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◆ 弐拾漆 ◆
しおりを挟む「折角だからゆっくりしておいで」
そんな言葉とともにお妙に送り出された。
店の中からゆきも小さく手を振っている姿が見える。
「いってまいります」
頭を下げ、生駒屋を出た。
店を出てすぐに慎之介が「持ちましょう」と手を差しだしてくれた。大して重くもないのだけど、断るのも逆に悪いかと礼を告げて風呂敷を渡す。
今日は隣町までお使いだ。
付き合いのあるお店への届け物は本来ならお妙が行くはずだったのだが急な来客の予定が入ってしまった。代わりに行こうにも弥生やゆきは店の場所を知らない。
隣町のその店は少し入り組んだところにあるらしく、尋ね歩けば辿り着けないこともなかろうが急ぎの用でもないからまた翌日、となるはずだった。
そこに顔を出したのが慎之介だ。
彼は何度かその店にも細工を卸したことがあり、しかもこの後に予定がないことを確認したお妙が案内を頼んだのだ。
これにはお妙の気遣いもあったのだろう。
昨日はおりんの虫の居所が悪く、悪戯が原因でお妙と派手な母娘喧嘩が勃発した。弥生は二人を宥めるのに四苦八苦し、癇癪を起したおりんが投げた玩具で痣まで拵えた。
昨日はどちらも一歩も譲らないとばかりに肩肘を張っていた二人だが、一夜明ければ仲直りもし、弥生に対してはバツが悪そうだった。
葉桜もとうに過ぎ、深緑が目にも鮮やかな季節。加えて今日は晴天だ。
隣町には神社仏閣も多いから、小遣いまで与えてのお使いは仕事というよりも昨日の詫びを兼ねたものなのだろう。
怪我といっても大したことはなかったし気を使ってもらう必要はなかったが、陽気のいい青空の下を歩くのは気分が良かった。
もう少ししたら長雨と、暑いほどの夏がくるのだろうが今頃は気温もちょうどいい。
目的の場所は確かにわかりにくい場所だった。
神社仏閣があるあたりを過ぎ、多くの家や店が立ち並ぶ辺りまでくるとそう実感した。細い路地に同じような建物、曲がる角をひとつ間違えば容易く迷ってしまう。
「俺も最初はよく迷いました」
そう笑う慎之介は迷いのない足取りで案内をしてくれた。
お使いを果たし、道々決めていたとおり少しだけ物見遊山をして帰ることになった。
「つい先日、親方のお嬢さんがお嫁入りしたんですよ」
慎之介がそう口にしたのは深い意味があってのことではない。
弥生も慎之介も二人ともそうお喋りな性質でないし、若者らしく華やかな話題もそうそうない。なので自然と会話は生駒屋の主人ら共通の知人や、慎之介の細工のこと、当たり障りない世間話に限られていた。
その話も先日話題に出たから口にしただけだったのだろう。
だけど口にしたあとで慎之介は慌てたように口をつぐんで視線を泳がせた。
その理由はすぐにわかった。
ついさっき、店の主人に「いい女かい?」と揶揄われたばかりなのだ。
真っ赤になって否定する姿により揶揄われて気恥ずかしい想いをしたばかり。
無意識に選んだ話題に恥ずかしさが蘇ったのだろう。
そんな反応をされてしまうと弥生の方も居た堪れない。俯いて地面を見ながら気まずい沈黙が続いた。
「あの」
何気なさを心がけた、だけど意識してその声を出したのがわかる声音だった。
喉を鳴らす音が聞こえた。
「弥生さんは、その……気になる人とかはいるんですか?」
驚いて足を止めた。
小さく息を飲む。
思いのほかに真剣な眸がこちらを見ていて、弥生の鼓動が早鐘を打つ。それは年頃の娘らしい甘酸っぱいものではなく、困惑と焦りによるものだ。
「……いいえ」
ゆるゆると首を振れば固かった慎之介の表情が安堵に緩む。
反対に弥生の表情と肩は強張った。
息を詰めて見つめる先で「良かった」とだけ呟いた慎之介は人の良さそうな顔に困った笑みを浮かべた。再開された歩みにぎこちなく弥生も続く。
「困れせてしまってすみません」
眉を下げて笑う姿は彼によく似合っていた。
困ったような笑い顔が似合うなんて変な話だが、そう思った。
男らしいということをがさつで威張りやであると勘違いしている者も多い中、本当に気弱で穏やかな人だと思う。
素直な性質の慎之介の弥生に対する気持ちなんて当に筒抜けだ。それこそ幼子のおりんにすらわかるほどに。
表情から、態度から、弥生に対する好意は周知のことではあったけれど……それでも慎之介は一度だってあえてそれをぶつけてきたりはしなかった。
だからこそ弥生も知らんふりをし続けてきた。
「どうしてですか?」
歩きながら弥生はそう問いかけていた。
視線は慎之介の方ではなく、ただ真っすぐに前を見つめていた。
返事を求められる直接的な言葉を紡がれなかったこと。
そのことに安堵したのになぜ話題を蒸し返すようなことをしているのか自分でもわからない。それでも聞かずにはいられなかった。
「慎之介さんは、どうしてわたしなんかを……気にかけるんです?」
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