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◆ 拾玖 ◆
しおりを挟む駕籠を降り、細々とした道を進んでいくほどに弥生の胸には不安が広がっていった。
まず件の長屋が見つからない。
店が連なる通りで人に尋ねてもこの辺りに北町長屋なんて長屋はないという。
困り顔の弥生を見かねてか、名前は違うけどあっちに長屋があるよと店の者が親切に教えてくれたので丁寧に礼を告げて足を向けた。
だけど歩いていくほどにまさかという思いは強まる一方だった。
遠い昔のことだから地所や長屋の名前に記憶違いがあるかもと美桜は言っていた。
それでも、とてもこの長屋に美桜の友人が住まっているとは思えない。
教えられた長屋はずいぶんとぼろぼろだった。
強い雨風で飛んでしまいそうな屋根に、いつ崩れてもおかしくなさそうな建物。障子が派手に破れ、屋内がまる見えの家もあった。二階建てで間口二軒間の三軒長屋が三棟、裏通りには裏長屋が連なっている。
まだ日が高いから駆け回る子どもらの姿があった。
おえんは幼いころに手習処で出会った友人だと美桜は言っていた。
手習処では貧乏長屋の子どもも、裕福な商家の子どもも共に机を並べることになる。子どものことだ、暮らしの違う子が仲良くなるのもありえないことではない。
だけど弥生には柳屋の一人娘である美桜の友人がここに住んでいるとは思えなかった。
そもそも、美桜はおえんは習い事を沢山していると言っていた。ここで暮らしている娘が優雅に毎日習い事をしているとはとても思えない。
突っ立っていると、駆け回る子らの母親だろうか立ち話をしていたかみさん連中の一人がこちらに向かって声をかけてきた。
「ちょっとあんた。何か用かい?」
はっと我に返って目の前の相手を見る。
気の強そうな小太りの女もまじまじと弥生を見た。女の背後からも沢山の視線が向いている。
「人を探しているんです。この辺りにおえんさんっていう娘さんはいらっしゃいませんか?それか北町長屋という長屋をご存じないでしょうか?」
「知らないねぇ。あんたの友達かい?」
「いえ、お嬢さまのお使いで……」
弥生の言葉に女の片眉が訝し気に上がった。
ちらりと長屋の方を振り返る。
「お嬢さまって……。どこのお嬢さまか知んないけど、そんな子がこんな所に住んでるかい?ああ、だからあんたも幽霊みたような驚いた顔してたのか」
言葉の途中で納得したように笑いだした。
そうとう呆然とした顔をしていたらしい。
俯いて「すみません」と小さな声で謝る弥生に女は手を振って「いいって、いいって」と笑った。その表情からは最初の警戒は完全になくなっていた。
「それで、なんて名前だって?」
「おえんさんという方です」
「聞いたことないねぇ。ちょっとお待ち。あんたたち、おえんって娘を知っているかい?」
かみさん連中に向かって女が声を張り上げると、様子を窺っていたかみさんたちもぞろぞろと寄ってきた。
誰も美桜の友人だろうおえんを知る者はいなかった。
おえんという名を知っている者はいても、まだ7つの小娘だったり、腰の曲がった老婆だったりと探し人ではないだろう相手ばかり。
礼をいい、最後に差配さんを紹介してもらった。
大家の役割を担い、土地に根付いた差配なら人の出入りにも詳しいだろう。
だけど返ってきた答えは「そんな娘は知らん」というものだった。
弥生は途方に暮れた。
それでも必死な顔で「お願い」と繰り返す美桜の顔が浮かび、駄目元で他の長屋も回ってみたがどこへ行っても該当しそうなおえんなんて娘は見つからなかった。
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