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2.プロジェクト始動

4.ただの臆病

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 榊が予約したお店は、それなりに高級感が漂うフレンチ料理店だった。
 しかも榊の行きつけらしい。
 スタッフ全員が榊の顔を見るなり親しげに笑みを見せてお辞儀してくる。

「ここは僕のお気に入りなんです」
 個室を案内されて、その部屋に入った瞬間に気圧される。
 シンプルながらも高級そうな現代アート的な家具が揃えられている。
 腰掛けた椅子は座り心地が良く、包み込まれるような不思議な感覚に陥った。

「すごく素敵なお店ですね……。びっくりしすぎて気の利いたコメントを言えなくて申し訳ないです」

「あはは、気合を入れて良かったです」
「あの……、ただのお食事なのにどうしてここまで?」
「え? ただの食事のつもりではなかったんですが……ダメでした?」
「えっ? え? ど、どういうことですか? 私はてっきりカンボジアに向けての準備的なものかと」

 そう言うと、榊は残念そうに苦笑いをする。

「えー……まあ、2回目ですし、ね。まずは食事を楽しみましょう!」
「は、はい。すみません、私ってばなんかまずいことを言ったみたいで」
「いえ、気になさらないでください! 僕が強引に誘ったことですし。これから少しずつ積み重ねていければと思います」

 ん? この人、私との未来を語ってる?
 カンボジアの事業が終わればこのご縁は終了になるものだと思うのだけど。

「あの、信田先生のこと、大変失礼しました。仲が悪いわけではないんですが、信田先生はちょっと信用できないところがあるんです」
「どうしてですか?」
「……その、手が早いんです」
「うん? え? あれってそういう意味だったんですか? 私はてっきりただのおせっかいだと思ってましたが」
 もうこの歳になれば異性として認識されないとばかり思っていたのだが、どうやら世界は広いらしい。
 こんなガサツな私でも異性として見てくれているなんて。
 きっと絶滅危惧種か何かに違いない。

「ありすさんはすごく魅力的な女性ですよ? だから信田先生に目をつけられてしまったんですよ」
「えー……会社では男としてしか見られてないんですけどね」
 そう苦笑いしたが、榊は笑わなかった。
「まずいな……。信田先生も今回のプロジェクトメンバーでもあるんですよ……。本当に気をつけてください、信田先生には!」
「そ、そんなに問題あるんですか?」
「問題ありです! 大アリです!」

 テーブルをばん、と叩いたが、すぐにすみません、と項垂れた。

「参考までに聞きますけど、信田先生に手を出されて泣き寝入りした女性がごまんといるんですか?」
「……いえ、そうではないんですけども……」
「? 普通に口説いて付き合って別れただけ?」
「……まあ、そんな感じです」
 榊がごほん、と苦虫を噛み潰したような顔をして咳払いをする。
 そんな様子を見た私は怪訝に思った。
「だったら信田先生が独身でフリーであれば何の問題もないってことですよね?」
「まあ、そうですね……」

 信田は三十後半の准教授だそうだ。ずっと独身なので、何か訳アリなのだろうと榊は話していた。
 しかし、それは私と信田との問題である。
 信田の誘いに乗るか乗らないかは私が決めることだ。

 それに何か誤解があるかもしれないし、実際に彼の口から聞かない限り鵜呑みにしないようにしている。

 ……そう、会社の噂にも。

 料理はどれも美味しかった。
 経済力がなさそうな若い榊がなぜここを行きつけにしているのかは謎だが、味は確かだ。
 無理しすぎているのかもしれない、と思って後でお会計の時は自分の分は払おうと決めた。
 安い食堂とかなら、榊の出方次第では甘えようかと思ったが。

「メニューには具材しか書かれていないので、どんな料理が出てくるのか想像がつかなくて楽しいですね」
「そうですね。いい意味で裏切られっぱなしなので、楽しいですね。また来ましょう」

 榊はずっと未来を語っている。
 どうして彼は私との未来を語りたがるのだろうか?

「ありすさん? ……ダメですか?」
 私の表情を窺いながら、しょぼんとした顔を見せる。

「いえ、すごく不思議で……。私たち、まだ会って2回目ですよね? しかもプライベートで出会ったわけでもなく、仕事の一環で会っただけの関係ですよね」
「そうですね」
「それなのに……どうして」
「答えが欲しいんですか?」
「いえ、そういうわけでは……まあ、そうですね、欲しいかもしれませんね」
「僕がそうしたいからそうしてるんです。答えになってます?」
「ふふ、嬉しいです。こんな私と一緒に過ごしたいと思ってくださるなんて」

 答えを求めるなんぞ野暮だったのかもしれない。
 私はメインのヒレステーキを一口、頬張った。

「こんなに美味しい料理、いつぶりかしら」

 しみじみと言ってしまい、我に返った。

「すみません、こちらの話です」
「ありすさんのリラックスした顔、素敵ですね。すごく穏やかで綺麗です」
 榊の熱っぽい視線に耐えかねて目線を落とす。

「褒めても何も出ませんよ」

 榊の笑う声が聞こえて、私は顔を上げた。
 彼の頬に赤みが差している。照れてるのだ、というのがよく分かった。

 でも……でも、何かの間違いかもしれないのだ。
 浮かれたいけれど、浮かれるわけにはいかない。
 真っ直ぐに伝えてくる口説きとも取れるような言葉をそのまま受け取るわけにはいかないのだ。

「つかぬことをお聞きしますが……ありすさんはどうしてこの仕事を?」
「手っ取り早かったからです」
「え?」
「商社は給与が高いからという理由だけで入社しました」
「そうなんですね。お金を稼ぎたかったんですね」
「ええ、実家を出たかったのもありますしね。それに……自分一人の力で生きたかったからです」
「自分一人の力」

 榊は私の言葉を吟味するように繰り返して言った。

「それはどうしてなのかは、聞いても良いですか?」
「はは、他愛もない話ですよ」
「話したくなかったら良いんですよ」
「本当にくだらない話なので榊さんの耳に入れるようなものではないです」

 あ、自分で壁を思いっきり作ってるのが分かる。
 榊さんの顔が悲しげなものに変わったから、というのもあるが、自分が傷つきたくないのがハッキリと掴めたからだ。

「でも、ちゃんと自分の力で立ちあがろうとする姿は素敵です。カンボジアの皆さんもそうやって生きていこうとする姿が見られるので、人間って捨てたもんじゃないと思えるんですよね。
 逆に言うとそれを感じたくて、僕はこの仕事をしてるのかもしれません」

 メイン料理が終わった後はデザートだ。
 創作工夫を凝らしたケーキとアイスが出てきて、私の目を楽しませてくれた。

「榊さん、カンボジアでのこと、もっと話してください。知りたいです。あなたがどのようにして関わっているのか、その活動を通してあなたが何を思っているのかも全て」
「ぜひ、知って欲しいです。そんな風に言ってくださって嬉しいです!」

 榊は私にこの後の予定を聞いてきた。

「特に何もありませんが……むしろ榊さんの方がお忙しいのでは?」
「いえいえ、今日一日あなたと過ごすために空けたので」
 私がもうちょっと若ければ素直に喜んでいたかもしれない。
 素直になって後で傷つく瞬間が来るのが怖くてたまらないのだ。
 それに……小塚とのデートの時は一日中一緒に過ごす、ということがなかったせいでもある。
 私の方はずっと過ごしたかったが、小塚がいつも何かしら予定があり、その場で解散することが殆どだった。

 いつのまにか私には一日中たっぷりと過ごす価値のない女だと思い込んでしまったのかもしれない。

「ありすさん、良いですか? 夜までずっと一緒に……」
「良いんですか?」
「はい。もっとお話ししたいです」

 どうしようもなく胸が高鳴る。
 たった2回目なのに、なんでこんなに心臓がうるさいのだろう。

 どうしても舞い上がってしまう。

 私は小塚が好きなはずなのに……。

 でも、榊ともっと話したいという本音もある。
 付き合ってるわけでもないのに、小塚に対して罪の意識を抱いてしまっていた。

「あ……でも……、夕方までにしましょう」

 そう提案すると榊の顔が曇った。

「ダメですか……?」
「あの、物足りないくらいがちょうど良いらしいんですよ」
「え?」
 何を言い出すんだろう、私は、と思いつつも言葉を続ける。

「もっと話したい、もっと一緒に過ごしたいのに、と未練が残ると長続きするらしいんですよ」

 そう言うと、榊の顔が若干明るくなってくる。

「じゃあ……また会ってくれるんですよね?」

 もう次の予定を合わせたいらしい。
「来週末はどうですか? 僕の方でちょっと野暮用があるんですが、なんとかします」
「そ、そんな無理に合わせなくても」
「僕が会いたいんです」
 ずずいっと迫られて、落ちない女はいるのだろうか。
 よく見ると榊は顔が整っている。
 美形というわけではないが、十分魅力的な顔立ちだ。
 メガネを外せば今時のイケメンなのかもしれない。

「分かりました……じゃあまた来週に」
「やった! また時間とかどこに行くかはまた決めましょう」
「私はどこでも良いですよ。榊さんのお話が聞けるのなら」
「嬉しいことを言ってくれるんですね」

 結局レストランの会計は彼がとっくに済ませてしまったようだ。
 私が気遣うタイミングを完全に失ったまま、ご馳走になってしまった。

「高くないですか? ああいうお店……。そうだ、それなら私のおすすめのカフェがあるので、そこで奢ります」
「本当ですか? わーすごく嬉しいです」
「ちょっと離れてるので、電車で行きましょう」
「え? タクシーでも良いですけど……」
「高いじゃないですか! 電車の方が安いですよ」

 彼に負担をかけさせたくなくて言ったつもりだったが、後になって考えると私が彼にタクシー料金を払う価値などないと言ってるようなものだったのかもしれない、という考えに行き着くと落ち着かなくなってしまった。

「す、すみません……やっぱりタクシーで行きましょう?」
「あはは、面白いな、ありすさん。短い時間でこんなにコロコロと表情を変えて」
「すみません」
「じゃあお言葉に甘えて、電車で行きましょう」
「はい……」

 幸いにも電車は空いていた。
 会社の近くにある美味しいパンケーキのカフェがあるのだが、なかなか行けないでいた。
 ようやく注文できた時はシロップの甘い香りに癒されて、深い息を吐く。

「甘いものお好きなんですね」
「はい、仕事のムシャクシャの時にバッチリですね」
「どんな時にムシャクシャするんですか?」
「んー、思った以上に成果が出なかった時ですね。売り上げが私たちのチームの成績になるので」

 語れば語るほど、榊の仕事とは正反対の位置にあると気付かされる。
 そして汚れているのではないかと少し居心地が悪くなる。
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