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216話 人間五千年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり

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「っと! どうしたどうした!? アンタよ、その殺気はただごとじゃねえな……」
 ジビエは本能的に身構え、ついドラクロワから距離を取ってしまう。

 そのドラクロワは、ゆったりとした所作で腕を解き、それらを脱力させつつ下に提(さ)げた。

「んお、あくまでお茶っ葉を出す気はねぇって、そういうハラかい。
 いや参ったな。こっちとしちゃあ、ひとりくらいは残して、肝心のお茶の葉が何処(どこ)にあるのか訊かねえと、と思ってたんだが……。
 ま、そこはそれ、ちょいと面倒だが、全員の持ち物検査と、店の席でも探しゃ出てくるって話か……」
 常に人を食ったような態度を崩さないジビエだったが、先ほどから妙な冷や汗が止まらない。

「ウム、そういえば──」
 ドラクロワが、ふいになにかを思い出したように顔を上げた。

「っん? な、なんだい? ヤッパリお茶の葉を出す気になったのか、ええ? ンハハハ……」
 その挙動に一瞬、ギクリとして、思わず身じろいでしまったのを誤魔化すように破顔する魔人。

「先ほどお前に憑依した者が言っておったことが少し気になる。
 ウム。直接、あの"番頭(ばんとう)"に訊くとするか……」
 唐突に不可解なことを宣(のたま)い出したドラクロワは、なにかの指揮者のごとく、暗黒色のマントを翻(ひるがえ)しながら、右の腕を遠くの空間めがけて振るった。

「……お、おい!?」
 急に凄絶なる殺気を雲散霧消させては、勝手気儘に振る舞うドラクロワに、ジビエが中っ腹になって野次るように言った。

 すると突然、そのドラクロワのガントレットの差す先の廃墟に、眼が痛いほどの真紅の四角が現れた。

 縦横五間(約9メートル)ほどのそれは、なにか空間に貼られた、単なる平面的な赤の四角ではなく、どう見ても宮廷・城郭などにある、あのいかめしい廊下としか思えぬような、謎の大通路の入り口であり、よくよく見れば、その大蛇の腹のような奥に、また真紅の扉らしきものが見えるではないか。

「んおっ!!? なんだありゃ!? ア、アンタ、一体なにをしようってんだ!?」
 無論、ただただ面食らうしかないジビエだったが、その視線の遠い先。
 そこの真っ赤な扉をすり抜けたように、ひとつの緑のローブ姿が瞬時にして現れ、音もなくこちらに滑るようにして迫って来るのに、云い知れぬ無気味さを感じずにはいられなかった。

 その低空を滑空するような妖しい魔術師然とした者は、深く被ったフードで顔を陰(かげ)らせたまま、遂にはドラクロワの至近距離にまで到達したかと思うと、何の前触れもなく身を屈(かが)めた。

「あれは……なんとも不可思議なり、なぜ此処(ここ)に長老が?」
 と、ジビエの背後から甲高い声がして、あの木乃伊(ミイラ)じみた謎の男、クワォリーがその肩越しにおぞましき頭部を覗かせた。

「ん? ウヘェッ! ……で、なんだ、その長老ってのは?」
 一瞬、己が肩上に出現した白い生首のあまりの生臭さに、つい拒絶反応を示したジビエだったが、その部分的な融合解除に伴い、わずかに額の色が尋常なる肌色に還(かえ)っていた。

 その一方で、クワォリーの視線の先にうずくまる謎のグリーンローブは、ただ黙してひれ伏したままであり、果たしてそれが男か女か、その老若の具合も、はたまた人か魔かも、まったく計り知れなかった。

「……これはこれはドラクロワ様。本日はお招きに与(あずか)り、恐悦至極に存じます。
 ドラクロワ様に於(お)かれましては、数千年もなんらお代わりなく──」
 それは露骨に老醜を感じさせる、おそろしく錆(さ)びた声音だった。

「ウム。陳腐な前置きなど要らぬ。して長老よ、少し訊きたいことがある」
 ドラクロワが漫然と述べたとき、ジビエの鋼の身体。その背面が鮮烈なるオレンジの光を放ち、そこから唐突にクワォリーが飛び出したかと思うと、その場で片膝をついて頭を垂れた。

「てー、おイッ! お前、急になんで!」
 瞬時にして、ただの無頼人間に戻ったジビエは、無論、解(げ)せぬとして喚いた。

「う、うるさいッ! キミは少し黙っていたまえ!」
 何かに怯えきったようなクワォリーが小声で叱責した。

「──クワォリー、なぜ、お前がここに……」
 言ったグリーンローブが頭をあげると、自然その素顔が見えた。

 それは老人の嗄(しゃが)れ声に似ぬ、銀の白粉(おしろい)を丹念に塗ったような、ほっそりとした美しい女の顔をしていた。

 だが、この長老と呼ばれた者。断じて尋常な人には非(あら)ず、その瞳は星の瞬(またた)く丸い宇宙空間であり、また麗しき緑の唇からは、そこから直下して顎下へと伝わるような、謎のエメラルド色の液体とも、煌めく煙ともつかぬ、なんとも形容しがたい物質が常に伝い垂れていた。

「ウム。長老よ、よく聴け。これより略式の査問委員会を開廷する。
 ついては、お前麾下(きか)のすべての鹵獲団員の出廷を命ずる。
 その審議の如何(いかん)によっては厳重なる懲罰、また暗黒鹵獲団そのものの廃絶も"十二分"にあり得る、心しておけ」

「はっ!!」
 鹵獲団の長老は弾かれたように応え、すぐさま、この餓鬼、一体なにをやってくれたのだ!? と言わんばかりにクワォリーを睨んだという。

「ウム。ときに長老よ。つかぬことを訊くが、昼行灯(ひるあんどん)とはなんだ?」
 明後日の方を向いたドラクロワが、あくまで飄然(ひょうぜん)と訊ねた。

 これに、窮(きわ)めて重大な審議を言い渡された直後の長老は、今必死になって心当たりを模索していたが、それを即座に打ち捨てた。

「はっ! 申し上げます!! 昼行灯とはつまり……真っ昼間に灯(とも)った夜間照明のごとく、まったく点(つ)いているのかいないのかよく分からぬ、ただただ無駄にのさばっているだけの、誠どうしようもない"穀潰(ごくつぶ)し"。
 
 或いは、真っ昼間に要らぬ灯りに火を灯(とも)し、無駄に油を浪費する、度しがたき"大うつけ"という意味にございますが、それがなにか?」

「──デ、アルカ──」


 それから四半刻のち──


「ウム、では裁断を申し渡す。

 先々代魔王であるアガレプトによる暗黒鹵獲団の制定を勝手に改変し、本来六名であるとするころの団員数を、現魔王になんら出願することもなく、あまつさえ、あの女神どもを連想させ得る"七名"とした由々しき廉(かど)。

 また加えて、七人目の団員であるクワォリーが、鹵獲した元勇者に、現魔王は昼行灯であると発言するまでに、歪んだ、いやトチ狂った認識を授けるよう教化を施した廉。

 以上二点を以(もっ)て、暗黒鹵獲団のクワォリーの除名、ならびに処刑を命ずる」
 ドラクロワが厳粛に言い渡すと、長老を始めとするグリーンローブの五名達は、一斉に勁烈(けいれつ)に応えて言下に受け入れ、全員が即座に立ち上がった。

「そそそ、そんな!? わ、私はただ──」
 まさしく極限の土壇場にて、みる影もなく狼狽するクワォリー。

「……ドラクロワ様。此度(こたび)の温情に満ちた御裁断、恐悦至極に存じます。
 ですが、その──」
 武士の情けか、折角免れた"お取り潰(つぶ)し"も恐れず、反駁(はんばく)を上申せんとする長老がいた。

「なんだ?」

「はっ、畏(おそ)れながら、この新参者のクワォリー。聴けば、あくまで鹵獲団としての務めをまっとうすべく、鹵獲したジビエ=マルカッサンに乗り込み、彼(か)の伝説の勇者団を滅さんと奮闘したとのこと。
 つきましては、我等が宿敵、光の勇者団を撃ち破った、その戦功を御考慮いただき、今一度、処分の御再考をいただけないかと……こう存じます」

「──ならん」

「そそそ、そうですとも!! わ、我輩も一箇(いっこ)の武人!! 
 何卒、温情ある御沙汰(ごさた)をッ!!」

「ならん」
 ドラクロワの勅令、揺るぎがたし。

「くっ! この上はッ!」
 クワォリーは自暴自棄の窮(きわ)みに達した挙げ句、真紅の床を蹴って、死に物狂いの遁走を開始したのである。

「クワォリー!!」
 長老麾下の総員が、出口の赤い扉が粉々に崩壊するのを眼で追った。

「フン。放っておけい。後は外の者らに始末させる。
 身のほど知らずの下郎(げろう)共々、魔界のものならぬ、単なる勇者ごときに狩られるがよいわ」
 頬杖のドラクロワは、何か思うところがあるように、長老達が追走に翔び立とうとするのを制した。

「うおっ! な、なんだよ!!」
 赤い扉のすぐ裏側にて待機を命じられていたジビエは、突然の扉の崩壊に、両腕で顔前を覆って喚いた。

「あぁジビエ君。真に残念至極だが、我々はもはやお仕舞いなのだ! 
 だが、我輩はこのまま、むざむざと処刑を待つよりは、最期に玉砕散華(ぎょくさいさんげ)の大暴れをしかけようと思う!!
 どうだジビエ君!! この世の華として、ともに一花咲かせようではないか!!」
 脱兎のごとく走りながら、人間界の大陸に舞い戻っての、当たるを幸いの大虐殺心中を持ちかけるクワォリーだった。

「ん、なーにがなんだかサッパリだが……オレは、まだまだ暴れたりねぇよ」
 ジビエは確かに猟奇の鬼であったが、決して愚人ではなかった。
 ゆえに最期の大凶行というものに、むしろ頽廃的(たいはいてき)な甘美をすら覚え、激しく血に飢えてはクワォリーと共に走ったという。


 一方、いいように打ちのめされた女勇者達だったが、各々(それぞれ)はなんとか覚醒を果たし、魔界の瘴気により極限まで憔悴(しょうすい)し、また傷ついた身を引きずりながら集結していた。

「カミラー様ッ! カミラー様ッ!!」
「カミラー様ッ!! 聞こえますかカミラー様ッ!!」

 アンとビスが見下ろす下方には、小さなバンパイアが仰向けに眠るように倒れていた。

「おーい、カミラー! まさか、不死のお姫様のアンタがホントに死んじまったのかい?
 ……んー、アレ? コレさ、アタシが頬っぺた触ってんのに、あのビリビリー!!ってのもこないよ?」
 マリーナも腰を屈めて、愛くるしい眠り姫のような顔に触れて、口だけは暢気(のんき)に呼びかけるのだが、一向にカミラーの眼は開かない。

 首周りを朱に染めて横たわるカミラーは、あの疾風怒濤の魔人に斬り伏せられ、斬首をさえ極(き)められて吹き飛んでいたのを、つい先ほどアン達により発見されたのである。
 
 だが、この五千年を超えた、如何(いか)な不死身のバンパイアとて、残念ながら流石に斬首から立ち還ることはない。
 
 事実、それを示すように、華麗なマゼンタピンクのドレスから出た小さな手足の先は、白く燃え尽きた炭のように、微細にささくれて捲(めく)れ上がっていた。
 
 そして、それらの瓦解した末端の部位とは、今魔界の瘴気風に吹かれ、風化した石畳に火の粉混じりの灰として儚く舞い散っていた。

「カミラーさん!! カミラーさん!! 眼を、眼を開けてぐだざいよーッ!!
 ド、ドラクロワざーん!! こんな時にどこに行ったんでずがー!!?」
 ユリアがカミラーに覆い被さるようにして泣きわめくが、あの居丈高だった我儘(わがまま)吸血姫は、今や完全なる静物と化していた。

「──そんな、そんなバカな……あ、あまりに、あまりに呆気なさ過ぎる!
 おいカミラー!! 戻って来い!! 我々はまだ魔王を倒してはいないんだぞ! まだまだ宿命の旅は始まったばかりなんだぞ!! た、頼むからこんなところで朽ち果てないでくれ!」
 いつも冷静沈着なシャンも僅(わず)かに声が震えていた。

「ねぇ、ねぇ──」
 マリーナがその後ろで、どこか遠くを指差して言った。

「な、なんでずがー? ハッ!! ド、ドラクロワざんでずが!?」
 ユリアが汁まみれの酷い顔を上げた。

「イヤ、アイツだよ、アイツが、来るよ。
 カミラーをこんなにした、アイツが──」
 顔に魔界の紫影(しえい)が落ちたマリーナは、ガリッという歯軋りと共に、面妖なる血の色廊下を疾走して迫り来る、あの鋼鉄の片角魔人へと皆を喚起した。

「──そう、ですか」
 ユリアが妙に冷めた声音で応えた。

「うん。あれは、さながら不可避なる死そのものだな。
 ここの風は我等の心身を酷く蝕(むしば)んで、どうしようもなく消耗させているが……」
 シャンが枯れたような声で呟いた。

「アハッ! やるしかないっ! てねッ!!」
 マリーナが金剛石の欠片ような涙を散らして、家宝の大剣を握りしめた。

「私、こんなに……こんなに……」
 ユリアも震える手で魔法杖を握りしめる。

「──うん。では、いつかの惨敗を喫した夜、我等で共に考えた、あの三位一体の秘技を試してみるか……」

「だね! あ、でもさ? もしアレが通じなかったら、サッスガにアタシらもお仕舞いだねぇ? アッハ!!」

「な、なにを言うんですかマリーナさんっ!! 私達は……負けません!! 私達は、こ、こんな道半ばでは絶対に、絶対に、絶対に終わりませんからァッ!! 」
 ユリアは最後の力を振り絞るように、丸い膝小僧を押して屹立(きつりつ)し、野獣のごとく咆哮して襲来する、暴走の宿敵ジビエ=マルカッサンを睨んだ。
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