桜花 ~いまも記憶に舞い散るは、かくも愛しき薄紅の君~

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◆ 拾捌 ◆

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睦月の寒空を彩ったのは、緋桜よりもなお紅い紅蓮の花弁。

はらはらと舞い散る火の粉。かき鳴らされる半鐘の音と人々の怒号と悲鳴。まるで巨大で悍ましい生き物の舌のように屋敷を舐め尽くし呑み込む炎を前に、出来る事などなにもなかった。



それを頼まれたのは美桜が泣いていたあの夜から三日目の朝。

もうすぐ嫁ぐ友達に文と祝いの品を届けてほしい。

あんな話を聞いたすぐあととあっては素直にそれを信じることは難しかった。

「どうかこれを届けてちょうだい。わたしはとてもじゃないけど外に出させて貰えないもの。あの子が嫁ぐ先は遠いから、この先会いに行くことだってできやしない。ね、お願い」

そう言って美桜は弥生に二通の文と祝いの品らしい包みを押し付けようとする。
あまりに必死な懇願こんがんについに弥生も折れた。

「ですが、見咎められませんか?」

弥生は美桜の専属だ。
先の捨坊のこともあるし、屋敷を出る際に見咎めれる可能性は大いにある。

「お使いを頼んだことはちゃんと説明するから平気よ」

その言葉にほんの少し目が大きくなる。

てっきり、内緒のお使いだと思っていた。
それならば今回の件は本当に佐助とは無関係なのだろうか。
そんな弥生の心の内を読んだように「だからそう言ってるじゃない」とわざらしく美桜はむくれてみせる。だけどすぐにお道化どけた表情は寂し気なものへと変わった。

「大体、逢引きしようにもしばらくはわたし屋敷から出しては貰えないもの」

諦めたようなその表情を見て、もう頼みを断ることなどできなかった。


それでも使いの場所を聞いて驚いた。
てっきり近場のお使いだと思っていたのに、繁華な日本橋を抜け、八丁堀のさらに先と思ったよりもずっと遠い。
どう知り合ったのかと思わず問えば、幼い頃に手習いで知り合ったがその後に相手が引っ越したのだという。

「もちろん行きも帰りも駕籠かごを使っていいわ」

ここまでくればなおさら内緒のお使いではない。
弥生は少しだけほっとして、「では支度をしたら出ますね」と告げると美桜が慌てた。

「それは駄目っ。いつもの仕事を片付けて、八つ刻やつどき頃にここを出て」

「ですが……それでは随分と遅くなってしまいます」

冬だけあって日暮れも早い。駕籠かごを使っていいとはいえ、女一人で出歩くならあまり遅くなりたくはない。

だが美桜は頑なだった。

「おえんちゃんは沢山習い事をしているの。だから日中だと会えない可能性が多いもの」

もうすぐ嫁ぐというのにまだそんなに習い事をしているのだろうか?
そんな疑問を抱いたが、結局は美桜に押し切られた。


いつもの仕事を片付けてから、といっても弥生に決まった仕事はほとんどない。食事を運んで、美桜の身の回りの細々した世話をし、繕いものなどをして時間を過ごした。

渡された二通の文は一通はおえんと宛名の書かれ、もう一通は宛名書きはなかった。

「二通ともおえんさんにお渡ししていいんですよね?」

「ええ、こっちの宛名の無い方は絶対に誰にも見せては駄目よ。絶対に」

怖いほどに真剣な表情で美桜は何度も念を押した。
わざわざ文を二通に分け、妙な念押しをする美桜に弥生は首を傾げるも、泣きそうなほどに真剣な表情でぎゅっと手を握られる。
握られた手の中にはおえんの住まいが書かれた小さな紙きれ。

「ずっと前に聞いたきりだから、もしかしたら長屋の名前が違うかも。そしたら周囲に人に聞いて探してみて。弥生、絶対におえんちゃんを見つけてね。お願いよ」

震える手で紙を握らせ、「お願い」ともう一度繰り返す美桜を見た。


きちんと問い質すべきだった。
そのとき感じた違和感を放置すべきじゃなかった。

だけど結局、弥生は言われるままに駕籠かごを使って柳屋を出た。
お使いの件は使用人に駕籠かごを呼ばせる際に美桜自ら説明してくれたし、出かけるのが弥生だけということで意外なほどにあっさりと話は通った。

門の前まで見送ってくれた美桜は「いってらっしゃい」と小さく微笑んで手を振った。


それが、弥生が見た美桜の最後の姿だった。


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