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◆ 弐拾伍 ◆
しおりを挟む「逢引きの件を知ったあと、柳屋の主人は佐助んとこに人をやったんだと。破落戸紛いの質の悪い男たちを数人な。娘と縁を切れってこったな。これは他の奉公人たちの話からも確かだ。多少痛い目にあわせてもいい、そんな言葉も口にしてたそうだ。けど、多少どころじゃすまなかった。男らは血の気の多い奴らで、そのうちの一人はお嬢さんに横恋慕してたんだよ。しかも佐助も素直にそれに頷かなかったこともあって、頭に血が上った奴らは数人がかりでこてんぱんにしやがった。止めに、角材を思いっきっり佐助の足に振り下ろした」
「そんな……だって佐助さんは火消しで……」
火消しは素早い身のこなしと身軽さが命だ。
「だからだろうよ。例え足が治っても元通りに動くことは出来ねぇだろうな」
震える両手で口を押さえる。
腕だけでなく、全身が小刻みに震えていた。
今ならわかる。
あの夜、美桜がどれだけ絶望に打ちひしがれていたのか。
「……わたし……なにも、知らなくて……」
気付かなかった。
美桜の痛みを、絶望を、あんなにも側に居たのになにひとつわかっちゃいなかったのだ。
「あんたが悪いわけじゃねぇよ」
宥めるような優しい声だった。
労わりと哀れみが混じったまなざしを睨みつけようとしてぐっと唇を噛みしめ耐える。
わかっている、こんなのただの八つ当たりだ。だけど下手な慰めを受けるぐらいなら、罵倒し責められた方がいっそ楽だった。
そう、わたしは楽になりたいんだ。
気づいた途端、泣きたくなった。
美桜が死んでしまったことが悲しい。あの娘の胸の内を想像すると可哀想で痛ましくて、そんな状況に追い込んだ全てが腹立たしくて仕方がなかった。
それでも、弥生の胸の内を占めるその痛みや悲しみは美桜のためだけじゃない。
わたしは_____わたしが美桜を喪ったことが悲しいんだ。
こんなにも胸が痛く苦しいのは自分自身のためでもあるんだと気づいてしまったことがひどく悲しかった。
口を覆っていた手をあげて顔ごと覆う。
唇を噛みしめ、ぎゅっと瞼をとじた。
涙が一筋だけ頬を伝った。
これは誰のための涙だろう。
美桜のためか、わたしのためか。
どうか純粋にあの娘のために流れたものであればいいと願った。
声を押し殺し荒ぶる心の内を鎮めようと弥生が耐えている間、清七親分はなにも言わずに待ってくれた。
「すみません」
なんとか平静を呼び戻し軽く頭をさげる。ぐいっと袖で乱雑に涙の痕を拭った。
正座をし直し、息をひとつ吸って吐いてからまっすぐに親分の顔を見る。
もう一つ、どうしても気になることがあった。
「ごめんなさい、お願い許して。かえでさんはそう口走ってました。あれはお嬢さまたちをおいて逃げ出そうとしたからですか?」
じっと見つめる先で、表情を歪めた親分の首は横へと振られた。
ああ、と落胆とともに膝のうえの拳をぎゅっと握った。
「それもあるにはあるんだろうがな。かえでが狂乱といっていいほどに取り乱した一番の原因は負い目があるからだよ。捨吉って餓鬼がお嬢さんらの繋ぎをしてることを柳屋の主人に告げ口したのはあの女だ」
返ってきた答えは予想の通り。
逢引きの件が誰から漏れたのだろうと考えたことはあった。
だけど先程の親分の話を聞いてかえでが美桜たちを発見したことに疑問を覚えたのだ。
気難しい大内儀の世話をするのは古参の女中たちだけ、他の女中は奥向きには近寄ることもないと弥生に語ったのは他でもないかえでだ。
その彼女がそこに居たのならこっそり様子を窺いに行ったのではないかと思った。
自分の告げ口の所為で起こった一連の騒動を知っていれば、この時期に大内儀の部屋に美桜や主人が集ってされる会話が気になっても仕方がない。
きっとかえでだってこんな大事になるとは思ってもみなかっただろうから。
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