17 / 33
◆ 拾漆 ◆
しおりを挟むほっとしたようにゆきの表情がわずかに綻ぶ。
彼女特有の、優しい、目尻を下げた笑い方。
「けどね、弥生ちゃん。おとっつあんやおっかさんの方が絶対的に正しかったことがあるの。働いて、おおあしを稼いで、おまんま食べて寝て。そういう暮らしを手放しちゃいけないんだよ。どんなときでも食べて、寝て、それをおろそかにしちゃいけないの」
冷えた指がそっと弥生の目の下を撫でた。
「別嬪さんが台無し。だめだよ。弥生ちゃんは影の看板娘なんだから」
いつもより濃い目の化粧で隠したつもりが目の下の隈は見抜かれていたらしい。
冗談めかして笑うゆきに弥生もつられて微かに笑った。
弥生の顔から離した手でさっと袂を探り、ゆきが小さな袋を差し出した。
「はい、お土産。朝に渡しそびれちゃったから」
白地に薄紅の桜模様の匂い袋だった。
控え目な色味と柄がゆきらしい可愛らしい巾着だ。
「そんな……わたし、なにも買ってきてないのに」
梅見では主人夫婦に頼まれたお土産とお菓子は買ってきたが、ゆき個人に対するものは買ってきていない。
自分の気の利かなさに気後れする弥生にゆきは匂い袋を押し付けた。
「いいって。あたしが買いたくて買っただけだもん。ごめんね、弥生ちゃんが桜、苦手って知らなかったから」
「ううん。可愛いし嬉しい。ありがとう」
「へへ、よかった。あのね、お揃いなの」
そういってゆきは袂から自分の分の匂い袋を取り出してみせた。
同じ柄で巾着の紐の部分だけ色が違う。弥生のは濃い紅でゆきのはそれより薄い桃色だ。
またあとでね、そう言って店の方へ戻っていくゆきの背を見送り、そっと匂い袋を持ち上げた。
柔らかで、甘く清しい香りがふわりと鼻孔を擽る。目を閉じて香りを味わい、そっと袂にそれを落とした。
桜の季節は少し苦手だ。
それは昔からそうだった。
満開に咲き乱れる花も、可憐に舞い散る花弁も美しいとは思う。
一本、二本ならばまだ構わない。
だけど並木の花々が我が世の春とばかりに爛漫に咲き乱れるその様を、喧騒に溺れる人々を見るとどうしても場違いな気分を感じてしまうのだ。
同じ理由で祭りや華やかな場所もあまり得意でない。
それが顕著になったのは自分の生まれを知ったとき。
おつたは弥生の生家や両親のことは頑なに口にはしなかったが、殺されかけ、捨てられた子だと知ったあの日も桜の季節だった。
そして_________弥生の名が示す通り、生まれ、殺されかけたそのときも。
美桜と出会い、薄紅の桜のようだったあの娘を喪って。
桜という樹は一層深くにに弥生の中で根を下ろしてしまった。
ひらひらと舞い散る桜の花弁を見るたびに益体もない色んなことが頭をよぎる。
想い出してしまう。考えてしまう。心が騒めく。
だから、この時期はとりわけ多くあの夢を見る。何度も何度も見続けたあの夢を。お陰で最近は少し寝不足気味だ。
今夜は枕元にあの匂い袋を置いてみようか。
柔らかな甘く清しい香りが夢を追い払ってくれるだろうか、それとも桜模様に喚起されまた夢を見るだろうか。
どちらでもいい。
夢を、記憶を連れてくる薄紅の花弁が苦手であっても嫌いじゃないのは、それが美しいからだけじゃない。
きっと、弥生にとってそれは厭うものではないのだ。
弟を忘れてないのだと、幼いゆきが掌に立てた爪の痛みのように。
10
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
命の番人
小夜時雨
歴史・時代
時は春秋戦国時代。かつて名を馳せた刀工のもとを一人の怪しい男が訪ねてくる。男は刀工に刀を作るよう依頼するが、彼は首を縦には振らない。男は意地になり、刀を作ると言わぬなら、ここを動かぬといい、腰を下ろして--。
二人の男の奇妙な物語が始まる。
独裁者・武田信玄
いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます!
平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。
『事実は小説よりも奇なり』
この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに……
歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。
過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。
【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い
【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形
【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人
【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある
【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である
この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。
(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)
剣客居酒屋 草間の陰
松 勇
歴史・時代
酒と肴と剣と闇
江戸情緒を添えて
江戸は本所にある居酒屋『草間』。
美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。
自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。
多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。
その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。
店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。
【完結】女神は推考する
仲 奈華 (nakanaka)
歴史・時代
父や夫、兄弟を相次いで失った太后は途方にくれた。
直系の男子が相次いて死亡し、残っているのは幼い皇子か血筋が遠いものしかいない。
強欲な叔父から持ち掛けられたのは、女である私が即位するというものだった。
まだ幼い息子を想い決心する。子孫の為、夫の為、家の為私の役目を果たさなければならない。
今までは子供を産む事が役割だった。だけど、これからは亡き夫に変わり、残された私が守る必要がある。
これは、大王となる私の守る為の物語。
額田部姫(ヌカタベヒメ)
主人公。母が蘇我一族。皇女。
穴穂部皇子(アナホベノミコ)
主人公の従弟。
他田皇子(オサダノオオジ)
皇太子。主人公より16歳年上。後の大王。
広姫(ヒロヒメ)
他田皇子の正妻。他田皇子との間に3人の子供がいる。
彦人皇子(ヒコヒトノミコ)
他田大王と広姫の嫡子。
大兄皇子(オオエノミコ)
主人公の同母兄。
厩戸皇子(ウマヤドノミコ)
大兄皇子の嫡子。主人公の甥。
※飛鳥時代、推古天皇が主人公の小説です。
※歴史的に年齢が分かっていない人物については、推定年齢を記載しています。※異母兄弟についての明記をさけ、母方の親類表記にしています。
※名前については、できるだけ本名を記載するようにしています。(馴染みが無い呼び方かもしれません。)
※史実や事実と異なる表現があります。
※主人公が大王になった後の話を、第2部として追加する可能性があります。その時は完結→連載へ設定変更いたします。
三国志 群像譚 ~瞳の奥の天地~ 家族愛の三国志大河
墨笑
歴史・時代
『家族愛と人の心』『個性と社会性』をテーマにした三国志の大河小説です。
三国志を知らない方も楽しんでいただけるよう意識して書きました。
全体の文量はかなり多いのですが、半分以上は様々な人物を中心にした短編・中編の集まりです。
本編がちょっと長いので、お試しで読まれる方は後ろの方の短編・中編から読んでいただいても良いと思います。
おすすめは『小覇王の暗殺者(ep.216)』『呂布の娘の嫁入り噺(ep.239)』『段煨(ep.285)』あたりです。
本編では蜀において諸葛亮孔明に次ぐ官職を務めた許靖という人物を取り上げています。
戦乱に翻弄され、中国各地を放浪する波乱万丈の人生を送りました。
歴史ものとはいえ軽めに書いていますので、歴史が苦手、三国志を知らないという方でもぜひお気軽にお読みください。
※人名が分かりづらくなるのを避けるため、アザナは一切使わないことにしました。ご了承ください。
※切りのいい時には完結設定になっていますが、三国志小説の執筆は私のライフワークです。生きている限り話を追加し続けていくつもりですので、ブックマークしておいていただけると幸いです。
葉桜よ、もう一度 【完結】
五月雨輝
歴史・時代
【第9回歴史・時代小説大賞特別賞受賞作】北の小藩の青年藩士、黒須新九郎は、女中のりよに密かに心を惹かれながら、真面目に職務をこなす日々を送っていた。だが、ある日突然、新九郎は藩の産物を横領して抜け売りしたとの無実の嫌疑をかけられ、切腹寸前にまで追い込まれてしまう。新九郎は自らの嫌疑を晴らすべく奔走するが、それは藩を大きく揺るがす巨大な陰謀と哀しい恋の始まりであった。
謀略と裏切り、友情と恋情が交錯し、武士の道と人の想いの狭間で新九郎は疾走する。
16世紀のオデュッセイア
尾方佐羽
歴史・時代
【第12章を週1回程度更新します】世界の海が人と船で結ばれていく16世紀の遥かな旅の物語です。
12章では16世紀後半のヨーロッパが舞台になります。
※このお話は史実を参考にしたフィクションです。
旧式戦艦はつせ
古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる