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3惑甘ネジ
長い夜①
しおりを挟む隣人と顔合わせる時間は短いながらに濃い日々が過ぎ、会社の送別会と小野寺の約束の日の月末の金曜の夜。
店の二階にある座敷を貸し切って送別会が開かれていた。参加人数は二十名ほど。
商品の取り扱いだけでなくインテリアのコーディネートに関わることを目指す千幸が所属している部署は大きく分けると企画部で、ペーペーの千幸は雑務的な仕事が多い。
先輩、上司の指示を受けながら仕事をこなし覚えていく。そして、入社した一年目によく面倒を見てくれたのが遊川だった。
そのため千幸が遊川の送別会に参加するのを周囲は当たり前だと思っているし、お酌するのも下っ端なので当たり前。
ペーペー女子は周囲の先輩や上司に気を遣ってなんぼであり、出しゃばりすぎないことも大事。
「藤宮さん、こっちのお酒も」
「はい。わかりました」
「こっち生一つと瓶二つ」
「了解です」
言われるままに足りないものを注文する。幹事は別にいるのだが、なんとなく千幸がテーブル上の具合を見る役割になっていた。
こういった役回りは嫌ではない。むしろ、ずっと席に座っていたら気遣われ飲む量が増えてしまう。それは避けたかった。
この後に小野寺と会うことを考えると、あまりお酒を飲むことは避けたい。ぼやけた思考で小野寺と対峙という惨事は避けたかった。
そういったことを考慮しながら程よく飲み話を聞いたりしていたのだが、お酒が進むにつれて軽く無礼講になり、あっちこっちに人が移動しだした。
なかでも、主役の遊川の周囲は人が絶えずいる。
このまま深く話す機会もなく終わることになるかもと、それでいいのかという気持ちもあるけれど安堵のほうが勝ってほっと息をつく。
義理も果たせていい感じで終われるのではと、可愛げのないことを考え一人頷いていると先輩の桂木に声をかけられた。
「藤宮さん、なに一人頷き人形みたいなことしているの?」
彼女はさばさばしていて話しやすく、たまにランチを一緒にする仲だ。
「頷き人形?」
首を捻って先輩を見ると、ほろ酔いなのか目元がほんのり赤い。桂木は千幸の真似をするように首を縦に振った。
「そう、あの太陽の光で揺れるおもちゃみたいなやつ。あんな動きしてたよ」
「本当ですか?」
千幸はごまかすように苦笑した。
心の中で頷いていたつもりが、思いの外、体で表現していたようだ。
自分で思った以上に、遊川を意識して気を張っていたからこその思わぬ反応なのかもしれない。
気を引き締め直していると、桂木が言葉を重ねる。
「自覚なかった? なんか藤宮さんって真面目なのにたまに抜けてて面白いんだよね」
「それ褒め言葉として受け取っても? 先輩に言われると嬉しいです」
「ほら、そういうのも可愛い後輩だなって思うんだよね」
「桂木さん、酔ってますね?」
「なら、頷き人形していた藤宮さんも? というか、もう千幸ちゃんでいいよね。前からもうちょっと仲良くなりたいなって思ってたんだ」
酔った勢いで言われ、ぱちっと目を見開く。
桂木からは職場の先輩後輩という程よい距離を感じ取っていて、千幸もそれに合わせていたが歩み寄ろうとしてくれていたようだ。
職場の先輩にそう言われ嬉しくないわけはなく、素直に頷く。
「もちろんです」
「うん。可愛い後輩。遊川くんの気持ちがわかる」
「なんでそこで遊川さん?」
「丁寧に優しく指導してたってことは、気に入ってたってことでしょ?」
「どうですかね。指導は適切で優しかったですが……」
当たり障りなく答えながら、がっくりと内心でうなだれる。
やはり、今日は遊川の話は避けられないようだ。
「でしょ? あ、遊川くんこっち見てるよ。会社だと忙しそうだし話してきたら?」
視線で促され仕方なく千幸も同じように視線を動かすと、遊川とがっつりと視線が合った。視線と視線が絡む。
決して押し付けがましいものではないが、まっすぐに向けられる視線は千幸と話がしたいと告げていた。
――やっぱり、このまま逃げ続けるのはよくないかのかな。正直、めんどうなのだけど……
感情を出さないように気をつけながら息を吐き出し、桂木に向き直るため視線を外す。
「……そうですね。タイミング見て行ってみます」
そう答えてみたが、自らはやはり歩み寄る気になれなかった。
心臓に悪いなと、氷で薄くなった酎ハイを飲み干す。
やはり、面と向かって話すのは気構えがいる。
この機を逃したらそういう会話をする機会もないだろうし、相手がその話題に触れてこないとは限らない。
言い訳さえさせなかった。聞きたくなかった。
遊川にだって言い分あったはずだ。耳を傾けるべきなのかもしれないとは思う。だけど、自分がそこまで話したいと思えないのだ。
浮気した男とされた女。
気持ちは冷めたとしても、付き合った日々と最後のことを考えると、された側の千幸はほかの女性を裏切る形で選んだという惨めな気持ちは残っている。
別れてあまり日は経っていない。顔を見るとそこを刺激されないわけはない。
浮気理由を改めて説明されて、果たしてスッキリするものか。
それに対面して話す雰囲気が出来上がった時に、話題にも出なかったら出なかったでやっぱりスッキリしないと思う。
だから、距離があるにこしたことはないと千幸は考えていた。
だが、世の中なかなか自分の思惑通りにはいかないものだ。
形として見送ったという事実があれば千幸的にはもういい、そう思っていたのに気づけば二人で横に並んでいた。
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