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◆ 参拾参 ◆
しおりを挟むじっと立っているだけでも首筋がじっとりと汗ばむ。
ようやく鬱陶しい長雨が過ぎ去ったのは有り難いが、代わりとばかりに容赦のないこの暑さはいただけない。
「もう嫌ンなっちまうよ」
胸元をぱたぱたと大胆に煽る姿に弥生は苦笑いを浮かべた。
色っぽい年増の女は小唄の師匠をしているお京という女で、暑さに愚痴をこぼす彼女の気持ちはよくわかるがその動作はいただけない。いまも店の前を横切った男が白い胸元に釘付けになっていた。
「本当ですね。それで、今日はなにをお求めですか?」
久しくお見限りでしたね、との冗談も添えてお京に笑いかける。
休みのゆきの代わりに今日は弥生が店番だ。
客のふりをして弥生に絡んでいた若い男を威勢のいい言葉で追い払ってくれたお京は「そうそう、新しい巾着が欲しくてねぇ」と商品を物色しはじめた。
「これなんてどうです?」
薦めたのは牡丹の刺繍も鮮やかな派手な品だ。
思ったとおりにお京の好みにはあったようで紅い唇が綻んだ。
「最近またああいう輩は多いのかい?」
会計をしつつお京の言葉に眉を下げる。
その肯定に襟足に張り付いた髪を掻き上げながら「やっぱりねぇ」とお京は呟いた。ざっくばらんとしているようでその仕草は粗野に感じず色っぽい。
やっぱり?と首を傾げる弥生に口の端をにぃと釣り上げて笑うと、内緒話をするようにそっと顔を近づけた。上等な白粉のいい匂いがした。
「奇麗な花にゃ虫がつきもんだからサ」
意味が掴めなくてぱちぱちと瞬くと「おぼこいねぇ」と笑われた。
そんなことを言われたのは初めてだ。
「まぁ男ってのはそいうのがまたいいんだろうけどね」
「えっと?」
「だからさ、あんた元から別嬪だったけど前より表情が柔らかくなったからね。男ってのはそういう変化に目ざといもんなんだよ」
目を丸くする弥生にお京はまた笑う。
「それだよ。前はあんた、お雛さまみたいに澄ました顔で表情変えなかっただろうに」
巾着を受け取り「また来るよ」とお京は背を向けた。
空いた両手で表情を確かめるように無意識に頬に触れ、慌ててお客を見送るために後を追う。
店先まで見送り、照り付ける凶悪なまでの日差しに腕で影をつくる。
眩しさに細めた眸に、人混みのなかで見知った姿を捉えた。
視線が合って、ほんの少し目を開いた慎之介は暑さを感じさせないような穏やかな笑顔を浮かべて小さく会釈した。同じ動作を返す弥生の顔にも笑みが浮かんでいた。
きっとこれからも、痛みや悲しみ、喜びと様々な感情や想い出が降り積もっていくのだろう。
凍えるような冬の寒さを耐え忍び、ときには雨風に晒されて。
それでもわたしたちはきっと、ただ
_____________花咲くときを待っている。
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