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108話 シャンはバンパイアのきゅうしょをついた

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 代理格闘遊戯。その闇の盤上では、シャンの内奥(なか)を如実に描出・具現化した、霊験あらたかなる金色の戦士を、まるでひしゃげた歪(いびつ)な金盥(かねだらい)みたいに、ぺしゃんこにして、それに黄色い炎を噴かせた、暗黒色の巨大な拳が急激に縮小していた。

 それは、薄汚い装いの男児の伸び切って垂れ下がった、黒大蛇みたいな左腕へと繋(つな)がっており、恐るべき速度で減殺していき、掃除機のコードのごとく、高速でそこへと吸い取られたのである。
 
 そうして、この男児も黄色の螺旋火柱となって消えて失せ、この代理格闘遊戯は勝ち抜き形式における最終決着を見せた。
 終わってみれば結局、魔王ドラクロワの堂々の大勝利であった。


 さて、そのギャラリー達は、ドラクロワの見立て通り、カサノヴァ、ルリ、ラタトゥイユ、その他の若者達も揃って亡霊であった。

 だが、この田舎町の全てが遠い過去に滅んで忘れ去られた"死街"という訳ではなく、光の勇者団がそこの地階から退出し、一階の宿の受付へと向かうと、そこに居たのは人間の男であって、ちゃんと血肉のある、このダスクの町の酒場兼宿屋を営む商人、その夜勤の店番であった。

 この枯れ葉舞うダスクとは、特に見所もなく、辺境の片田舎の単なる寂れた村であるため、今夜も勇者団の他に泊まり客はなかった。

 それに満足そうにうなずいた魔王の指示のもと、会計担当のカミラーにより、地階の酒場の葡萄酒の料金、今宵の部屋料とが支払われ、各々は、かりそめの塒(ねぐら)となる古びた部屋へと分けられた。
 
 だが、地下で味わった酒も料理も、それらは虚(うつ)ろな死霊のもてなした朧幻(おぼろげん)であった為、マリーナを総大将・中心として、餓え渇いた女勇者達は、今時分に出せるモノを訊(たず)ね、それをルームサービスとして頼んだ。
 魔王もそれに釣られて、寝酒として、振らなくてもよい葡萄酒を幾本か所望した。

 
 この古風な漆喰(しっくい)の宿屋。主人の趣味か、二階は大浴場完備となっており、そこに男女の区別はなく、所謂(いわゆる)、混浴であった為、先(ま)ずは黒一点のドラクロワから湯を浴(あ)む事にした。

 さて、それを気長に待つ女勇者達は、二つ借りた四人大部屋の一方に集まり、ドラクロワの長湯を待つ傍(かたわ)ら、ルームサービスの野菜たっぷりの鶏のクリーム煮込み、カラシの効いたサンドイッチ等々をつつきながら、夜更かしの続きを楽しむのであった。

 マリーナは古風な造りのダブルベッドを軋(きし)ませながら
 「あー面白かったぁ!あの、おかしな机での決闘は最っ高に楽しかったねー!?
 アタシャあんなの初めて見たよー。あんなによく出来た遊戯(ゲーム)って、この大陸の王様も見たことないんじゃないのかい?」

 ユリアは、木のスプーンに乗っかる熱いキノコを吹きながら
 「そうですね。もしあれを大量に生産出来れば大金持ちになれるかも知れませんねー。
 でも、あれほどまでに絶妙で高度な魔法遊戯盤となると、そう誰でもおいそれと造れるものではないでしょうけど。
 それに、あの代理格闘戦士は喚(よ)び出した人間(プレイヤー)の意思とか気持ちを一切汲(く)まず、まさに否応(いやおう)なしに、その人の本性をさらけ出してしまうので、私のように恥ずかしい思いをするという危険性もありますね……。
 うぅ。私ってあんなに攻撃的かなぁ?」
 自らの獰猛(どうもう)な凶暴性を露(あらわ)にした、先の白い翼の代理格闘戦士を脳裏に描いた。

 シャンは深紫のダブルストラップの手首、その先の蒼いカクテルをゆったりと回しながら
 「フフフ……。だからこそ面白いともいえるがな。
 心配するなユリア。通常、人とは己さえも気付かぬ、それこそ思いもよらぬ面を備えているものだ。
 私も、あのように奇妙な金無垢(きんむく)の戦士が描画されるとは思わなかった。
 まぁ、内に秘めたる影も、二面性もない例外的人間も居るがな」

 マリーナは底を天井に向けたエールジョッキを下ろして、その健康的な紅き唇の泡を舐め
 「アッハハハ!そうそう!アタシのヤツッたらさ、ただのちっこいアタシだったねぇ。
 アレってばさ、ホントつまんなかったよー。
 もっとこう……デッカイ真っ赤なドラゴンでも出てくりゃー、ガゼン盛り上がったんじゃーないかなぁ?」
 少し済まなそうな、何処(どこか)か詫(わ)びるような顔になった。

 それにプラチナブロンドのおかっぱ犬耳頭は首を横に振り
 「いえいえ。シャン様のご考察通り、如何(いか)なる状況下でも、決して何者にも変容しない、あの盤上での確固たるマリーナ様のお姿は、とても凛々(りり)しく意義深いモノであったと思います。
 それに引き換え、私の代理格闘戦士ときたら……。
 あっ!そろそろドラクロワ様のお背中を流さなくては!
 で、では私、失礼いたします」
 思い出したように、赤い顔でタオル片手に階下の大浴場へと立った。

 カミラーは、その純白のフリルブルマに凄まじい眼光と殺気魄(さっきはく)とをぶつけて
 「フン!こんの助平娘がぁ!!さっさと往(い)って、さっと済ませて帰ってこい!
 あヤツめぃ、常からドラクロワ様の裸体を淫(みだ)らに思い巡らしておるのが見え見えじゃー!
 かーっ!!汚らわしいことこの上ないわい!!」
 と極めて不機嫌な顔でハーブティのカップに小さな牙を立てて、キリッとそれを鳴らしてから啜(すす)った。

 褐色の姉、ビスは、チョコチップのビスケットをかじっていたが
 「助平(すけべい)……ですか……。な、何だか申し訳ありません。
 あぁ!そういえば、いつも想うのですが、いえ、決してそういう意味ではなく!
 あの、えーっと、ドラクロワ様は眉目秀麗(びもくしゅうれい)なるご容姿であられ、魔法も究極のモノを楽々と行使なされます。
 それからこの度の遊戯でも、まさに有無を言わさぬ、恐ろしい程の強力さをお示しになられました……。
 そこで、私はこう想うのです。あのお方には"弱点"といったものはないのかしら?と……」
 自分は代理格闘遊戯に参加しなくて良かったと、心底から安堵(あんど)しながら、誰となく訊ねた。

 カミラーは、反射的にそれを鼻で嘲笑(わら)って
 「たわけい!あの完全無欠のドラクロワ様に欠点などあるものか!」

 「はぁ」と、うつむくビスの隣で、これにシャンが首を傾(かし)げて
 「いや、あるかも知れない」
 と冷厳とした風に、異議を唱えてみせた。

 当然、憤然となる女バンパイアであったが、それに揺らぐことなく女アサシンが続ける。
 
 「まあ聴け、カミラー。私は別にアイツを誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)するつもりはないんだ。
 いいか?確かにあの男。一見すると、無敵無双の完全無欠に見える。
 だが、殊(こと)、感情表現というものに関しては、苦手で乏しいところがあるように見受けられる。
 つまりだ。ドラクロワという、あの傑物大器(けつぶつたいき)なる人間は、何かの気持ちや感情の粒(つぶ)さな機微(きび)というやつを顕(あらわ)したり、形にしたりすることに関しては苦手そのものではないか?ということだ。
 まぁ、この私が言えた義理ではないが……」
 東洋的美女は、好物の蒼い酒で濡れた、ゴールドの紅を点(さ)した唇を舐めて言った。

 マリーナもそれに深々とうなずき、ニコニコとして賛同をして見せ
 「あーそれそれー!アタシも思った!アイツはそういう弱点があるかもしんないねぇ!?
 うんうん!いっつも、どんな事や何が起きても、あの白く塗った鉄仮面みたいな顔してんだもんねー!
 ウム、カミラーよ。今宵は俺の背を流してくれ。
 そうだな、出来れば"前"も宜しく頼む……みたいな!?
 アッハハハッー!アイツってば、真面目な顔して、何でもフツーに言いそーじゃない!?」
 意外にもこの声帯模写(モノマネ)は堂(どう)に入(い)っていたという。

 これにカミラーは、ボッ!と顔を燃やすようにして林檎(リンゴ)のように紅潮させ、手近のナイフやらフォークやらを女戦士へと乱投して
 「コココココ、コラッ無駄乳ぃ!ドドド、ドラクロワ様がそんなことを仰有(おっしゃ)られる訳がなかろう!!
 うぬれぃ!!破廉恥が過ぎるぞよ!
 今日という今日は、その空っぽの頭蓋を錫(すず)の針山にしてくれる!!」
 その乱射を軽く首を捻って交(か)わすマリーナへ、ナイフフォークだけでは飽き足らず、残りのティースプーンまで投げつけた。

 すると忽(たちま)ち、ドカカカカッ!と女戦士の後ろの壁が鳴り、そこは矢場の的のごとく錫食器の生け花となった。

 ユリアもそれを振り返って、図太くも微笑みつつ
 「ウフフフフ……そうですねー。ウンウン!そういう所はあるかもですねー。
 いつかはドラクロワさんの弱った顔、見てみたいですねー!?
 あっ!じゃあじゃあ!丁度ここから南へ下ると芸術の都"カデンツァ"ですから、そこでドラクロワさんに絵とか楽器の演奏とかやってもらって、その感性を存分に表現してもらいましょうか?
 ドラクロワさん、何だかそーいうのはスッゴく下手そうじゃないですかー!?ウフフフフ……」
 ソバカスの愛らしい顔は、絶妙な悪戯(いたずら)を思い付いた子供みたいな、そんな意地悪な顔になった。

 シャンはそれへ指を指(さ)さんばかりに、真っ直ぐな視線を向けて
 「そうだ。私もそれを提言したかったんだ。フフフ……たまにはあの男の気不味そうな顔を見てみたいものだな。
 私は、弦を張った楽器なら何でも得意だ。マリーナは、ちょっと描いた絵が中々に上手かったな。
 ユリアは聖歌の歌唱力が抜群に素晴らしいし。
 ウン、ここは一つ、彼(か)のドラクロワさんには、ギャフンと吠えていただこうか?」

 カミラーが猛(たけ)り狂うのを他所(よそ)に、連帯感に満ち溢(あふ)れた、一致団結の「賛成!」との声と、実に愉しげな笑い声とが、この田舎町の安宿に木霊(こだま)した。

 小さな猛烈台風のごとくに騒ぐ、魔王の忠心なる僕、カミラーのその尖った耳の元へ
 「お前とて、ドラクロワのそういうカワイイ一面(いちめん)、絵や演奏が巧く出来ず、ばつが悪くなって、照れたように、はにかむ顔が見たいだろ?」
 と、前髪を眉の所で一直線に切り揃えた悪魔が、そっと囁(ささや)いた。

 すると、荒れ狂う台風は一変して、穏やかな温帯低気圧と化したという。


 さて、その二階では、紫の紋様の背(せな)を流し終え、目線を下に畏(かしこ)まるアンに
 「俺はこれより直ぐに上がる。後は女達で好きに入るよう申し伝えよ」
 と短く指示したドラクロワは、灰銀のメイド服のそれを去らせた。

 そして、裏では自分に対する、恐ろしい赤っ恥への策謀が練られていることなどは露知らず、白い身体を碌(ろく)に拭(ふ)きもせず、自室へと引き込み、ガウンを着ることもなく、一糸纏(まと)わぬ裸身で古風なベッドへと横たわり、直ぐに高いびきをかき始めたのである。
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