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1.派手な幕開け

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 一九九九年十二月三十一日二十三時五十九分。見るともなしに見ていたテレビ番組で、カウントダウンがにぎにぎしく始まった。いっぱいに映された電光掲示の数字が、一秒ごとに減っていく。生放送である絶対的な確証はないが、恐らく生放送なのだろう。
 斉藤洋一さいとうよういちは、電気ごたつに突っ込んでいた両手を出し、大きく伸びをした。
「あーあ。何やってんだろ、俺」
 画面から目を逸らし、こたつの卓に頭を横たえた。傾いて片膝をついていたインスタントそばのカップが、震動で転がった。拾う気も起きない。
 ため息が勝手に出る。
 本当なら彼女と二人きりで過ごすはずだった年の瀬を、現在、一人わびしく味わっている。年が明けると、なおのこと身に染みるに違いない。
「つまんねーことで喧嘩したよな」
 独り言がカウントダウンに混じって、消される。
 予定では今頃、彼女が作ってくれた年越しそばをすすっていた。いや、ひょっとしたら、二人で布団の中だったかもしれない……。いやいや、そうじゃない。何をやっていたかの問題ではなく、下宿のせせこましい部屋も彼女がいれば潤う。これが肝心なのだ。
 カウントダウンはいよいよ十に差し掛かった。
 大したことではないと分かっているのに、目が再び画面に吸い寄せられる。
 9、8、7と変わっていく数字に合わせ、斉藤は呟いていた。
「6。5。4。3。2。1。0」
 その刹那。
 斉藤は全てが真っ暗になるのを感じた。2000年問題とやらで停電が起きたのかという発想は、しかし、ついぞ浮かばなかった。
 何故なら彼は頭を吹き飛ばされ、一瞬の内に絶命したのだから。
 彼の死は、西暦二〇〇〇年代最初の殺人事件だったかもしれない。

 M神社は深夜にも関わらず、初詣客でごった返しており、各自の吐く息や湯気となった汗が、霧のように立ちこめていた。
「やっと着いた」
 すぐそこに賽銭箱が見えて、大田健助《おおたけんすけ》は笑顔になった。その表情は感情の発露と言うよりも、むしろ隣を危なっかしく歩く彼女――大杉仁美おおすぎひとみに見てもらうための意味合いが強い。
 三年前――いや、年が明けたから四年前と言える。二人が高校二年にして親しく話すようになったきっかけも、大田の笑顔だった。元々、出席番号が近く、クラスで列ぶ際にはしばしば隣同士になった。そんなある日、大杉の方から声を掛けてきた。「演劇やってるんだけど、出たくない?」と。
「何で俺なんかに。劇なんか経験ないぞ」
 大杉をそれとなくいいなと思っていた大田は、敬遠する素振りを見せつつ、反応を窺った。
「いやー、理由を問われると私も困るんだが。いい笑い方してるから」
「笑い方がいい? って何だよ、それ」
「今度さ、『笑い男』っつー劇をやろうかなと思ってるんだけど、それに大田君がぴったりだと」
「『笑い男』ってそのままじゃん」
 大田は、気が付いたときには演劇にのめり込んでいた。そしてそれ以上に、大杉仁美に。大田の方から告白してOKもらって、以来、個人的な付き合いが続いている。
「大田君は、何をお願いするつもりかな?」
 いつもの調子で仁美が聞いてきた。
「さあて。色々あるからなあ」
 夜空を見上げ、首を捻った。それからジーパンの尻ポケットの財布に手を伸ばす。賽銭の準備だ。
 すると、仁美もハンドバッグを胸の前に持って来て、中から財布を取り出す素振りを見せた。
「あ、いいよ。これくらい、俺、出す」
「馬鹿ねえ。お賽銭は自分で出さなきゃ、意味なし」
 真顔なのに声は笑っている。仁美はハンドバッグの口金を開けた。
 コンマゼロ何秒か後に、白っぽい光がハンドバッグの中から外を突き刺した。
 正月の寒空の下、爆風が吹きすさび、大音響が轟いた。

 その国内線大型旅客機内は、新年を迎えたばかりだと言うのに、そこそこ席が埋まっていた。百五十名以上いる。
「正月早々、爆弾騒ぎだってよ」
「テロなのかねえ?」
 機内のプロジェクタースクリーンに映る臨時のニュース番組を見ながら、二人は感嘆の声を漏らした。決して恐がる訳ではなく、気の毒がるでもない。ただただ興味が湧いただけという風情だ。言い換えるなら、「正月早々、大事件が起きたな。しばらく退屈はしないでいられそうだ」といったところか。よその国の軍事クーデターに物見高い興味しかいだけないのと同様、所詮は対岸の火事、画面を隔てた向こうの世界での出来事。
 しかし、この二人――吉本敬義よしもとたかよし砂川明夫すながわあきおが特別に冷徹なのかというと、そうでもなさそうだ。他の乗客達も、連れがいる者は口々に似たような会話を交わしている。独り旅の者にしたって、その多くは内心ではやはり似たような感想を持っているかもしれない。
「不幸中の幸い、M神社で爆破させた割に、死人は少ないようだな。七人か」
「爆弾が原因の死者だけを見れば、そうだろうけど。ほら」
 吉本の言に、砂川が異を唱え、画面を大きな動作で指差す。生中継の映像に切り替わり、救出作業の模様が報じられる。人間ドミノ倒しでもやったみたいに、延々と人が横たわり、折り重なっていた。
「爆発音で一気にパニックになって、将棋倒しが起きたんだとさ。安否の確認できない者多数。えっと、最終的に死者五十名ほどに達する見通し、か」
 テロップを読む砂川。吉本は額に手の平を当て、肘をついた。
「こりゃあ、死ぬわ。五十で利かんかもな」
「日本も危なくなったもんだ。爆弾とは、何十年も昔にタイムスリップした気分だよ。思わないか?」
「いたねえ、過激派に爆弾魔。だが、日本で起きる爆弾使った犯罪って、昔も今も案外ちゃちなのが多いよな」
「どこが“過激”派なんだ?ってね。それにしても、俺、旅行を選んで正解だったわ。家にいたら、かなりの確率でM神社に出かけていた」
「言ってみれば、巻き込まれずに済んだのは、俺が誘ったおかげだぜ。ほんと、2000年問題があるから午前〇時を跨ぐ飛行機に乗るのは嫌だ、なんてごねやがって。しょうがないから、ずらして、これにしたんだ」
「いやあ、すまんすまん。今となっては、笑い話」
 吉本と砂川、その他乗客乗員全員の顔面が蒼白になるのは、この時点からちょうど三分後だった。
 付け加えておくと、それからさらに約十分後、彼らを乗せた旅客機は海岸に墜落した。
 原因は、彼らが話題にしたばかりの爆弾。後に、発見回収できた数多の遺留品の分析により、爆発の威力は神社でのそれよりも遥かに上と算出された。
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