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60話 マリーナの望む悦楽の世界

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 伝説の光の勇者の旅は、遂に終点であるここ、魔王の棲む暗黒島へと辿り着いた。

 美貌の女戦士マリーナは、闇の地下湖の墨汁のごとき冷たく凪いだ水面に浮かぶ、マストにカンテラひとつを吊るした、小さな一艘(いっそう)の渡し舟から、魔王城の地下門の前に降り立った。

 鋼鉄の大門の両脇に燃え盛る篝火(かがりび)に輝く、絢爛たる女戦士の真紅の部分甲冑は、太古の昔、初代勇者達がその身に纏(まと)ったとされる、ドワーフ族の天工鍛冶職人の五人等が鍛え上げた伝説の鎧であり、両手剣であった。
 
 それ等の装備の芯であり、核をなす肉体には、巨大なバスト以外には無駄な肉は一切なく、聖剣を振るい、魔と邪を滅する為だけに特化して鍛え上げられた、正に究極の退魔戦闘マシーンといえた。
 
 だが、戦闘機は一基のみのようで、小船にも、地下湖の闇の先にも彼女の仲間達は見えなかった。

 残念ながら光の勇者の仲間達は、ここまで来る旅の途中で遭遇した凶敵、竜王レッドドラゴンとの死闘の末、皆倒れたのである。

 もはや生き残ったマリーナの頼れるものといえば、剣の腹(刃の中央)に大きくルーン文字の刻まれた、まるで斬馬刀のごとく長大な、一振りの両刃の聖なる剛刀だけであった。

 仲間達の悲願でもあった魔王討伐、遂にその闇の帝王のねぐらに降り立ったマリーナは、フッと片方だけになった目を閉じ、万感の想いを込め、その柄を握り締めた。

 そこへ地下門から、ガチッ、ガチッとどこまでも不吉で、威圧するような重さを伴った、板金の触れ合う音が鳴り近付く。

 「貴様が当節噂の光の勇者か?人間ごときがよくぞこの魔王城まで辿り着けたものだ。
 褒美に暗黒騎士団長のこのアスタが直々に剣を交えてやろう」
 その声は黒雲内部の雷鳴を想わせ、意思の薄弱な者なら、聞いた瞬間、たちまち気死してしまいそうなほどに強烈な殺気を帯びたものだった。

 アスタの均整のとれた長身は、両の肩当てと兜を初めに、随所にドクロの意匠の刻まれた、不吉ながらも恐ろしく美麗な鎧兜を纏っており、なるほど確かに暗黒騎士であった。

 孤軍の団長は指先に鍵爪のある、墨のように黒いガントレットを腰にやり、ジャー!と耳を覆いたくなるような鞘鳴りを響かせさせながら剣を抜いた。

 開け放たれた城門の左右の大きな篝火が、その湾曲した片手剣を黒光(くろびか)りに輝かせる。

 その峰(みね)には漆黒の毒蛇が立体的に刻まれており、刃は紫色で僅かに波打っている。
 女剣士のマリーナは、一目でそれがかなりの名刀であることを理解した。

 魔王直下の暗黒騎士団の長は、長大な鉄(くろがね)の牙が噛み合わさったような冑の面頬の口元から、薄白い霧のような呼気を洩らし
 「我も貴様も剣士。そしてここは魔王様の居城。
 なれば、今更に口舌の刃の出る幕で無し!いざ尋常に!参る!!」
 ザクッ!ザクッ!ザンッ!ザンッ!と黒い鋼のブーツが砂の地を蹴り、目にも留まらぬ斬撃が来た。

 それを迎え撃つのは、炎に照され、燃え上がるように煌めく、高く結った豊かな黄金の髪、十字光を放つ大きなルビーの嵌まった眼帯、傷だらけの秀麗な顔を上げ、左のサファイアの瞳に漲(みなぎ)る闘志を宿らせた、運命に導かれし光の女戦士マリーナ。

 螺旋(らせん)角のような大きな棘の生えた、真紅の甲冑の左肩当てを前方に突き出すようにして、流れるように大きく体重移動をさせながら、砂地に下がった長剣の切っ先を跳ね上げるようにして、伝説の刃を逆袈裟に振るった。

 「ふんっ!」

 「でえあっ!」

 二剣士の気合い一閃の接点で、パッ!と大輪の火花が咲き、鋼鉄と鋼鉄の衝突音が、バギィンッ!と地下に鳴り響いた。


 後の先で迎撃の形となったマリーナの両手剣は、先に仕掛けたアスタの魔剣より数段速く、信じられない速度で天井方向へと天馬のごとく駆け上がり、暗黒騎士の厚重ねの鎧を斜めに切り裂いた。

 「ぐうっ!!なっ!?何という剣速か!?」

 ヒュンヒュン!ヒュンヒュン……ザンッ!!
 漆黒の湾曲した魔剣が遠くの地を刺して鳴いた。


 暗黒騎士とすれ違ったマリーナは不敵に微笑み
 「フフ……。正々堂々の一騎打ちにちょっと卑怯なようだけど、この剣はね、死んでいった仲間達全員の思いと正義の魂が乗っかってるんだ。
 アンタ、スゴい腕だけど、アタシ達みんなの力には敵わなかったみたいだね。
 ま、アンタ達魔族には一生分からないかも知れないけどさ」

 マリーナと背中合わせで、天井を仰ぐように仰け反った黒騎士は、左腰から右の頸(けい)まで出来た、漆黒の鎧の長い割け目から真っ赤な血煙を上げ
 「な、なるほど、仲間の魂……か。
 フフフ……な、なにやら不思議と悪くない気分だな……。
 数千年を生きて来たが、いつか我の死力を乗せた全力の一刀を振るって闘い、そしてこんな宿敵とも呼べる強者に斬られたかったような……どこかそんな気がする。
 フフフ……我の最期の敵が小細工なしの貴様で良かっ……た!」
 言ったきり、ドザンッ!と前のめりに倒れ伏す暗黒騎士団長アスタ。

 マリーナは典雅とさえいえる堂々とした動きで上段構えを下げ、静かに伝説剣の血潮を見下ろした。

 そしてサファイアの瞳を細め、それを悲しい色に変え
 「アンタもアタシ達と同じで、血は赤いんだね……。
 こんな出逢いでなけりゃ、一緒にエールを傾け合う仲間になれたかも、ね?
 悪くなかったよ、アンタの太刀筋……。
 ホント、魔王の兵隊なんかやらしとくには勿体ないくらいにね」

 マリーナはそう言うと、砂地の足元に放っていた革の袋から懐紙を取り出し、この女戦士らしくなく丹念に愛刀を浄め、背中に担いだ幅広な鞘の下を左手で引き下ろし、右手で、ガチンッ!と聖なる刃を納刀した。

 その優雅な動きには、剣豪だけが纏うことの出来るオーラのようなものと、それより一回り大きな哀しみが、熱さのないリンの炎のように漂っていた。

 隻眼の美しき孤独の女剣士は、門の先、等間隔に点々と篝火を灯し、うねりながら螺旋を画いて天井へと続く、とぐろを巻いた巨大な蛇のごとき長い回廊の先を見詰め
 「さて、後は魔王だね。みんな、行こうか!」
 真紅の手甲の左手首に巻いた、光沢のあるピンクの生地のフリルのリボンを見詰め、ナルシズムたっぷりに微笑んだ。

 そして、紅く長い鋼鉄のブーツを最終決戦へと踏み出そうとしたとき、なんの前触れもなく、遥か天井から降り注ぐ光が女戦士を打ち、眩(まばゆ)い紫電の大柱にした。

 「あぎゃーーー!」 


 マリーナは甘美な妄想世界から、強制的に現実の世界へと戻されたのである。
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