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第一章 小学生
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しおりを挟むあの出来事があって以来、トキワは何度かこの店を訪れた。遠慮がちな彼は積極的に注文をする方ではなく、やはりというべきか里親と一緒でない一人の今日は、自分が稼いだわけではない財布の中身を気にかけて食事やデザートの注文をしない。
幸哉がカウンター席に座る彼に百パーセントのオレンジジュースとサービスのヨーグルトケーキを差し出すと、分かりやすく喜びのオーラを醸しだす。何歳になってもケーキが好きな部分は変わらないらしい。
「最近の学校はどうだ?」
すっかりと食に夢中になっている少年を眺めながら幸哉は問いかけた。
五年前のトキワなら無言でケーキを食べ続けていたが、今はケーキよりも幸哉の問いに答える方を優先出来るようになっている。見られながら食べるのも、気付いてしまえば落ち着かないものだ。
「普通だよ。普通に朝起きて、普通に朝ご飯を食べて、普通に学校へ行って、普通に勉強して、普通に友達と遊んだり給食を食べたり、何も不自由はない。ホント、怖いくらいに」
「そっか……」
「昔の俺の環境からもそうだけど、普通を手にすることが一番難しくて、一番幸せなことなんだよな。父さんも母さんも何も言わないけどさ、俺の今の暮らしは二人の好意によって成り立っているわけじゃん。当たり前のことだと思ってはいけない。分かっているけど、この生活に慣れてくると時々忘れそうになる」
「いいじゃないか、時々忘れるくらい。当たり前だと思えるくらい幸せだって、たまには親に見せてみろよ。その方が親は安心するし、お前を引き取って良かったって、心からそう思える」
「どうだか」
「少なくとも刻間さん達はそういう人だよ」
施設に入れられたトキワのその後を幸哉が知っているのも、トキワが時折この店を訪れるのも、全てトキワが刻間夫婦によって引き取られたからだ。
家族として上手くいっていないわけでないことは、トキワや刻間の話から幸哉は容易に想像出来た。上手くいっているからこそトキワには不安が生じている。里親という壁は距離を感じるものであるが、壁があるからこそ後悔という感情を抱いたとき取り返しがつく。
おそらくトキワと刻間夫婦は、その壁を取り去ってしまったのだと幸哉は考えた。否、取り去ることに成功したのだろう。トキワに自信がないだけで、壁などなくとも問題ないのだから。
「知ってるか? 刻間の旦那さんもお前と同じ、旅行記を使ったことがあるんだ」
「旅行記?」
幸哉は立ち上がって棚の中から一つの箱を取り出した。深い緑色の布で覆われたその箱には店のマークが金色の箔で押されていて、いかにも高級そうな代物だ。幸哉がその箱の蓋をを開けると、斗夢の手作りである懐中時計がシルクの布の上で心地良いリズムを刻んでいる。
その時計はあの日、トキワが斗夢から貰った物。
「福沢時計店で扱っている、三つの奇跡の時計の内の一つ。自身の過去を見に行く力を秘め、一度だけ未来を変えるチャンスを与えてくれる、それが『旅行記』。刻間の旦那さんはああみえて、いいとこのお坊ちゃんでな。俺が六歳の頃に政略結婚をさせられそうになったんだ」
今のトキワよりも小さい頃の幸哉の記憶。保っていられたのは今日この日、義理の息子である彼に聞かせるためだろうか。幼い自分が父親の隣で目にした思い出を、幸哉は頭の中から引っ張り出した。
「刻間さんには当時付き合っている女性がいた。でもその女性は子供を身籠もることが出来ない身体だった。跡継ぎを必要とする刻間さんの両親は猛反対して、刻間さんも女性とは別れて親の決めた相手と結婚しようとした。だけど……」
人が示した道に幸福はなく、彼は長い時間頭の中ですっきりとしない感情に悩まされた。
「後悔したんだ。自分が選んだ道を進むのではなく後ろに戻りたいと強く願った。その想いの強さが、普通の人は見ることが叶わない福沢時計店のもう一つの名称を彼に見せた。今のお前にはもう、『店』の字は一つしか見えなかっただろ?」
丁度オレンジジュースをストローで飲み終えたトキワは直ぐに椅子から降りた。
注文を受けてもいないにもかかわらず追加のジュースを用意し始める幸哉を余所に、飛び出すように外へ出る。かつての背と同じくらいの高さであるA型看板を確かめると、そこには「福沢時計店」の文字と「本日は休業しました」という知らせの文字。普段は知らせの箇所にカフェの日替わりメニューが記されている。
そしてこれらの二つの間に、あの日はもう一つ書かれていた。
五年前、確かにトキワには「店」の字が二つ見えていた。
『見せなくていい。それは店で何かを、自分の手でレジに持って行ったときにだけ見せて渡しなさい』
『ここも店……』
『え?』
『看板に書いてあった。『店』って字が二つ、並んでた』
あの頃のトキワは書かれてあった店の名前がどちらも読めなかった。ただ五つの漢字の下にカッコで囲われた三つの漢字が並んであったことは覚えている。その字を五年経った今は思い出すことが出来ない。
「あの看板って幸哉さんが――っ」
「書いてるよ」
店内に戻ったトキワはドリンクおかわりを差し出された。聞きたいことの好奇心が優先して、それがサービスの一つであることに気付かない。
「けど、メニューを書き換えるくらいだ。他は字が消えてこない限りはそのまま。店の名前が変わらない限り、書き換える必要も……店の名前の一部を消す必要も無い」
もしもトキワが自力で看板の変化に気付いていれば、自身の記憶違いかボードの字が消されたのだと自己完結をして気に止めなかっただろう。幸哉の言い回しからして記憶違いではなく、文字は今もあそこに存在している。
「ここは福沢時計店。そして……」
特定の人にしか見えない。奇跡の時計を求める人だけが見えるもう一つの名前。時間の戻しを心から願う人ならば、その名前に惹かれて店の中へ足を運ばずにはいられない。
その名を――
「逆行店」
店内にある大きな古時計が、低音の音を響かせた。
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