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◆ 弐拾陸 ◆
しおりを挟む重いため息が一つ漏れた。
「理由を、かえでさんは理由を言っていましたか?」
「怖かったんだと。後先考えずに駆け落ちでもしそうなお嬢さまが怖くて仕方がなかった、そう言ってたよ。そうなったら自分は居場所を失うってな」
「……」
返せる言葉はなかった。
美桜を想えばひどいとしか言えないが、かえでの心情も理解できる。
最初からいずれ追い出されることも覚悟していた弥生と違い、かえではもう十年近くも柳屋で奉公をしているのだ。叱責や軽い折檻ですめばまだいい、下手をすれば仕事も住処も失って身一つで追い出されるのだから。
沈黙を拾うように親分が小さく「遣りきれねぇな」と呟いた。
湯のみの中の冷めきった茶をずずずっと飲み干す音が部屋に響く。
「さっきはおめぇが柳屋のお嬢さんに見えたらしいぜ。お嬢さんの幽霊が化けて出たと思ったらしい。確かによく似てらぁな。奉公人連中の中でもやれ腹違いの姉じゃないかって噂は聞いた」
「違います」
固い声で否定した弥生に親分は手を振って笑った。
「わぁってるよ。噂をしてんのも奉公が浅い若い奴らだけだ。俺は仕事がら大店の主人連中とも多少は付き合いがある。柳屋の主人ってのは亡くなったお内儀に惚れ込んでたんだ。婆さ……大内儀がいくら言っても後妻だけは娶らなかったぐれぇにな」
「……そうなんですか?」
「おうよ。先代ってのが商売上手でよ、柳屋を一気に大店へと盛り立てた。それが息子である柳屋の主人にとっちゃ重荷だったんだろうな。功を立てようと焦って若い頃に大失敗してんだ。それもあって婆さんが倒れるまではてんで頭が上がんねぇは主人が誰かわからねぇ有り様よ。嫁いびりからは守ってやれなかったみてぇだけど、頑としてそこは譲んなかったかんな。まだ存命だった頃に他の女に手ぇ出すなんてこたぁ有り得ねぇだろ」
一度だけ渡り廊下で見かけた男の姿が頭に浮かんだ。
あの人はあの人で、大切な女の忘れ形見である美桜の幸せを願っていたのだろうか。
よっと、声をあげて大義そうに親分が立ち上がった。
二人が座っていた間にはまだ包みが一つ置かれたままだ。
「それはおめぇのだ」
おえんの祝いの品だと預かった包みを親分に渡そうとした手がその言葉に止まる。
え?と見上げる弥生に清七親分はぽんっと文をしまった胸元を叩いた。
「こっちはお調べの証拠になるから貰ってくがな。それは端からあんたにだよ。いままでの給金だと」
目を見開いた弥生はきっぱりと「いりません」と答えた。
「全部燃えっちまって仕事も住処もこれから探さなきゃなんねぇだろうに。それに故人の意向だ。貰っときな」
言い聞かせるようにそう言って、静かに弥生に問いかけた。
「なぁ、弥生。なんでお嬢さんがおえんなんて女をでっち上げたかわかるか?」
思いがけない問い掛けに目を瞬く弥生をほんの少し和らげた目元で親分は見下ろす。
「巻き込みたくなかったんだ。どうにもできなくて柳屋のお嬢さんはあんな凶事を起こした。それは許されねぇことだ。だけどな、そうしなきゃいられなかったけど誰も巻き込みたくなくてきっとあんな半端な時間を選んだんだろうさ。事を起こすならもっと遅い方が見つかりにくいしやりやすい。でもそれだと火に巻かれて余計な死人が出る」
はじめから、美桜が連れて逝こうとしたのは自分たちとあの屋敷だけ。
「とりわけおめぇだけは万に一にも巻き込みたくなかった。だから偽のお使いをでっち上げてわざわざ遠くに逃がしたんだろうよ」
湿っぽさを払うようにぱんぱんと着物を叩くと「じゃあな。また必要があったら話を聞くかも知んねぇがよろしくな」と言い置き清七親分は部屋を出て行った。
取り残された弥生は開かれた唐紙から覗く廊下をただ見つめることしか出来なかった。
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