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6.集う面々
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喫茶店のテーブルはほぼ埋まり、いずこも湯気が立ち昇っていた。朝の光を浴びて、白い煙のように見える。その向こう、高い位置にはビデオプロジェクターのスクリーンが設置してあり、テレビ番組が垂れ流しにされている。
「どう? 無事卒業できそうなの?」
正月明けの挨拶に来たはずの編集者は、堂園浩一の顔を見るなり言った。コートを脱ぎながら腰掛ける。
「明けましておめでとうございます、連木さん。年賀状に書いた通りで、状況は変わってませんよ。提出は済みましから、あとは今月下旬の面接発表をクリアして、審査待ちです」
「ああ、そう。結果が出るのは二月半ばだっけ? まあ、万一だめでも新作に取り掛かってもらうから、関係ないんだけどさ」
「縁起悪いこと言わないでください」
早く着いて注文を済ませていた堂園の前に、モーニングセットが置かれた。点と直線だけで描けそうな顔のウェイトレスは、ついでのようにお冷やを置いて、オーダーを待った。正月から働くのってだるい、そんな空気がにじみ出ている。
同じ物を頼んで、連木は両肘をついた。
「仕事始めはまだですよね、連木さん?」
「もち」
「つまり、今日のこれは仕事じゃないと」
「まあ、お里が近いから挨拶がてら会おうかって思ったのもあるんだけど、次の作品の相談をしたくなったのもあるんだよね」
「それこそ、仕事が始まってからでいいんじゃないですか」
「いやいや、ネタは新鮮な内に、さ。東京の方じゃ、元日から凄いことになってるじゃないの」
「はあ……そうですね」
ミレニアムキラー2000の事件を言っているのだと、察しが付いた。昨日一日でミレニアムキラー2000による事件の犠牲者は、四百六十六名に上ったという。重傷者も数多く、死者がさらに増える可能性は充分ある。
「今日はまだ何も起こってなくて、ちょっとほっとしましたね」
「安心できるもんかい。大変な実行力を持っているぜ、奴は。予告した四日まで大人しくしてるとは思えない。ああっと、いやいやいや、話が逸れそうになった。要はさ、スケールのでかい連続殺人鬼を主役に据えた話、できないかなと思って」
「……あの、連木さん。僕は基本的にファンタジーなんですが」
改めて忠告するまでもないことを、敢えて口にした堂園。案の定、連木は大きな身ぶりで首肯した。
「分かってるって。新境地開拓してくれるのも、そりゃもちろんいいんだが、ファンタジーで連続殺人、やっちゃおうよ」
ウェイトレスがモーニングセットを運んできた。連続殺人という単語にもさしたる反応を示さず、静かに皿やカップを並べていく。
「ファンタジーで、連続殺人ですか」
トーストを頬張る連木を見やった堂園。相手が食うに一生懸命で喋れそうにないので、言葉を重ねた。
「ファンタジーを基本とした推理小説というのは、色んな人達が試みていますけど、ミレニアムキラー2000みたいな連続殺人となると、どんなのになるか、想像できませんねえ」
連木はコーヒーを三口呷り、ようやく発声可能状態に復帰した。
「だからいいんじゃないの。人のやってないことをやる」
「いえ、そうではなくて、ファンタジーで無差別テロみたいなことさせても、面白い作品になるとは、とても……」
「それを面白くするのが、プロの腕の見せどころだよ、堂園君」
一般論として拝聴してもいい。けれど、物事には限度がある。
「社会派ファンタジー、なんてことになりますよ」
「社会派。は! 面白いじゃない」
「僕は、ファンタジーは無邪気なまでに楽しく読めることを目的にしたいです。テーマを重苦しくするのはかまいませんが、社会的な問題までは扱いかねます。そういうのは、他のジャンル、他の作家さんが書きますよ」
「固いこと言わずに、今度の事件を取り入れる方向で考えてよ」
話が微妙に噛み合わないようだ。編集者の頭には、先に結論ありき、らしい。
「そうしてみます」
堂園はひとまず折れた。目尻を下げた連木は、トーストとハムエッグを片付けにかかった。
「心配いらないよ。資料集めは言ってちょうだい。なに、詰まったときは例の彼女――ユキちゃんと一緒になって考えたら、いいネタが思い浮かぶって」
「……」
相手の思う壷にはまらないよう、堂園は黙ってコーヒーをすすった。
その静寂――実のところ、店内は騒がしかったが――を破るかのように、テレビが緊急ニュースを始めた。
「お。何かあったようで」
手の平をこすり合わせ、スクリーンを見上げる連木。興味津々が服を着たみたいだ。横目で見やりながら、堂園は密かに息をついた。
四角い顔をした馴染みのアナウンサーは、いつもより早口で始めた。
「どう? 無事卒業できそうなの?」
正月明けの挨拶に来たはずの編集者は、堂園浩一の顔を見るなり言った。コートを脱ぎながら腰掛ける。
「明けましておめでとうございます、連木さん。年賀状に書いた通りで、状況は変わってませんよ。提出は済みましから、あとは今月下旬の面接発表をクリアして、審査待ちです」
「ああ、そう。結果が出るのは二月半ばだっけ? まあ、万一だめでも新作に取り掛かってもらうから、関係ないんだけどさ」
「縁起悪いこと言わないでください」
早く着いて注文を済ませていた堂園の前に、モーニングセットが置かれた。点と直線だけで描けそうな顔のウェイトレスは、ついでのようにお冷やを置いて、オーダーを待った。正月から働くのってだるい、そんな空気がにじみ出ている。
同じ物を頼んで、連木は両肘をついた。
「仕事始めはまだですよね、連木さん?」
「もち」
「つまり、今日のこれは仕事じゃないと」
「まあ、お里が近いから挨拶がてら会おうかって思ったのもあるんだけど、次の作品の相談をしたくなったのもあるんだよね」
「それこそ、仕事が始まってからでいいんじゃないですか」
「いやいや、ネタは新鮮な内に、さ。東京の方じゃ、元日から凄いことになってるじゃないの」
「はあ……そうですね」
ミレニアムキラー2000の事件を言っているのだと、察しが付いた。昨日一日でミレニアムキラー2000による事件の犠牲者は、四百六十六名に上ったという。重傷者も数多く、死者がさらに増える可能性は充分ある。
「今日はまだ何も起こってなくて、ちょっとほっとしましたね」
「安心できるもんかい。大変な実行力を持っているぜ、奴は。予告した四日まで大人しくしてるとは思えない。ああっと、いやいやいや、話が逸れそうになった。要はさ、スケールのでかい連続殺人鬼を主役に据えた話、できないかなと思って」
「……あの、連木さん。僕は基本的にファンタジーなんですが」
改めて忠告するまでもないことを、敢えて口にした堂園。案の定、連木は大きな身ぶりで首肯した。
「分かってるって。新境地開拓してくれるのも、そりゃもちろんいいんだが、ファンタジーで連続殺人、やっちゃおうよ」
ウェイトレスがモーニングセットを運んできた。連続殺人という単語にもさしたる反応を示さず、静かに皿やカップを並べていく。
「ファンタジーで、連続殺人ですか」
トーストを頬張る連木を見やった堂園。相手が食うに一生懸命で喋れそうにないので、言葉を重ねた。
「ファンタジーを基本とした推理小説というのは、色んな人達が試みていますけど、ミレニアムキラー2000みたいな連続殺人となると、どんなのになるか、想像できませんねえ」
連木はコーヒーを三口呷り、ようやく発声可能状態に復帰した。
「だからいいんじゃないの。人のやってないことをやる」
「いえ、そうではなくて、ファンタジーで無差別テロみたいなことさせても、面白い作品になるとは、とても……」
「それを面白くするのが、プロの腕の見せどころだよ、堂園君」
一般論として拝聴してもいい。けれど、物事には限度がある。
「社会派ファンタジー、なんてことになりますよ」
「社会派。は! 面白いじゃない」
「僕は、ファンタジーは無邪気なまでに楽しく読めることを目的にしたいです。テーマを重苦しくするのはかまいませんが、社会的な問題までは扱いかねます。そういうのは、他のジャンル、他の作家さんが書きますよ」
「固いこと言わずに、今度の事件を取り入れる方向で考えてよ」
話が微妙に噛み合わないようだ。編集者の頭には、先に結論ありき、らしい。
「そうしてみます」
堂園はひとまず折れた。目尻を下げた連木は、トーストとハムエッグを片付けにかかった。
「心配いらないよ。資料集めは言ってちょうだい。なに、詰まったときは例の彼女――ユキちゃんと一緒になって考えたら、いいネタが思い浮かぶって」
「……」
相手の思う壷にはまらないよう、堂園は黙ってコーヒーをすすった。
その静寂――実のところ、店内は騒がしかったが――を破るかのように、テレビが緊急ニュースを始めた。
「お。何かあったようで」
手の平をこすり合わせ、スクリーンを見上げる連木。興味津々が服を着たみたいだ。横目で見やりながら、堂園は密かに息をついた。
四角い顔をした馴染みのアナウンサーは、いつもより早口で始めた。
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