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1ネジ
謎の男①
しおりを挟む夜気の冷たさが頬をなで、少しばかり酔いも覚めた気もするが現状は全くもって何も変わらず、目の前では長い足が前を行く。
奢ってもらった形になったので、このままさようならというわけにもいかない。食い逃げ女子と思われるのも嫌だ。
そのため彼の後を追いかけたのだが、大通りに出てすぐのところに停められていた黒塗りの高級車の前に立った小野寺は、後部座席のドアを開けながら会話を続ける。
「さっき一緒に行こうと言った時、何も言わなかったし。あと、翔でいいから」
確かにそれっぽいフレーズは出てきていたが、ほかの問題が先だと思っていたから言わなかっただけで、まさか本気で言ってるとは思いもしなかった。
そして、フレンドリーに名前呼びしてねと言われても反応しようがない。
固まる千幸に小野寺は手招きする。
「早く乗って」
「いえ。遠慮します」
ここは死守すべきだとはっきりと断ると、困ったというように眉尻を下げる姿を見せられ千幸のほうが困ってしまう。
イケメンが困る姿はなんて無駄に説得力があるのだろうか。言葉を撤回したくなる効力が漂っている。
「そう? でも、もう車回してもらったから乗って」
軽く首を傾げ、決して押し付けがましいわけではない紳士な対応に、本気でどう対処したらいいのかわからない。
強引なのか、紳士なのか、今まで関わったことのない人種の扱い方がわからない。
────それに、なんかこう……。
お酒も回ってその時に何を思ったのか自分でもわからないが、何かむずむずする感覚が芽生えたのは覚えている。
だけど、すぐに我に返った。
目の前にいる男性は、愚痴を聞いてもらった人であるが名前と顔しか知らない。
そんな相手にほいほい付いていくのはやっぱり怖かったし、別れ話に付き添われるのはどう考えてもおかしい。
ここは愚痴を聞いてもらったことに対してしっかりと礼を告げ、飲食代を支払い、さよならするのがいいだろう。
自分が取るべき行動を再確認した千幸が意思を告げようと顔を上げたその時、車の運転席に乗っていた人が出てきた。
「すみません。長い間ここに路駐するわけにもいかないので、一度乗ってもらってもいいですか。あと、こういう者です」
最後に名刺を渡され、そこに書かれた肩書きに相手の男をまじまじと見る。
「何も偽装していませんし、肩書も本物です。今ここで調べていただいても結構ですよ」
そこまで言われてしまうと、逆に疑いにくい。
名刺によると轟という名の男を見て、小野寺をちらりと見ると、そうしろとばかりに頷かれた。
その間に何台もの車が通り過ぎ、じろじろと通行人が興味深く自分たちを見ていく。
彼らが目立つ上に、黒塗りの高級車の前で揉めている? となると、その相手は誰だとおのずと千幸にも視線が突き刺さる。
さすがに千幸もこのまま立ち往生というわけにもいかず、お気に入りの店付近というのも気がとがめる。
とりあえず、彼らは行動をともにする以外の選択肢を見せてくれないので、COO(最高執行責任者)という肩書きの人が出てきたのもあって、調べろというならネットで検索して会社が本物なら乗るしかないだろうと腹を括る。
ちょっとやけになってきた。
「わかりました。検索させていただきます」
「小野寺が説明不足であったのは否めないので、是非そうしてください」
黒縁メガネの奥の瞳はまっすぐに千幸を捉えわずかに安心させるように細められたが、最後に小野寺へと視線をやるとぶっきらぼうに苦言を呈する。
「もっと、うまく説明できないのか?」
「必要なことは話した。足りないというのなら、短時間ではさすがに一から百までは無理だし、今は荷物を取りにいくことが優先だと判断したまでだ」
「わかった。その辺は後でだ」
二人の会話を聞きながら、千幸は鞄からスマホを取り出し絶句した。
案の定な状態に、現実に引き戻される。
現状の原因ともなった男の名前の着信履歴がものすごいことになっているのにうんざりしつつ、またかかってくる前に急いで検索をかけた。
会社名を調べるとわりと有名なところであるようで、すぐにヒットした。
轟はIT関連会社の副社長という立場の人のようだ。
会社の代表としてか、彼の写真とインタビュー方式で会社を紹介している記事もあった。
そんな相手を顎で使う小野寺は、それ以上の地位の人物ということになるのだろうか。
それにしては互いの口調は慣れ親しんだものがあり、上司と部下には見えない。
ますますバーで隣に座っただけのはずの男が謎になる。
確固とした人が現れたことには安堵したが疑問が増えた千幸を尻目に、小野寺は満足げに微笑んだ。
千幸が確認したのを見届け解決だと思ったのか、状況をややこしくしている本人は、全く気にした様子もなくどうぞと優雅に車のほうへと千幸を促す。
「ほら。安心していいよ。とりあえず乗ったら?」
────安心してと言われても、抵抗はありますよ?
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