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ジーランディア大陸編

【七陸・第三話】ア・ロ・ハ

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 七つの大陸~異世界転生した勇者の奇妙な人生~


 彼方に広がる万樹ばんじゅの森は、神秘を織り成す天の織物師が手懸けたかのように、茂みと影をつむぎ出していた。


 そこには、年輪の記憶を秘めた老人が風変わりにも独り歩いていた。彼の背には歴史を刻んだシワが重なり、割れた大地をまたぐごとに、風はその髭を揺さぶりながら過ぎていく。


 その数歩後を追うアオを飾る透明なものは、彼の新たな運命の証であろうか、手首を優しく包み込んでいる。

「……この手首に巻かれている、透明なモノは何だろう!?」

 アオが触ろうとした瞬間、老人は静かに足を止め、老練ろうれんな眼差しを彼に返した。夕陽が万樹の隙間から葉を撫で、オレンジ色の光が地を染める中、老人の声が、静寂を破る。

「自己紹介がまだじゃったのう…ワシの名は“タウィリ”じゃ! 貴様ァの名は何じゃ!?」

 その声には木霊するような深さがあった。


「おりょ!? 名前が思い出せない……」

 アオの顔には、不安が曇りを落としていた。記憶が霧となって漂い、それが心の奥深くを覆い隠す。


「……それは、恐らく記憶喪失じゃのう! 貴様ァはどこかで頭を強く打ったのか!?」

 タウィリはその暗くよどんだ碧色へきしょくの瞳を覗き込む。

 無言のまま、困惑するアオにタウィリは温かく提案する。

「まぁいい、ワシの屋敷で休息をとれば、忘れた頃に思い出せるじゃろう」

 タウィリは何事もなかったかのように歩を進める。


 アオは再び記憶を呼び戻そうとするも、煙霧えんむに視界を覆われ、吐き気がしたので思考を止めた。

〈タウィリさんが言うように、少し休めば記憶が蘇るかもしれないっしょ!〉

 アオはそう自分に言い聞かせると、頭痛の閃光せんこうさいなまれ、思考を放棄した。透明なしばりをもてあそぶ手は、何かを訴えかけるかのようだった。


 ふと気がつけば、辺りはすっかり暗転あんてんしており、森は静けさに包まれていた。


〈っええッ!? ――いつからいたのだろう!〉

 アオは不思議な光に気づく。多色に光る浮遊物がフワフワ現れ、彩り豊かにアオの周りを舞う。

「タウィリさん、このフワフワ浮いてる綺麗な光ってなんなの?」

 アオの明暗めいあんの瞳に反射するその光は、まるで星霜せいそうを超えた輝きを放っている。


 タウィリは微笑みながら説明する。

「こ奴らは微精霊じゃよ! それにしても珍しいのう、微精霊がこれほど聚合しゅうごうするとは、貴様ァを歓迎しているみたいじゃな!」

 タウィリの右手に握るクリスタルなステッキにも微精霊が集結していた。


「…微精霊が俺のことを歓迎しているって、何のことっしょ!?」


「ふぉっふぉふぉ…」

 タウィリは最恐さいきょうの顔が崩れ、突然笑い出した。

「ワシの屋敷には、微精霊に愛されている超可愛い孫娘がいるのじゃが、果たして貴様ァは歓迎してもらえるかな!?」

 その涙袋なみだぶくろはぷっくりと腫れ、三日月が転がるようだった。


〈超可愛い孫娘ってリアルなのかっ!? タウィリさんの子孫だったら…〉

 アオはその言葉に心躍らせながらも、恐れ多く思い、イマジネーションを働かせたものの、それを一時停止させた。

「……微精霊って確か生命体の魂とかだったよね? タウィリさんの孫娘って、もしかしてだけど童話に出て来る精霊使いとかだったりして!」

 アオは、半信半疑ながらも微笑む。


「ふぉっふぉふぉ、貴様ァの言っていることは半分は当たっているのじゃが、まぁそんな感じじゃ…」


「…タウィリさん適当に答えたなぁ、まぁいいけど、林の奥でペカペカ光ったり消きえたりしているのも微精霊!?」


「あれは『ンガララ』じゃよ! 尻に黄色くみえる発光器と酸素が反応して光を出すの…」

 と言い終わらないタイミングで、不意にタウィリは笑顔を崩し「ぅおぉッ! あれがワシの自慢の孫娘の“アロハ”じゃよぉー!」と高らかに叫び、森の奥へと続く光にクリスタルステッキを指した。


〈……コテージらしき奥に人影が見えるけど、背中を向けちゃっていて容姿がわからないっしょ!〉

 アオは緊張しながらも、視線を縫い付けたままむさぼり見るが、ただ夜の闇にそのわだちを絶望させるが如く、彼女の存在は謎のままだった。

 歩を進めると森の奥、薄暗く沈みゆく夜の中で、微精霊の光を浴びるコテージが目の前に現れた。トライバルな装飾が施された柱が、歴史への敬意とでも言わんばかりに、立派にそびえ立っていた。

 フワフワと漂う微精霊たちの光に導かれ、アオは一歩一歩、タウィリの孫娘との出会いへとほのかな期待を胸に歩みを進めるのだった。

〈俺好みのお洒落なフォルムの外観デザイン、屋敷というよりはハイクラスな山小屋っしょ!〉

 知らず知らずににっこりするアオ。


 そして、タウィリが孫娘の名を叫び、その姿を目にする。

 ンガララや微精霊に染め、漆黒の暮れゆく古びた小屋が照らし出した時、タウィリの優雅なハスキーボイスが静寂を打ち破る。

「たじゃいま帰ったぞぉー!」

 くるりと振り返り、天真爛漫てんしんらんまんな笑顔を咲かせる少女である。彼女の声は、春風のように軽やかで、明るく響き渡った。

「おじいやーん、お帰りなさぁーあれれぇ、君って、おじいやんの友達? それとも新弟子さん?」

 その問いかけの答えは、ただの人間ではない。彼女の姿は、まるでお伽噺とぎばなしに登場するお姫様のように、世界を照らす光そのものだった。

 ショートボブのプラチナブロンドの髪は、星屑のように輝き、彼女の凛とした大きな瞳は、緑の森を映し出すかのような澄んだグリーンアイ。楽天的な装飾を纏った眉、エルフの血脈を思わせる尖った耳、そして蜂蜜色の肌は、暗い樹林をも弾き返すほどに生き生きとしていた。

 首筋には、生命の息吹を宿したかのようなグリーンストンの首飾りが輝き、彼女の顔立ちを一層神々しく映し出していた。彼女の装いは、生命感あふれる自然そのものを纏っており、微精霊たちが舞い踊る中、彼女はただひとり、世界に光彩を放っていた。

 前胸部ぜんきょうぶには刺繍ししゅうの入った色鮮やかな布がさらしの如く巻かれ、細い腰には乾燥させた草の葉が巻かれていた。衣装の色に合わせた羽の付いた頭飾りを、タウィリの孫娘は被っていた。

 そして、少女の周りにはンガララや色とりどりの微精霊が、踊り子のように舞っていた。それは、稲佐山いなさやまから見渡す夜景を見ているようだとアオは感じていた。最高峰の美少女に一瞬にして心を奪われてしまったことに気づき、照れくさそうに首を掻きながら、少女の尖った耳の先を見詰めるアオ。


「この小僧ォは、リケリケビーチで拾ってきた正体不明の記憶喪失者じゃよ。じゃが、微精霊にも気に入ってもらってるようじゃし、エヴィルじゃないから安心せい!」

 少しいぶかしげな様子で孫娘に伝える。タウィリの声は、アオにとって新しい世界の扉を開く鍵のようだった。そして、少女の好奇心はアオの心に新たな風を吹き込む。


 少女は考え込むように人差し指を顎にあて、アオの周りを興味深そうにぐるぐると回り始めた。彼女の視線は、アオのすべてを観察しているかのようで心地よくない緊張を覚えた。

 少女はひと通りアオを見回し、艶やかな唇が上下に開いた。

「そうねぇー、微精霊ちゃんたちにも歓迎されてるみたいだし、エヴィルではないかもね!...記憶喪失者ってことは、君って自分の名前もわからないのかな?」

 少女は、アオを囲むように逆方向に歩きながら、好奇心旺盛な目で彼を見つめた。


「名前も住んでいた場所も、何もかも思い出せない!」

 アオの声にはわずかな不安が震えていた。彼には言葉や知識はあるが、過去の記憶は曖昧で、その不確かな記憶に触れようとすると、憂鬱ゆううつな気分になってしまう。

 しかし、少女の笑顔はアオの不安を払拭するかのように明るく輝き、「そっかぁ、あのね、名前は、ア・ロ・ハ...おとうやんとおかあやんにもらったお気に入りの名前なんだ! 君も気軽にア・ロ・ハって呼んでね! それと、記憶喪失でもアロハの名前だけは、絶対に忘れちゃダメだぞー!」と彼女は、心を込めた笑顔で応えた。

 つむがれる言葉がまるで魔法のようにアオの心に溶け込み、彼女の百点満点の笑顔にアオはただ、たどたどしい言葉を返すことしかできなかった。

「よぉ、よろしく!」と吃音きつおんを交えながら答えると、二度もアロハによって心を奪われた。


 アオらが出会ったこの場所は、稲佐山いなさやまから見渡す夜景のように、まばゆいばかりの光景を描き出していた。

 そしてアオは、自分でも理解できない新たな感情に気づきながら、この新たな世界での人生に希望の種を植え付けた。まるで嵐の後の静けさを感じさせるような、深い静寂の中、彼らの未来が静かにつむがれ始めていた。
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