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150話 パラダイス

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 さて、その狂喜乱舞する魔王が高らかに哄笑を響き渡らせた、大ドンチャン騒ぎの夜が明けた、殆(ほとん)ど昼に迫るような翌朝。
 その同じ娼館の同じ間にて、また同じ面子が集結していた。

 そして、またもやそこには、昨夜の宴に負けず劣らず、金に糸目をなんとやらで、近隣の名店から取り寄せた、恐ろしく豪勢な美食の群が、爽やかな朝食然とした毛色を見せ、少しの惜し気もなく、ふんだんに提供されていた。

 それらの立食式(ビュッフェ)のもてなしに、鋼鉄の底なし胃袋を誇る大健啖家(くいしんぼう)のマリーナは、遠慮という装飾を全く廃した満面の笑みで駆け寄り、即座に挑み掛かるや、すでに早、三枚目のステーキに牙をたてていた。

 「うっひゃー!!アタシャこーんなに美味(ウマ)い肉、生まれて初めて食べたよー!!
 昨日のご馳走もスゴかったけど、今朝のコレも、んもー、ポポンポンっ!て目ん玉が飛び出しそーな美味さだよね!?
 あーアタシ、ホンット勇者やってて良かったー!!アハッ!
 て、アレ?ちょいとバラキエルサーン?アンタどーしたの?スッゴク顔色悪いじゃない!昨日はあんまし寝らんなかったのかい?」
 と、無遠慮に言って、止めに、その牛脂で艶めく健康的な赤い唇を、大きなブロッコリーの緑の栓で封じた。

 これに陰鬱そのもので、暗い陰の射したような、蒼白く窶(やつ)れ切った半死人顔の美中年は
 「……あ、は、はい……。その……私としましては、その、どちらかと言えば猫派でして……」
 と、混濁した意識であらぬことを呟(つぶや)き、焦点の定まらぬ虚ろな翡翠の瞳で、ボンヤリと手前の清涼なる水の入ったグラスを見つめていた。

 その憔悴具合を満足気に眺める、相変わらずの朝呑みの暗黒魔王は
 「フフフ……このバラキエル。俺の施してやった、昨夜のあの醜怪なる邪神の配下の退散・滅殺の術式という、そうそうは味わえぬ荒療治の副産物・余波というヤツに翻弄されておる最中なのであろうよ。
 フフフ……まぁ捨ておけい。
 ウム。それより……確か……。あぁ、リョウトウとやら……」
 と、稀少なる相の発掘・採集という、己の趣味に全開で走った結果。
 図らずとも、うっかりと余りに理不尽な暗黒の深淵・真理に触れてしまい、もはや何をどう信じてよいのか分からなくなった、このフリュース・デュ・マル(悪の華)の憐れな精神崩壊の当主から、その傍(かたわ)らにて美麗なる硝子(ガラス)の水差しを手にして立つ、若い美貌の番頭へと顔をやった。

 これに、いかにも聡明・利発そうな金髪の美青年は
 「はっ。ドラクロワ様。なんなりと」
 と、慇懃に頭を垂れて応えた。

 ドラクロワは緑色の空瓶を無造作に、コッとテーブルへ置き、殆(ほとん)ど玉座を想わせるような、恐ろしく豪奢(ごうしゃ)な造りの席に深く座り直し、長く白い指を眼前で組み合わせて菱形を作り
 「ウム。いやなに、先ほどお前が口にした、この都の南に有るという、どうにも聞き捨てならん街のことよ。
 少し前、そこのユリアの大きなくしゃみで以(もっ)て、その街の話が途切れ、それっきり話題が逸(そ)れたままではあったが、やはり話を戻し、今一度、その街について詳しく聞いておきたいと思ってな」
 と、心中にて猛(たけ)る焔(ほのお)のごとき、狂おしき好奇としか言えない感情の荒波を圧殺し、表層では、さも何気なくを装い、新たな葡萄酒を隣席のカミラーから受け取った。

 これに同調するようにして、同円卓にて薄目となったシャンも、冷水の揺れるゴブレットを無音で置き、細長い黒革の脚を組み換え
 「うん。その街の話、私もずっと気になっていた。
 先ほどのリョウトウ殿は、確か、そこのことを魔王崇拝の横行せし邪教の街、と言ったな」
 と、冷々とした深紫の刃となって、ザックと会談に食い込んできた。

 これに隣席のマリーナは、ふっと眉根を寄せて怪訝な顔となり、ポリポリと左の頬を掻きながら
 「あえっ?なんだいなんだい?そんな話、アタシは全っ然聴いてないけどー?
 え?いつそんな話になったんだい?」
 飛び込んで来た初耳に、忙(せわ)しない咀嚼(そしゃく)を一時停止した。

 「無駄乳よ……。それはじゃなぁ、ここに来てからのお前という奴は、絶えず薄みっともなくも、ガツガツと飢えた豚みたいになって、鼻息荒くもその取り皿に料理を盛るのに夢中になっておったからじゃ」
 と、静かにスミレ色のティーカップを下ろしながら、実に軽蔑仕切った顔で向かいに毒づくカミラーだった。
 
 これにマリーナはいつもと変わらぬ、蛙の面にナンとやらであり
 「ハイハイ。確かにおっしゃるとーり、ブヒブヒ、ブーブーしてましたよー、と。
 んでリョウトウサーン。そのとーんでもなく悪っそーな街がなんだってー?」
 と、漸(ようや)く両手のナイフ・フォークを置いた。

 リョウトウはその美貌の女戦士に歩み、恭(うやうや)しくそのゴブレットに水を注ぐと
 「はい。先ほど勇者様方のご歓談が、これから先の旅程のお話になった折、畏(おそ)れ多くも、この私から謹んで提言させていただきました。
 その街というのは、ここから南方に馬で一日ほど駆けた、渓谷に挟まれるようにしてある悪逆無道なる凶街、''ヴァイス''にございます。
 その穢(けが)れ切った街とは、確かに人間族の住む区でありながらも、こともあろうか街ぐるみで魔王崇拝を信奉しているという噂にございます。
 ある筋から伝え聞いた話によれば、何やらその街の中央には、巨大な魔王の石像がそびえ立っており、それを崇(あが)めるおぞましき式典。
 その闇儀式の際には、近隣から拐(さら)ってきた、汚れなき乙女の脈打つ心臓が捧げられ……魔王の歪んだ支配を讃える暗黒の聖歌が暗く、そして低く鳴り響くのだ、とか……」
 と、幾らか食事中の者らを気遣ってか、声の量をしぼりつつも、オドロオドロしく語った。

 これに、片眼鏡の老人は究めて遺憾の面持ちで低く唸(うな)り
 「なんと、リョウトウ殿も、そこまであの独創的な邪教街、ヴァイスの噂をご存知であったか……。
 うむぅ……朝も夜も魔王讃歌の絶えぬ、鬼畜外道の徒の巣食う蛇の穴、ヴァイス……お、恐ろしい!」
 純黒のシルクハットの鍔(つば)を掴んで俯(うつむ)いた。 

 これに、ソバカスの愛らしい顔を思い切りしかめたユリアは
 「うわっ!!何ですかソレー!?そんな汚らわしい邪教の街なんて絶対に許せません!!
 そりゃー確かに、この星には七大女神様達を畏れぬ、邪悪な魔王崇拝の人達がある一定は存在するだろうし、そんな人達が事実居るらしい、とは聞いていましたが、それがこの大陸に堂々と、しかも割りとここの近所に居るなんて……。
 んもー最っ悪っですっ!!そういうことならドラクロワさん!!勿論(モチロン)、私達の次の行き先は、そのヴァイスに決まり!!ですよね!!?」
 生真面目なこの娘らしくも大いに憤慨し、フンス!と、ちんまりとした鼻を鳴らした。

 彼女の両脇の神官位のアンとビスも
 「闇儀式……。もしもそれが本当なら、なんて、なんて酷い事を考えるのでしょう……」
 「そんな……ひとつの街ごと魔王崇拝に堕するなんて……にわかには信じられません」
 と、まさにやりきれないといったばかりの悲痛な顔となり、ドーベルマンみたいな犬耳を、ペタッと伏せ、首を横に振る。

 シャンも同様の険しい目付きとなって
 「その情報、真偽のほどは解らんが、単なる流言飛語の類いであると一笑に付し、見過ごす訳にもいかんな。
 なんと言っても、我々はこの星の闇を永遠に払う光の勇者なのだからな。
 しかし、老若男女の全てが、あの悪の権化である魔王を崇拝、いや狂信し、拝み祀(まつ)る為に存在する街、とはな……。
 うん、少なからず驚いた。
 私としては、その冒涜の極みにして、正しく神をも畏れぬの背信の街、ヴァイスとやら、その存在。一刻たりとも赦(ゆる)しがたい。
 ドラクロワ。そうなれば、直ぐにでもここを発(た)って、そこの街の事実関係を実見・調査し、必要とあらばその者達を戒め、見事、七大女神様達の善なる光の下へと改心させようではないか」
 と、篤信(とくしん)の七つの神の使徒、伝説の光の勇者に相応しく言って、正しく悪即斬の勢いで、異端審問の旅へと勇者団長を駆り立てたのである。

 無論、これを聴いた光の乙女達の高純度なる聖属性の血という血は、その身体の隅々にいたるまで滾(たぎ)りに滾り、その従者ら2名をも含め、それら各々の双眸は正義の炎に燃えたのである。

 だが、その一方で、つい吹き出しそうになるのをなんとか堪(こら)え、嬉々とした、実に潤いのある真紅の瞳を己が主(あるじ)へと流すカミラーがいた。
 
 果して、漆黒の美しき彫像と化し、じっと押し黙っていたドラクロワは、突如、暗黒甲冑の膝を、はっしと打って鳴らし、最高級のアメジストに酷似した瞳に、ギンッ!とした灯(ひ)を点(とも)すや
 「是非もなしっ!!」
 と、違う意味で大いに奮い起(た)った、とか。
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