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◆ 拾参 ◆
しおりを挟む夜中にふいに目が覚めた。
寝返りをうち、布団の中で瞼を閉じるも一向に眠気は訪れない。
しばらくそうして無駄な努力を重ねた末に、弥生は寝具から身を起こした。
その途端に籠った熱が霧散し、代わりに部屋の冷気があっという間に熱を奪い、急いで綿入れを着こむ。前を両手で合わせながらそっと外へ出た。
灯りは必要なかった。
夜明けが近いのではなく、煌々と照る月が夜を照らしていたからだ。
すっかり目が覚めてしまい、水でも飲もうかと廊下に出た弥生はその美しさにほぅと思わず息を吐いた。
冴え冴えとした月の光は怖いほどに美しい。
澄んだ空気は凛と冷たく、星月の輝きは眩いほどだった。
身を切るような寒さも忘れるほどの美しさに暫し見惚れ、ぶるりと震えた肩に寒さを思い出した弥生は足早に廊下を進み……満月のように目を真ん丸に見開いた。
月光を浴びて美桜が佇んでいた。
花も紅葉もない寂しい庭の真ん中で、静かに月を仰いでいた。
あまりのことに一瞬呆然とし、我に返ると縁石に置かれた履物を突っかけて走り寄る。
「お嬢さま!このような時間にいったいなにを……?!」
自分のことは棚上げしてそう声をかけ、ぎくりと固まる。
美桜は夜着の上になにも羽織っておらず、履物さえも履いていなかった。
ゆらりと向けられた顔には、頬を流れる涙のあと。
ぽたりと雫が一粒、弥生の手の甲を打った。
急いで自分の綿入れを脱ぎ、それを美桜へと羽織らせると冷たい手が弥生の手を握った。その瞬間、背筋がつぅっと冷たくなった。
まるで氷のように冷たい手だった。
弥生の手を掴んだのとは反対の手を真っすぐに伸ばし、美桜は庭の一角を指した。
細い指が指し示す先には一本の樹。
「秘密を教えてあげる」
潜められた囁きは妖しい色を帯びていた。
「あの桜の樹の下にはね、死体が埋まっているのよ」
桜の花びらのような儚い笑みを浮かべて美桜は言った。
笑いながら泣いている、そんな歪な笑みだった。
魅入られたように美桜を、美桜の指が指す一本の桜の樹を見る。
ぞわりと寒気が駆け抜ける。
お嬢さま、と呼ぼうとした声は喉に詰まって、はく、と掠れた息だけが漏れては白く消えた。
「本当よ」
小さく、美桜が呟く。
「……嘘ならよかったのに」
氷のような美桜を縁側に座らせ、土に汚れた足を清めたあと、大急ぎで火を熾した。
こんな時分に灯りがついているのを見咎めて誰ぞ離れへ様子を見に来るかもしれないが、そんなことには構っていられない。
なにしろ美桜の身体は氷のように冷え切って、このままでは風邪をひいてしまいかねない。
信楽焼の手あぶりに手を当て、赤々と熾きた炭を眺めている内に美桜の身体は寒さを思い出したらしい。熱い茶を卓のうえに置き、カタカタと震える美桜の肩へともう一枚羽織るものをかけた。
「お嬢さま、いったいどうなさったのです?」
柔らかい声を意識して、弥生はそう問いかけた。
涙にぬれた顔をあげ、じっと弥生を見つめた美桜が小さく笑う。
「弥生は優しいわね」
思いもかけない言葉に弥生はちょっと目を見張った。
「わたし、あなたを利用しようとしていたの」
逃げまいとするように強い視線で、真っすぐに視線を逸らさずに美桜は告げた。
殊更のように強い、はっきりとした口調だった。
「利用、ですか?」
「ええ、そうよ。わたしはひどい女なの」
挑むようにそう口にして、睨みつけるように弥生を見る。
「どうして怒らないのよっ!」
癇癪を起した子どものように泣きそうな顔で美桜は憤るが、弥生はどう反応すればいいのか正直困っていた。
どうして、と問われてもそもそも話がよくわからない。
「お嬢さまはわたしを何事かに利用するために雇われた、ということでよろしいですか?」
問いかければ、途端に気まずそうに視線を伏せた美桜は言い訳をするようにもごもごと唇を動かした。
「姉妹が欲しかったのは本当よ。そっくりだって思ったのも」
それから小さく「本当に欲しかったのは妹だけど」と呟く声が聞こえた。
沈黙が数秒落ちた。
炭が爆ぜる音に小さく肩を揺らし、手あぶりのうえでもじもじと手を動かしながら美桜が再び語りだす。
「駆け落ちする気だったの」
まぁ、と思わず出そうになった声を口元ごと押さえる。
驚きを飲み下してから恐る恐る問いかける。
「近頃も佐助さんとはお逢いになられていたのですか?」
こくり、と美桜は頷いた。
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