桜花 ~いまも記憶に舞い散るは、かくも愛しき薄紅の君~

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おつたが死に、屋移りのために片づけをしていた弥生は久方ぶりのあの位牌を見つけた。
自分と同じ弥生の名前が刻まれた位牌。

「え……?」

幼い頃は気づかなかった。
だけど改めてじっくりと見て、名前とともに刻まれた年の可笑しさに気付いた。

それは、弥生が生まれた年よりも二年もあとだった。

死んでしまった我が子の名前を育てることにした子につけたのならわかる。だがその逆は可笑しい。

その疑問はわりと直ぐに解決した。
おつたが禁忌としていたあの橋のそばで美桜と出会い、彼女のことを知ったから。

一目見た瞬間、驚きに心臓が止まるかと思った。
自分によく似た娘。
弥生と美桜は顔立ちは似ているものの瓜二つというほどではない。弥生は一重でどちらかというと切れ長の眸をしていて、美桜はぱっちりと愛らしい眸だった。顔の印象だって、表情だって随分と違う。

だけど理屈ではなく、一目見た瞬間に“この娘だ”とそう思った。

柳屋で働くことが決まり、様々なことを知るにつれて長年の疑問は一つずつ氷解されていった。

まずは美桜の年齢だ。
十四歳の美桜。
弥生が生まれたはずの年よりも二年も後に亡くなっているもう一人の弥生。

すごく小さい頃、弥生はめったに外に出しては貰えなかった。
何度も引っ越しを重ね、成長するにつれてそんなこともなくなったけど、お外で友達と遊べるようになっても駆けっこも判じ物も同じ年頃の子らよりどれも苦手だった。
体だって大きい子より一回り以上は小さかった。

わたしはじゃなかったんだ。

本当は美桜と同じまだだったんだ。

それなら全部説明がつく。
おつたは弥生の年齢を誤魔化したのだろう。

そしてその理由もなんとなくわかった。
古びた桜の樹、その下には死体が埋まっているのだと美桜は言った。
それはきっと本当なのだと思う。

あの桜の樹の下には弥生が埋まっているのだ。
おつたの本当の子どもである弥生の死体が。

たぶんおつたは以前に柳屋で働いていた。それも美桜の母のすぐそばで。
自身も赤子を生んだばかりなら、生まれた子の乳母も出来るとそんな理由もあったのかもしれない。
だけど弥生は、おつたの本当の子である弥生はすぐに死んでしまった。

双子の片方を殺せと言われて、おつたは後から生まれた双子の片割れと死んでしまったその子を入れ替えた。
赤子殺しなんて公にはできっこないし、まともに供養することもできないだろう。
だからきっと……あの桜の樹の下には本当に……。


呆然とした心持ちで親分の背を見送り、かえでには会わずに辞したあとで弥生は一目に付きにくい場所を探した。
そうして足を踏み入れた寂れた稲荷の脇で宛名のない文を読んだ。

それは_____弥生に宛てた遺書だった。

共に過ごした三カ月間の楽しかったこと、嬉しかったこと、「ごめんなさい」と自分の行いを詫びる言葉。
そして最後の方に書かれたある一文に目を奪われた。

“本当はね、最初っからわたしに幸せになる権利なんてないの。だってわたしは妹を殺して生まれてきた人殺しなんだもの。”

ちがう、と声が漏れた。
気が狂ったように抱えた頭を振ってちがう!ちがう!と繰り返す。

「違っ……美桜っ!違うのに……!」

はじめて、美桜と声に出して名を呼んだ。
どうあっても二度ともう届かない声で叫んだ。
ぼたぼたと零れ落ちる涙が雨だれのように文に落ちては墨の文字を滲ませる。

知っていた。

どこで耳にしたのかわからないけど、美桜は双子の妹が自分に居たことも、桜の樹の下に死体が埋まっていることも知っていた。

だけど知らなかった。

そこに埋まっているのが自分の妹ではないということを。その子が生きているのだということを。

「あっ……ああっっ……!!」

言葉にならない声で叫んだ。

言えばよかった。
わたしはあなたの妹だって。
ちゃんと名前を呼んで、そう告げるべきだった。

もう遅い。遅すぎる。
あのは憎んだ祖母と父と、桜の樹の下に眠った赤子を連れて逝ってしまった。一緒に逝くべきだったのはわたしなのに。

泣いて、泣いて、声も涙も枯れ果てるまで泣いて、弥生は空っぽになった。

位牌も、柳屋も、美桜も全部燃えてなくなった。
美桜の文だって涙に濡れてぐちゃぐちゃでもうなにが書かれているのかわからない。

だからあの日々が、全てが現実にあったことなのかどうかさえ、なにひとつ証明するあかしはないのだ。

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