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7.逃げたわけではない

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 業務時間が終わると、ギルドの建物を出たすぐのところで腕を組んで待っていたブラムウェルに捕まった。

「さあ。行こうか」
「どこに行くのですか?」

 手を掴まれ、促されるまま足を進める。
 今後のこともあるので逃げる気はなかったけれど、ブラムウェルにとって一度逃げた形となったノアは信用ならないのだろう。

 簡単に解けないように繋がれ直接感じる男の体温は、どうしてもあの夜のことを意識させた。
 夕日が沈み夜を意識させる時間というのもまずい。

 ノアはちらりと視線を上げブラムウェルの顔をうかがう。
 ギルド長室で見たあの笑顔は幻かと思わせるほど、無表情で何を考えているのかわからない。

 本当にこの男と寝たのだろうか?
 それさえも疑うレベルの美貌と表情に、ノアは不安になるというよりはもういいかと思うようになってきた。
 考えてもわからないものはわからない。

 ――ま、なるようになるか……

 ノアはそこで周囲を赤く染めた夕日を眺めた。
 何がどうなろうと変わらず沈んだ日はまた昇る。

 あの夜のことは流れに任せるしかない。どうせ起こったことは変わらないし、大事なのはこれからだ。
 話があるから誘われているのだろうし、どうするかも相手次第。

 連れていかれたのは、あの晩に一緒に飲んだ店だった。
 カウンター席の横の壁にかかった天使の絵を見て、そういえばここだったなとあまり時間が経っていないのに懐かしささえ感じる。
 あの晩は終始にこにことブラムウェルは笑みを浮かべており、まるであの絵のように感嘆するほど美しい人だなと思ったのだ。

 奥の席に誘導されるまま座り、目の前の美丈夫を見るとすぐさま双眸を捉えられる。
 表情は違うが、相変わらずノアをじっと見るのはあの日と変わらない。
 その白皙の美貌にふさわしい冴え冴えとした瞳は、一度見たら忘れられない。

 宝石のように無機質に見えるが、見れば見るほど静かに揺れ動く熱のようなものから目が離せない。
 あの晩も最終的にこの瞳に魅せられて、誘われるままノアは身体を許してしまった。

 ――魔性の瞳だな。

 飲み物が運ばれても視線は外されず、かといって話そうとしない相手にしばらくノアは様子をうかがう。
 だが、あまりにも見つめられるので耐え切れず口を開いた。
 その際にわずかに視線を外す。この目はあまり見るものではない。

「それでお話とはあの晩のことですか?」
「そうだ。その前にその言葉遣いやめて。他人行儀で好きじゃない」
「あっ。ごめん。これでいい?」
「ああ」

 そこでやっとブラムウェルはあの晩のように満足だと口角を上げた。
 気心知れた相手には多少崩れるが、基本同じ対応にしているほうが問題も生じにくいため職場では丁寧に話すことを心がけていた。
 その延長で話すことが、ブラムウェルはどうやらお気に召さなかったらしい。

「それでここまできてしたい話とは?」
「あの朝なんで逃げたの?」

 問いかけると被せ気味に質問を受け、その勢いに驚いて瞬きを繰り返した。
 すると、早く答えてと机の上に置いていた手を握られた。意外とスキンシップが多いなと手に視線をやったが、ぎゅっと握られて視線を戻す。

「逃げたつもりではなかったのだけど、……ごめん」

 濁すように話すとじろりと睨まれて、謝罪する。
 捜していたようなので、あそこで帰ったのはまずかったようだ。

「なら、どういうつもりだった?」
「顔を合わせないほうがいいのかと思って。ブラムは女性除けに僕に話しかけただけだよね? なぜかああなったけど、まとわりつかれるの好きじゃなさそうだったし。一晩の相手なら、なおさら帰ったほうがいいかと思って」

 女性相手のそっけない態度はかなり印象的だった。
 黄昏の獅子の噂も知った今ではその推測であっていたはずなのだけど、こうして詰め寄られてはノアの読み間違いだったのか。

「一晩? ノアはよくそんなことするの?」

 静かに怒気を放たれびくっと肩が揺れたが、わかっているはずだけどなと首を傾げる。

「えっ。初めてだよ。反応でわかったと思うけど……」

 かなり恥ずかしい恰好もしたし、初めてなら慣らさないといけないと言ってノアの後ろを時間をかけてあれこれしたのは目の前の美形だ。
 そんなことまでされた相手を前に思い出させないでほしいと恥ずかしくて視線を下げると、先ほどぴりついた空気がふわっと軽くなった。

 その変化につられるように視線を上げると、ブラムウェルがあの晩のように柔らかに目を細めノアを見ていた。
 まるで愛情がこもっているかのような双眸は勘違いしそうな優しさが見え、その落差にやっぱりこの瞳は魔性だなと気を引き締める。
 雰囲気的に断りにくかったけれど、絶対今日はあの日のようにお酒を飲むことは控えよう。

「絶対。嘘じゃないって誓える?」
「ええ? そこまで?」
「ノア。ちゃんと言って」

 ギルドでの誓約書もブラムウェルが言い出したのだが、誓いに重きを置くタイプのようだ。

「誓えるよ。ブラムだって僕が慣れていなかったのわかってるでしょ?」
「だって、逃げられるとは思わなかった」
「だから、逃げたわけではないから」

 心配したとも言っていたので、そのことはブラムウェルのなかで根強く残ってしまったようだ。

「でも、何も言わずに帰ったのは事実だ。あの晩はがっついたから、朝は今後のことをゆっくり話したかったのに」
「……そうなんだ。その、ごめんね」
「理由は気に食わないけれど、見つけられたしいい」
「いいって顔してないけど」

 空気は軽くなったけれど、口はきゅっと引き結ばれていて言葉通りに受け取ってはいなそうだ。
 あまり感情を表に出さなく冷たいイメージを噂から受けていたし、実際ギルド内ではそうだった。
 けれど、あの日もだが意外と二人きりになるとちゃんと喜怒哀楽は伝わってくる。

「もう見失わないから問題ない。冒険者にとって契約ではなく誓約がどれほど大事なことがノアもわかっているだろ?」
「……もしかしてそのために?」

 契約は万が一破棄となっても金で解決やもみ消しも往々にありあくまで契約内容に問題が生じるだけだが、誓約は冒険者の名をかけて正式な記録に残るので破ると冒険者としての信用問題に関わる。
 だから、それを言い出した時には驚いたが、こちらの現状を考慮して提案してくれたようなので感動もしていた。

 ――まさかその重みを理解している自分が逃げないために言い出した?

 いや、そんなまさかだ。
 そう思うのだけれど、とろりと滲む甘さ、そしてほんのちょっとだけ飢えたような獰猛さを覗かせる鮮やかなエメラルドの瞳でじっと見つめられるとどうしても不安になった。


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