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76話 その昔、お師匠様は頑張った

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 両の肩口に、そのツリルとした金仮面を挟むようにして、ロメインレタスの葉のごとき、縦鰭(たてひれ)の立つオリーブ色の法衣。

 その金糸の刺繍で優美に描かれた、蠍(さそり)か蟹(かに)かの意匠の施された胸前に、細い左の手を伸ばし、先を滑らかな四角に切り揃え、そこにスパークルグリーンのマニキュアを施した手先を見つめ
 「では、順番に処刑を始めましょうか」
 聖女コーサは特に気を張る風もなく、その目線を、色白で滑らかな指先から女勇者達へと向けた。

 女勇者団は銘々の自慢の武器を手に、混戦となった場合、互いにそれらが干渉し合わぬよう、各々の距離を開けた。

 切れ毛も枝毛もない長い金髪を束ね、それを頭頂に近い、頭の後ろで子馬の尻尾のごとく高く結った、右の瞳のあろう辺りに大きなルビーを据えた、黒革の眼帯装備の分かりやすい美人は
 「順番?アンタさっきから処刑、処刑っていってるけどさ、それってアンタと、このジーサン達で何かやんのかい?
 何かみんなで、こーんな感じで、手から魔法の雷みたいなのを、バリバリズドーン!ドビャーッて出してね。
 あ、それよりさ、そこの万歳で白目剥いてる、謎のノッポのジーサンはなんだい?」
 深紅のビキニみたいな部分鎧の女戦士は、前にかざした身ぶり手振りを解いて、長い人差し指で天空の巨大スクリーンのカメラ役、老アロサスを指差した。

 それに感応するように、桃色閃光眼のアロサスがマリーナの方を向くと、戸外、その天空の六面の巨大モニターに、この大柄な傷だらけの女戦士が
 「わっ、まぶし!こっち見んな!こっち見んな!」
 という、近隣一帯に轟く大音声と共に写し出された。

 コーサは頭を横に振り、垂れた繊細な耳飾りの先のエメラルドの小玉で、コチコチと金仮面の縁(ふち)を鳴らし、マリーナの見立てへの不正解を告知しつつ
 「この者は先ほどから、見るものを天空に大きく描いています。
 それというのも、号外に違(たが)わず、この処刑を公開のものとする為です。
 そうですね、ではあなた。破廉恥で、知性も教養も根こそぎ一切感じられない、躾(しつけ)のなっていない、ガサツな雌の野蛮猿がそのまま剣を担いでいるような、そう、処刑はあなたから始めることといたしましょうか」

 マリーナは、ブラウンの柳眉(りゅうび)を八の字にし、ハムッと血色のよい下唇を噛んで「ん?」と仲間の方を振り向くと
 「これ、なんでこっちを見る?今のはどう考えてもお前のことじゃろうが」
 と、呆れたような顔のカミラーに、毛細血管が透けるように白い、小さな顎をしゃくられた。

 マリーナは、心底意外・心外といった顔になり、深紅のグローブをした、長い人差し指で自分の鼻筋を差し
 「えっ?アタシ?ウッソォー?まったまたー。
 うーん……あっそっか!そーいやぁ剣を担いでいるのアタシだけだったねぇ。
 さっ、聖女様。アンタさ、このアタシをどう料理してくれんだい!?」
 マリーナは背中に担いだ、長大な斬馬刀のごときグレートソードの柄(つか)に手をかけて、眼帯の反対、澄んだサファイアの左目で油断なくコーサ、そして居並ぶ上級神官等を睨んだ。

 美しい幼女にしか見えない女バンパイアは「この大たわけ!そこじゃないわ!少しは傷付け!この能天気の無駄乳娘がー!」と、ツッこもうとしたが、何だか気が抜け、何もかも面倒臭くなって「阿呆(あほう)」とだけ短く呟(つぶや)いた。

 コーサはその全てを黙殺し、突然、左の手を仮面の顎まで上げ、その薬指一本を立て、本物の顎と黄金の仮面の間へと差し入れ、ミギッ!ビリッ!と音をさせ、クンッと僅かに下方へと左手を引いた。

 そうして今度は、その同じ隙間に親指と人差し指を入れ、そこから薬指の先にあったはずの四角い生爪を摘まみ出したのである。

 見ていたマリーナは「いっ!?」と痛そうに顔をしかめて
 「ちょっ、アンタ何やってんだい!?うわーっ!痛たたたた!!
 いっきなり爪なんか剥がしちゃってさー。そっか、カミラーが阿呆とか言ったから頭に来て、ついやっちまったんだね?
 あー、ホラホラそこの指、結構血ぃ出てるよ!?
 ちょっと待って、今、薬草の包帯あげっからさ」
 聖女の唐突な奇異・不可解な行動に面喰らいながらも、底が少し砂金に沈んだ、深紅のブーツの足元、革の肩掛け鞄に屈み込み   「えーっと、薬草ちゃーん」と中の私物をゴソゴソとやり出した。

 それに美しいピンク甲冑の女児らしき者が
 「こんの、ど阿呆もの!今から成敗するべき敵の傷を心配する奴があるか!それより早う剣を抜け!」

 マリーナは思い立ったように「あ、そっか」と言って起立した。
 
 コーサはまたもや黙殺しながら、根っこからむしり取った、根元に半透明な僅かな肉すら残る、痛々しいスパークルグリーンの四角い爪を、コイントスのように親指で弾き、自分の前の砂場に放った。

 そうしておいて、無傷の若々しい右手を上げ、中空に浮かぶ見えない水晶玉を撫で回すようにして、ヒラヒラとそこの空気をかき回し始めた。

 すると、砂金砂場に転がったスパークルグリーンのケラチンとタンパク質の小片は、リーンと音を立てて輝き始め、エメラルド色に明滅しながら、脈動するように徐々に膨張してゆき、みるみる歪(いびつ)な米俵のように膨れ上がった。

 粘液状の糸を引くその塊は、部分的に黒いトゲ、まるでクリームソーダみたいな色合いのベージュと緑の鱗、それから鋼鉄の輝きとが混在しているのが視認できた。

 そして止(とど)まることを知らぬように、更にグングン、モリモリと膨らんで、やがて恐竜のような巨大なワニのごとき、水飴に濡れ滑(ぬめ)るような爬虫類の頭が、その膨張する緑の肉を掻き分けて、ズリュズリュッ……と外側へと這い出し、ボフッ!!と蒸気のような湯気と粘液を飛ばして、大きな鼻息を吹いた。

 それを仲間と呆然と見入っていた、女魔法賢者ユリアが、あっと口を開き
 「こ、これは!?だ、代償式(だいしょうしき)の御供召喚(ごくうしょうかん)!!?
 マリーナさん!!気を付けて下さい!!その生き物は、とてつもなく強いはずです!!」

 傍(かたわ)らのシャンは、聞き慣れないそのフレーズに、上質なトパーズのような瞳を細め
 「なんだそれは?召喚魔法の類いか?」

 ユリアは、狂おしき好奇心と戦慄とが、ない交ぜになった上気した顔で
 「ええ、召喚魔法です!しかし、一般の精霊召喚術とは大きく異なり、これは古(いにしえ)の魔人との契約が必須の闇魔法です。
 今、彼女がしたように、自らの体の一部を、苦痛と共に供物(くもつ)として魔人に捧げることにより、魔人選り抜きの魔界の超危険生物を召喚・使役することが可能になるという、禁断の外法邪術です!!
 確か、お師匠様秘蔵の闇魔法の文献によると、この魔法、使用者が支払う苦痛が大きければ大きいほど、より強力な魔物を召喚出来る、とありました。
 この魔法が実際に使われたという記録は殆どなく、それは過去にたった一度切り。
 それも伝説級に遠い昔ですが、当時の勇者達が率いる、人間と亜人種の強力な連合軍に、なんと前線にて、油断した魔王が深傷を負わされるという事があったようです。
 その連合軍は、これぞ勝機!と、北の魔王城にまで攻め込みました。
 そこで、その連合軍に対抗すべく、ある上級魔族により、この外法邪術が魔王軍本隊の特別強化の為に使用されたことがあったようです。
 その魔族とは、当時の魔導大将軍。確か……そう!その名は"ゲンズブール"とかいう、上級魔族のとんでもない天才大魔導師だったようです!
 彼は、その"せいしょくき"と引き換えに、双頭の暗黒水晶竜を召喚したといいます。
 長生きのカミラーさん!あなたはこの伝承とゲンズブールという名、耳にしたことはありませんか?
 あぁ、そういえば、魔導大将軍の捧げた"せいしょくき"ってなんのことですかね?」

 リウゴウ達も女勇者達も、黙して、この長い初耳の解説を聴いていたが、カミラーが純白の眉を片方上げ
 「何?生殖器じゃと?そんなの金、」

 そこへ大神殿を震わせるような大咆哮。

 その声の主、禁じられた闇の召喚術により招かれたものは、パチリと開かれた、大蛇のような細く狭い瞳を黒丸にし、先の割れた毒々しい斑(まだら)紫の舌を、プチュルルルと口内へと吸い上げつつも立ち上がった、身の丈は軽く五メートルを越す、鋼鉄の部分鎧の巨人であった。

 その真っ黒い鉤爪の伸びる緑鱗の手で、飾り気のない、刃こぼれだらけの二振りの蛮刀と武骨な作りの鋼鉄の円形盾を握り、白いナイフのような牙が、ズラリと並ぶ口を広げ、グバァッー!!と再び叫んだものは、まるで二足歩行のドラゴンを想わせるような大蜥蜴(おおとかげ)の巨人であった。

 それは田舎の河辺で小魚を突く、二メートルクラスの標準的なリザードマンではなく、正しく魔界の住人、その古代種たるグレートリザードマンであり、よりにもよって、その四本腕の狂戦士が招きに応じ、ここに転送を完了させていた。

 刀身の中央にルーン文字のびっしりと刻まれた、父親から受け継いだ勇者の装備である、両刃の長大な鋼の両手剣を抜刀したマリーナは、その魔界の狂戦士の頭頂、そこへ皮膜の鶏冠(とさか)が、ビラッと起き上がるのを自然と見上げる格好になり、その巨影に陰った。

 「なーるほどね。処刑ってのは、こういうことだったのかい。
 ふーん。コイツ、リザードマンにしては大きいねー。
 いいさ、何だろうとバッチシ相手したげる!!
 みんな!アタシも、そんでコイツも戦士みたい。そーとくれば、ここはいっちょ一騎打ちといきたいからさ、悪ぃけど手を出さないでくれるかい?
 ユリア!安心しなー!アタシは向こうの世界で、この程度はゴマンと倒してきたからさ!」
 そう喚(わめ)き、信じられないほど分厚い剛刀を斜め下に構え、剣豪の風格も充分、絵のように美しい女戦士は不敵に微笑んだ。 

 アンとビスも揃って、咆哮の緑鱗巨人に仰天・驚愕していたが、何とか鋼鉄芯の六角棒を握り直し、この場に加勢すべきかを決めあぐね、光の勇者ユリアを振り仰いだ。

 しかし、当のサフラン色のミニスカローブの女魔法賢者は、珍物件中の珍物件、伝説上の禁呪の御供召喚により、突如現れた魔界生物に恍惚・陶然(とうぜん)となっており、その魂もとろけんばかりに完全に魅了されていた。

 だが、自分の名前を叫ばれ、ハッとしてヨダレを拭う仕草をし
 「あえっ!?マリーナさん?あのー、今、何か言いましたー!?」    

 マリーナは視線はグレートリザードマンのまま、刀傷だらけの左手を上げ
 「ゴメンゴメーン!そっか、コイツはアンタにゃヨダレもんだったね!
 あー、何でもなーい!応援ヨロシクー!って言っただけー!」

 ユリアは深く首肯し、大きなルビーの穿(うが)たれた、ネジくれた魔法杖を腋に挟み、両手を口に添え
 「マリーナさーん!ガンバっ、あっ、アンさんビスさんも一緒にお願いします!
 せっーのっ!マリーナさーん!ガン!バってー!!
 あっ!でも、魔界生物のグレートリザードマンがどんな戦い方をするのか、スッゴク興味があるので、出来れば手の内を出し切らせて、ゆっくりと闘って下さーい!」
 
 カミラーは呆れ果たタメ息で
 「お前達……。わらわ程ではないが、長生きしそうじゃな……」
 小さな肩をすくめて、カチャンッと桜色の甲冑を鳴らした。
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