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2.派手な幕開けその2
しおりを挟むA空手道場では、元旦からの練習初めが恒例となっている。
畳敷の道場に、暖房器具は一切ない。寒気の中、基礎体力作りに始まり、突きや蹴りの型稽古、軽めの乱取りが行われる。
A空手道場の方針では、稽古は人に見せるものにあらず。よって、稽古場は基本的に屋外ではなく屋内に限られる。また、空手家たる者、空手着を来てこその空手道。意味もなく上半身をはだけることはないし、ましてや水ごりなどもってのほか。特別なことをしなくても、精神の鍛錬は空手に打ち込めば自ずと成る、それが教えである。
さらに、A空手道場では、伝統やしきたりといったものを大事にする。その考え方は、日本古来の風習にも及んでいるが、この辺りは空手道を離れて、むしろ創始者の趣味や好みの領域だ。
それでも、正月練習あとの餅つきは好評である。特に小さな子供達にとっては、面白い体験ができる上に、うまい餅が食えるとあって、大喜びの行事だ。
「がっついて、喉に餅をつまらせるなよっ」
いつもは恐い先生も、このときばかりは柔和な顔付きになって、小皿に分けた餅を配る。あんこ餅ときなこ餅が一つずつ載っている。あずきもだいずも無農薬栽培を売りとする農家から買い入れた物で、門下生の親にも評判がよい。
絶対に無害であるはずの餅だった。
「おい、どうした?」
異変に気付いたのは、弟とともに道場に通う中学生が最初だった。ついさっきまでほっぺたを落とさんばかりに餅を頬張っていた弟が、急に静かになったのを訝しく感じたのだ。
「つまらせたか? おっちょこちょいめ」
兄の問い掛けには、まだ笑みが残っていた。しかし、弟はゆるゆると首を横に振ると、動きを止めた。
兄は弟が格好悪いのを隠そうとやせ我慢をしているのではないかと思い、口を開けさせ、喉を覗き込んだ。餅をつめた気配は全くない。呼吸もちゃんとしている。
なのに、顔色が悪いのは何故だ? 兄は首を巡らせ、大人を呼ぼうとした。そのとき、他の道場生も四割方が消沈していると分かった。小さな子供だけでなく、年輩者も含まれている。男女の別もない。その内、口を押さえて流しやトイレに駆け込む者まで現れた。
「先生! みんなが変だよ!」
唖然とした兄だったが気を取り直し、先生に異常を訴えた。当の先生もいつの間にか板の上にへたり込み、大きな深呼吸を繰り返している。
兄自身も、叫んだ直後に気分が悪くなっていた。
誰が呼んだのか、救急車の音が聞こえてきた。
何者かが毒を投じたらしいと分かるのは、半日以上経過してからだった。あんやきなこの味付けに用いた砂糖に混入されていたのだ。最終的に、A空手道場では二十三名が死亡した。
毒による大量殺人は、全国各地の多くのマンションでも発生していた。
屋上に高架水槽が設置されているところばかりが狙われた。タンクから各戸に供給される水に毒が混入されていたのである。これも後日の調査の結果、合計百棟のタンクに毒が入れられ、七十名が犠牲となった。亡くなったのは、主婦や小さな子供が多かった。
一棟につき一人か二人が被害に遭えば、その後は水の使用の禁止処置が執られたので、死者はこれでも少ない方だったのかもしれない。
午前十時過ぎには、D川の長く幅のある河原に、四人の絞殺体が並べて横たえてあるのが発見された。男三人、女一人。いずれもジャージの上下に手袋や帽子といった軽装で、朝の散歩やジョギング、あるいはペットを散歩させに来た近所の人と思われ、身元確認が急がれている。正月でなければ、もっと早くに発見されていただろう。
正午前には、鉄道跡地のイベント広場で惨事が発生した。
大晦日と正月、二日間に跨る二十八時間ぶっ通しのテレビ番組の、フィナーレでの出来事。ステージ上のタレント達や会場につめかけた熱心な視聴者――約半数はテレビ局が動員したアルバイトだが――らの頭上に、化学的に合成した暖かい雪が舞い落ち、最後にそこへ大小さまざま、色とりどりの風船が上下左右から加わるとの趣向だったのが、手違いが起こったのか、降り始めた作り物の雪に何かの火が引火、一瞬にして炎の雨が人間に降り注ぐという地獄絵になってしまった。可燃性の高い衣服を身に着けていた者を中心に、二百名前後が大火傷を負い、通報から三十分の内に二名の死亡が確認された。まだ危ない状態の者が多く、死者数増は間違いない。続いて起こったパニックによるセットの倒壊並びに将棋倒しによっても、二人が死んでいる。軽度の火傷や怪我人となると、把握できていない。
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