』という異世界最強のスキルに目覚める。このスキルは、どんなことにも限界なく成長できる能力であり、戦闘、魔法、知識、そして社会的な地位ですらも無限に高めることが可能だった。
貴族に抑圧され、常に見下されていたアレクシスは、この力を使って社会の底辺から抜け出し、支配層である貴族たちを打ち破ることを決意する。そして、無限の成長力で貴族たちを次々と出し抜き、復讐と成り上がりの道を歩む。やがて彼は、貴族社会の頂点に立つ。
俺だけ毎日チュートリアルで報酬無双だけどもしかしたら世界の敵になったかもしれない
亮亮
ファンタジー
朝起きたら『チュートリアル 起床』という謎の画面が出現。怪訝に思いながらもチュートリアルをクリアしていき、報酬を貰う。そして近い未来、世界が一新する出来事が起こり、主人公・花房 萌(はなぶさ はじめ)の人生の歯車が狂いだす。
不意に開かれるダンジョンへのゲート。その奥には常人では決して踏破できない存在が待ち受け、萌の体は凶刃によって裂かれた。
そしてチュートリアルが発動し、復活。殺される。復活。殺される。気が狂いそうになる輪廻の果て、萌は光明を見出し、存在を継承する事になった。
帰還した後、急速に馴染んでいく新世界。新しい学園への編入。試験。新たなダンジョン。
そして邂逅する謎の組織。
萌の物語が始まる。
武田義信に転生したので、父親の武田信玄に殺されないように、努力してみた。
克全
ファンタジー
第6回カクヨムWeb小説コンテスト中間選考通過作
アルファポリス第2回歴史時代小説大賞・読者賞受賞作
原因不明だが、武田義信に生まれ変わってしまった。血も涙もない父親、武田信玄に殺されるなんて真平御免、深く静かに天下統一を目指します。
闇と光と告白と
崎田毅駿
ファンタジー
大陸の統一を果たしたライ国の年若い――少女と呼んで差し支えのない――王女マリアスがある式典を前に高熱を出して倒れる。国の名医らが治療どころか原因も突き止められず、動揺が広がる中、呪術師と称する一行が城に国王を訪ねて現れる。ランペターと名乗った男は、王女が病に伏せる様が水晶球(すいしょうきゅう)に映し出されたのを見て参じたと言い、治療法も分かるかもしれないと申し出た。国王レオンティールが警戒しつつもランペター一行にやらせてみた結果、マリアスは回復。呪術師ランペターは信を得て、しばらく城に留まることになった。
ベッド×ベット
崎田毅駿
ファンタジー
何だか知らないけれども目が覚めたら、これまでと違う世界にいました。現地の方達に尋ねると、自分みたいな人は多くはないが珍しくもないそうで、元の世界に帰る方法はちゃんと分かっていると言います。ああ、よかったと安心したのはいいのですが、話によると、帰れる方法を知っているのは王様とその一族だけとかで、しかもその王様は大のギャンブル好き。帰る方法を教えてもらうには、王様にギャンブルで勝たなければならないみたいです。どうしよう。
神の威を借る狐
崎田毅駿
ライト文芸
大学一年の春、“僕”と桜は出逢った。少しずつステップを上がって、やがて結ばれる、それは運命だと思っていたが、親や親戚からは結婚を強く反対されてしまう。やむを得ず、駆け落ちのような形を取ったが、後悔はなかった。そうして暮らしが安定してきた頃、自分達の子供がほしいとの思いが高まり、僕らはお医者さんを訪ねた。そうする必要があった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる