無気力ヒーラーは逃れたい

Ayari(橋本彩里)

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1巻

1-3

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 習慣的な咄嗟とっさの行動であったが、その行動こそが相手の不興を買ったようで、慌ててもごもごと言い訳をする。

「目を合わすだけで?」
「……はい。瞳の色、間近で見ると少し変わっているようで」

 気持ち悪いと言われていたと、続く言葉は言えなかった。
 ぼそぼそと告げると、抱かれている腕に力が込められる。
 言葉にするのはまだしんどい。
 ここ数年はできるだけ相手と視線を合わせなくてもいいように立ち回っていたので、瞳に関して言及する人はいなかったが、長く言われてきた言葉の刃は抜けきれないままだ。
 勇者たちには最後だったからどう思われてもという気持ちもあって勇気を出せたし、自分より大柄な人もさほど怖くなくなったと、自分の身体の反応にさっき自信を持てた。
 そのためこれからは、自分より大きな相手と目を見て話すたびに身体が余計な反応をすることも減るはずだと踏んでいる。
 あくまで希望だが、そうありたい。
 今後は今までと違った意味で人の目を気にせずに生きていこうと決意しているし、冒険者となり様々な経験をしたことで、前ほど瞳の色にこだわる必要はないと頭ではわかっている。
 わかってはいるが、すぐさま意識を変えて行動できるかと言われると別だ。

「見せて」
「でも……」
「大丈夫だから」
「……はい」

 請われては、逸らすことが逆に不敬になる。
 俺はおずおずと視線を合わせた。
 カシュエル殿下の水晶のように神秘的な紫の瞳は、聡明さとともに独特の色香を放つ。
 王子のひたと据えて揺るぎない視線は、俺の中に広がるすべての不安さえも見透かして奥底までさらうようだった。
 互いに互いの眼を見ることで、色が曖昧になっていく。
 たった数秒がとてつもなく長く感じ、これ以上はもう限界だと感じる前に王子がふっと微笑し、わずかに視点が逸れる。
 それにほっとした俺は、気づかれないように視線を下げた。

「誰がなんと言おうと、レオラムの瞳はとても美しいよ」
「…………」

 どう答えていいのかわからず曖昧に苦笑を漏らすと、王子は露骨に眉をひそめ苦々しく声を落とす。

「レオラム。どこの誰が君をさげすんだのかは知らないが、そんな者の言うことを真に受けてはいけない。私は君の瞳が綺麗だと思う」
「ほんとう、ですか?」
「ああ。だから、逸らさないで。むしろ逸らされるほうが私は嫌だ」
「うっ、……はい」

 あまりにも真摯しんしな色を滲ませた低音ではっきり告げられ反射的に視線を上げると、まだ見ていたらしいカシュエル殿下と再度ばっちりと目が合う。
 そわそわと視線を彷徨さまよわせたが、じっと見つめてくる王子の視線は外れない。
 観念して俺は見つめ返した。

「焦点を合わそうとすると色が濃くなるみたいだな。どちらの色も変わらず綺麗だ」
「…………」

 綺麗とは言いすぎだが、王子のその言葉も双眸そうぼうも真剣そのもので俺は反応に困った。
 むずむずしながら自嘲の笑みを浮かべる俺に対して、王子はどこまでも穏やかな声だった。
 ふっ、と優雅な微笑とともにこつんと額を押し付け瞳を覗いてくる。

「恐れるな。誰かが酷い言葉を発したのならば、その者はレオラムのその綺麗な瞳を直視できないやましいことがあったからだ」

 俺の自信のなさを見透かし、真っ向から真摯しんしな声とともに見据えられ、さすがにかたくななままではいられなかった。
 目の前の綺麗な人に褒められるのはくすぐったいが、からかう気配もなくはっきりと断言されて、疑うことのほうが難しかった。

「ありがとう、ございます」

 ぶわっと熱が這い上がり、頬が熱くなるのが自分でもわかった。
 王子と視線が合うということはつまり間近で顔を付き合わせるということで、吐息がかかるほど顔と顔が近いのも問題だ。
 月の明かりの下でも輝くばかりの容姿は、生まれながらの高貴さからのものか。
 カシュエル殿下がくすりと笑い小さく首を傾げる。
 たったそれだけの動作も優雅で洗練されて魅了される。

「照れているの?」
「…………」
「レオラム。顔真っ赤」

 指摘され、さらに顔が熱くなるのがわかった。

「あっ、っと、……その、見ないでください。人に褒められることに慣れていないので」
「かわい」
「……っ!? かわい、くない、です……」

 ふいに漏れたとばかりの王子の言葉と、自分の過剰な反応に感じたことのない羞恥を覚える。
 ――やばい、熱すぎる。
 自分でも反応しすぎだとわかるのに、どうしても止められない。
 今まで身を縮こめて警戒し生きてきた俺は、褒められることに慣れていない。
 さげすまれることや嫌味なら、はいはいそうですかとスルーできる自信はあるのに、逆になるとこの有様だ。何もかも急な変化に対応できず、虚勢を張る隙も与えられずぽろぽろと感情が漏れてしまい、どうしていいのかわからない。
 ──第二王子、危険すぎない!?
 カシュエル殿下に背後を取られてからずっと、心がざわつき警戒するように告げてくる。危害があるわけではないが、自分の思惑が何も挟めない現状に、何度か命の危機を乗り越えてきたヒーラーとして警戒心がむくむくと膨れ上がる。
 このまま捕まったままだと、よくわからないがヤバイと勘が告げている。
 何より、家を出てからこんなにも好意的に自分に関わろうとした人は初めてで、あっという間に心の内部に触れてくる王子が恐ろしかった。
 得体の知れない身分の高い相手。
 己の価値を理解し、こちらがろくに抵抗ができないとわかっている上で、次々とあらゆる角度から俺の戸惑いを封じ込めてくる。
 圧倒的に文句を言われることが多かったため、褒められることも、甘えが許される子供のように抱かれて密着することにも慣れない。
 体温が伝わる近さも、俺にとっては心中穏やかにいられない要因の一つだ。
 他人と視線も合わせないことに慣れすぎて、否応いやおうなくであるが久しぶりにしっかりと目を合わせるといった慣れない行動に平静でいられない。
 金を稼ぐことが目的で、他人に興味がなく任務以外は積極的にこなさなかったため無気力と言われる俺だけど、こんな俺でも信じ大事にしたいと思う人がいる。
 それがあるから、どれだけ周囲に嫌われようとも、扱いが悪かろうとも、真っ暗な底に落ちずにここまでやってこられた。
 彼らは決して俺をさげすまないし、彼らの前なら俺も自然体でいられる。
 だけどそう簡単に会うことができず、ここ何年も顔を合わせていない。
 そのため、俺は圧倒的に肯定される言葉に慣れていなかった。
 しかもカシュエル殿下の言動は、彼らと同じように俺に親しみを抱いているのだと錯覚させてくるもので、余計にどうしていいのかわからない。
 ──ああっ、限界っ!
 長時間視線を合わせるのに耐え切れずそろそろと目線を横にずらすと、くすりと笑われた。

「慣れないことをさせたようだね」
「いえ。……その、やっぱり慣れません」

 今の行動は許してもらえるようだ。
 とっさに否定したが、嘘をついたところで態度でバレバレかと言い直す。

「そう、正直だね。それでさっきも言ったけれど、私の行動に疑問があるのなら私に聞けばいい」

 聞いてもいいのだろうか? というか、聞かないと始まらない気配。
 いくつも気になることがあるが考えがまとまらない。
 とにかく、いつまでも抱き上げられているほうが問題だと、まず現状から処理しようと意を決して俺は口を開いた。

「でしたらお訊きしますが、どうして抱き上げられているのでしょうか?」
「手っ取り早かったからだね」

 何に対して手っ取り早いと?
 疑問はあるが、短いやり取りでこの疑問は解消されないと学んだ俺は、同じ疑問を繰り返さず要望を伝えてみることにする。

「……そうですか。ちなみに下ろしてくださる気は?」
「ないね」

 あっさりと却下された。
 ああー、本当に頭が働かない。意味がわからない。ただ、王子が納得するまでは離してもらえないことはわかった。
 隙のない返答に困って眉尻を下げると、カシュエル殿下はふっと笑う。
 それから王子は、完璧な美貌に感情が全く見えない笑みを浮かべ勇者を見た。
 アルカイックスマイルというのだろうか。その表情からは感情は一切伝わらず、口元だけがわずかに上がっている。

「さて、勇者アルフレッド。レオラムは本日付け、もう日にちは変わったので君のパーティを抜けている。それは間違いないね」
「はい」

 勇者は苦虫を噛み潰したような顔をしながら、明瞭めいりょうな声で返事をした。

「仲は良くないと聞いていたけれど、気にかけていたようだから伝えておく。今後、レオラムは私の庇護ひご下に置くから何も心配いらないよ」
「それはどういう意味でしょうか?」
「そのままの意味だよ。君のところには聖女が入る。先ほど見た限りでは、適性は十分にあるようだから心配いらないよ。できうる限りのサポートはするから、春になったら予定通り魔王討伐に向けて頑張ってほしい。大いに期待しているよ」

 それだけ告げると、俺を抱いたまま王子はすたすたと歩き出したので慌てて声を上げた。

「あっ、殿下。待ってください」

 会話に気になるところがあったが、このまま何も言わず勇者と別れるのもなんとなく後味が悪い。
 勇者のほうへと視線をやると、カシュエル殿下がいぶかしげに眉を寄せた。

「残りたいとか言わないよね?」
「いえ。状況の理解は追いついてはいませんが、殿下が私に用があるのはわかりましたので、ぜひお話を聞かせていただきたいと思っています」

 ああ、なんでこんなに気を使わないといけないのか。

「それで?」
「その、最後に勇者様と話をできたらと思いまして」
「────……いいだろう。ただし、このままでだ」
「えっ? あっ、はい。ありがとうございます」

 抱き上げたまま下ろさないと言われ、狼狽する。
 話を聞かないと解放されないのなら、どこに連れていかれ、何を言われるのか怖いが、話を聞くしかない。そこはこちらが気持ちを切り替えていくしかないのだろう。
 その話が終われば予定通り田舎に引っ込む予定なので、これが正真正銘勇者と最後になる。
 嫌いだけれども、最後はなぜだか気にかけてくれていたし、これからもあの戦いのなかに身を置く相手に何も言わずにはいられなかった。

「あの、勇者様」
「アルフレッドだ」
「勇者様」
「…………」

 要望に応える気はなくいつも通りに呼んだが、勇者がだんまりを決め込んだ。
 どうしてこうなった? なぜ自分が気を使わないといけないのかと思いながらも、自分の立場が弱いことは歴然で。

「ああーっと、アルフレッド様」
「なんだ?」

 なんなの? 王子といい、勇者といい、権力を持っている人は我を通すのが強すぎない?
 うぬぬぬぅとそれに逆らえない己の立場の弱さを実感しながらも、彼らはそれだけ国のために力を尽くし、結果を出しているのは事実なので文句など言えない。
 すぅっと息を吸い込み、無事を祈って告げた。

「今まで守っていただき、ありがとうございました。ご武運を」

 一度お別れを言った後でしかも抱き上げられながらと格好はつかないけれど、勇者なりの気遣いを感じないでもなかったのでさっきよりは心を込める。
 そんなことを言われると思っていなかったのか、勇者はぽかんと口を開けてこちらを見た。

「もういいか。行くよ」

 だが、勇者が反応を返す前に、王子がためらいなくすたすたと歩き出した。
 最後にちらりと目にした勇者は何か言いたげにこちらを見ていたが、肩で大きく息を吐くと来た道を戻っていった。

「レオラム」

 ぼんやりと見送っていると、いきなり顔に指が触れてくいっと顎を引かれた。
 視線が合うとしばらく見つめられていたが、にっこりと笑って無駄に甘くささやかれる。

「転移するから肩に手を回して」
「はぃ」

 ぞくぞくと這い上がるものを押し出すように慌てて返事をして周囲を見ると、いつのまにか特定の魔法以外使用不可とされる聖域空間を抜けていたようだ。
 魔法の気配がして言われるままにカシュエル殿下の肩に両手を置くと、とんとんと優しく背中を撫でられた。

「そういい子だね」

 すっと顔が寄ってきたかと思うと、先ほどまでつかまれていた顎に唇が触れる。

「えっ」

 戸惑いの声は発動された転移魔法の渦に吸い込まれ、慣れない他人の魔力を盛大に浴びる。初めての魔力酔いでくらくらする目眩めまいを逃すべく、ぎゅっと目をつぶった。
 内側をかき乱すような奔流に流され溺れそうになるなか、それでいてどこか温かいお湯の中に浸かるような居心地のよさを感じる魔力にすっぽりと包まれる。
 己の魔力がすべてカシュエル殿下のものに書き換えられるのではないかと思うほど圧倒的で、頭まで茹で上がりそうなほどの衝撃だった。

「ぅっ……」

 魔力には相性があるが、そこまで相手に影響を及ぼすことはない。
 カシュエル殿下ほどではないが俺も魔力は多く、それに加えて他人の魔力の影響を受けにくい体質のようで、今まで大して気にしたことがなかった。
 ほかの人もよほどのことがない限り、なんとなく自分にとって好ましいとか嫌だなと感じるだけで、性格の相性とそう変わらない。
 恋愛でも仕事でもパートナーとしてよく一緒にいる相手なら、能力も踏まえてその辺りも加味するが、普段の生活ではそこまで気にしない。
 カシュエル殿下のそれは絶対的な総魔力量の違いか、質の違いからか。もしくは密着したまま浴びたせいか、今までに感じたことのない感覚だった。
 俺は押し流されそうな勢いに、不敬などと考える余裕もなく遠慮がちに触れていた肩から、より安定感を求めるように目の前にある王子の首に腕を回した。

「そう、そのまましっかりくっついて」
「……はい」

 そんな俺の行動に異を唱えることなく、言葉通りもっとくっついていいよと腕に乗る尻の位置を器用に変えられ、さらに向き合う形になった。
 俺はぎゅっとしがみつき王子の肩に顔を寄せ、襲いかかる魔力に耐える。
 ふわっと体全体が浮くような浮遊感のあと、はあと熱い吐息がかかる。
 それさえも過敏になった神経には毒となり、ピークを過ぎたと思った第二王子の魔力がぞろりと神経を逆なでするようで、ぶるりと俺は震えた。

「着いたよ。大丈夫?」

 心配そうな声に大きく息を吐き出す。そろそろと目を開けると、部屋の明かりに照らされて柔らかに目元を細める紫の瞳とかち合った。
 いまだにぐつぐつと煮え身体の内部を回る王子の魔力の感覚に、開いた拍子にぽろりと涙がこぼれ落ちる。

「あっ、申し訳ありません」

 慌てて拭おうとしたが、それよりも先にカシュエル殿下の長い指にそっとすくわれた。
 ぱちりと瞬きをした際にまたこぼれ落ちたそれも同様に拭われて、優しい低音でささやかれる。

「顔色は悪くないから私の魔力を受け付けなかったのではないと思うが、体調が悪くなったりはしていない?」
「はい。殿下の魔力量が多かったためか、どちらかというと驚いた感じです」
「それはよかった。嫌だとかそういったことはなかったんだね?」
「はい」

 真意を探り、瞳の奥を覗き込むように再度念を押される。
 俺は思わず視線を逸らしそうになったが、先ほどのやり取りを思い出しゆっくりとうなずいた。
 王子はほっと息を吐き出すと、立派なソファの上に俺を下ろした。

「これを飲むといい」
「ありがとうございます」

 冷たい水が入ったコップを渡された。
 喉が緊張でカラカラになっていたこともありこくこくと飲みきる。
 喉から入る冷たさが、もやのかかったような思考もクリアにしていくようだ。
 ほっと一息吐き、人心地がついたところで、俺は周囲をうかがった。
 白とダークブラウンを基調とした部屋に、今座っているソファを含め重厚な家具が配置されている。広く天井の高い部屋、その天井にまで柄があった。部屋にはいくつかドアもあるのでさらに部屋は続いていそうだ。
 ところどころに優しい色合いの緑が使われているため、そこまで圧迫感はない。
 優美な内装は見事としか言いようがなかった。
 細かな細工や金の装飾、緩やかな曲線を描くテーブルの脚。
 どれ一つとっても気後れしてしまうくらい高価なものとわかる。当然現在座っているソファも座り心地からそうなのだろうと想像して、俺はもぞもぞと尻を動かした。
 場違いな空間と魅惑的な瞳を持つ美貌の主を前に、夢ではないかと逃避しそうになる。
 だけど、カーテンが開けられたままの大きな窓からは満月が覗き、聖女召喚から今に至るまでの現実を突きつけてくる。

「ここはどこなのでしょうか?」
「私の私室だ」
「えっ?」

 王宮内だろうとは推測していたが、まさかプライベートルームだとは思いもせず絶句する。

「水はもういい?」
「はい。ありがとうございます」

 握り込んでいたコップを俺の手から奪い前の机に置くと、カシュエル殿下は身体をくっつけるようにして横に座った。
 胸元まである長い襟足の銀の髪が小さく揺れ、俺の肩と王子の腕がくっつく。
 恐る恐る見上げると、人差し指で額をこするように前髪をかれ覗き込まれた。
 否応いやおうなく合わさる視線。
 幻想的な薄紫色の空に星が無数に散らばり輝いているようだ。不思議な色合いの瞳は見れば見るほど引き込まれ、いつまでも見ていたい気分にさせられる。
 残念ながら、その瞳の中には今は平々凡々な自分の顔が目を丸くして間抜けヅラをさらしているだけだ。
 視線に囚われて身動きできない俺を見ながら、カシュエル殿下は目を細める。

「落ち着いた?」
「おかげさまで」

 しばらくじっと観察するように俺を見ていた王子は、俺がこくりとうなずくと、「そのようだね」と優雅に微笑んだ。
 冷たく感じる美貌が感情を乗せ微笑むだけで、ずいぶんと印象が変わる。
 その顔には、本気で俺を案ずる色が乗っている。
 涼やかで甘さも含むカシュエル殿下らしいエレガントさが匂い立つようで、ずっと見ていたい甘い誘惑にかられる。
 触れるほど近くに立って初めて知る王子の匂いが、そこら中から感じ取れた。
 ほぅっと息を吐き出すと、王子は俺の前髪から指を離し、横に陣取ったまま姿勢を立て直した。
 気配に気を取られていると、王子に唐突に問われる。

「ところで、レオラムはこの部屋をどう思う?」
「素敵な部屋です」

 言うまでもなく今まで見た中でダントツだ。

「気に入った?」
「気に入る? えっと、気後れするくらい豪華ではありますが、不思議と落ち着く、とてもいい部屋だと思います」
「そう。今日からレオラムの部屋でもあるから気に入ってくれてよかったよ」

 続く言葉に首を傾げ、瞬きを何度か繰り返す。
 ゆっくりと『レオラムの部屋でもある』という言葉が頭に入ってきたが理解しきれず、俺は思わず声を上げた。

「えぇっ!?」
「ふっ。何をそんなに驚いているの?」

 どうして驚かないと思えるのか?
 王族の前で大きな声を上げてしまったことに気づき、俺は慌てて片手で口を覆った。
 叫び終わった後では今さらかとゆっくりと手を下ろし、おずおずとトンデモ発言をした真意を本人に問う。

「申し訳ありません。本当に意味がわからないのですが」
「意味?」
「はい。殿下の部屋が、どうして私の部屋にもなるのでしょうか?」
「ふーん。説明してほしい?」

 再度、顔を覗き込まれ問われる。
 その際にものすごく楽しげに甘く揺らすカシュエル殿下の双眸そうぼうを目にし、どきりと胸が跳ねた。
 先ほど潤ったはずの喉がまた渇きそうで、こくりと喉を鳴らす。

「説明して、ほしいです」

 なんとか言葉を紡ぐ。
 どこか甘い空気が漂い、官能か恐怖かわからないぞくぞくしたものが体内を這い回る。
 俺は小さく身震いしたが、流されまいと首を振りそれになんとか耐えた。
 誘うような甘さを向けなくてもいいので、もったいつけずさくっと説明よろしくお願いします! とじっと王子を見つめ返す。
 すると、眼前で鮮やかな眩しい笑顔を返された。

「いいね」

 言葉とともに目の下を親指でついっとなぞられた。
 王子の言う『いいね』とは視線を合わせたことに対してだと、しばらくしてから理解する。
 すでに瞳は変ではないとお墨付きをいただいているからか、カシュエル殿下を前にそれをどうこう考えることはない。
 どちらかというと、空気感や言動が気になって気になってそれどころではなかった。王子の前だと取り繕って考えている余裕がない。
 カシュエル殿下は俺の目元を何度か撫でていたが、今度は何を思ったのか動揺しまくる俺の鼻をかぷりと噛んできた。

「なっ!? かっ、噛ん、えっ?」
「ああ。つい」

 つい!? と驚きすぎて声も出ず口をはくはくさせていると、カシュエル殿下は表情を和らげてさも当然といった口ぶりで続けた。

「それで勇者にも話したが、レオラムは私の庇護ひご下に入ったため、今日から一緒にここに住むことになる。この部屋は私の魔法が施されているから危なくないし、必要最低限の者の出入りしか許していない。ゆっくりできるよ」
「いやいやいや」

 驚きで理性が麻痺し、王子相手に素で突っ込んでしまう。
 マイペースにも程がある。
 鼻を噛まれた衝撃が去らないまま、さらっと説明されたが本気で意味がわからない。
 ほぼ初対面のはずだが、なぜ王子と暮らすことになるのか?
 それに、『つい』で人の鼻を噛むってどういうこと?

「……可愛い」

 あわあわと落ち着きなく視線を動かしていると、とうとう王子の口から俺にかけられるものとして理解不能な言葉が出た。
 さっきも聞いた気がするが、それもこれも気のせいだ。
 ううぅと唸っていると、またカシュエル殿下の顔が近づき、親指で撫でていたところに吸い付くようなキスをされる。

「でで、殿下っ」
「ああ。これもつい」

 慌てて手で押し退けようとするが、カシュエル殿下は軽く首を傾げて悪気もなく微笑む。

「ついって……」
「それで今日からここで暮らすよね?」
「暮らしませんが!?」

 当たり前のように聞かれ、何を言っているのだと反射的に返す。

「なぜ? レオラムはパーティを脱退したでしょう? ならもう自由だよね」
「そうですけど……。ああぁ~、殿下はマイペースって言われませんか?」
「言われないな」

 王族だからかな。従えて当たり前なのかもしれないが、なかなかのマイペースさだ。

「何度も確認することになって非常に申し訳ないのですが、もう一度言っていただけますか? 殿下の庇護ひご下に入り、王宮にあるこの一室に一緒に住むようにお話しされていると聞こえたのですが」
「そう言った。レオラムはこれからずっとここに住む」
「ずっと!?」

 聞き返したら、もっとハードルが上がった。
 それと王宮のセキュリティ大丈夫? ……ああ、カシュエル殿下こそがセキュリティのようなものだから、その王子がよしとしたらそれでいいのか?
 いや、それでも勇者パーティに所属していたからといって、貴族の端くれといえど王子からしたら末端の末端。身分もないに等しい自分が、王族と一緒に過ごすとかいろいろ問題がありすぎる。
 幻聴ではなかったと目を白黒させていると、王子がくすりと笑う。
 うーん。おかしいな。こんなに表情が豊かな人だったっけ?
 普段は無表情。召喚儀式の時に聖女に向けたように、必要に応じてにこっと笑うことがあるのは知っている。
 だけど、それらはいつも戦略的というかそんなタイミングだったし、こんなに笑顔を見せる人ではなかったはずだ。
 これでもかってほど不躾ぶしつけに見ながら考え込んでいると、また楽しげに笑われる。

「驚きすぎ」
「驚きますよ。そもそも俺、えっと私は引退した後、田舎に引きこもる予定でしたし。明日の馬車も予約してあるのですが」

 驚きのオンパレードだ。
 カシュエル殿下と二人きりでいること自体が信じられないのに、その話の内容はもっと変で到底理解できない。
 なのに、さらなる問題発言。

「それは断りをいれておいたよ」
「はっ?」

 こともなげに告げられ、当たり前でしょとにこっと微笑む王子様。
 断り? 勝手に?
 そもそもどうして予定を知っているのか?
 いや、それ以前の問題でどうしてカシュエル殿下は俺を構ってくるのか?

「えぇぇぇっ~!!」

 混乱の極みだ。
 どこから突っ込んでいいのかわからない。すでに地が出てしまったが、相手は格上なのであまりいろいろ言えるような立場でもない。ないけど、取り繕っている余裕もない。
 ううぅーっ、どうすればと口を開いたり閉じたりしていると、王子はずいっと顔を寄せてそれはもう見事としか言いようのない微笑を浮かべた。

「褒美が欲しいと告げた時、レオラムもそうすべきだとうなずいてくれたから問題ないよね」

 ──問題大ありですけど?
 さも当たり前のように無理難題を突き付けてくる王子に、俺は困惑をあらわに凝視した。


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