桜花 ~いまも記憶に舞い散るは、かくも愛しき薄紅の君~

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◆ 拾弐 ◆

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ちらちらとこちらを窺う姿がある。
庭の茂みから覗く小さな頭を見つけ、弥生は繕いものを脇に置いて縁側へと歩み寄った。

「なにかご用かしら?」

柔らかな声音を意識して声をかければ、おずおずと丁稚でっちらしき少年が姿を現した。
警戒心も露わな様子に返事を急かすことなく小首を傾げて返答を待つ。

「お、お嬢さまは?」

消え入りそうな声が答えた。

「お嬢さまならお唄のお稽古よ。用事ならわたしが言い付かりましょうか?」

申し出に丁稚は首を振った。

「いんや。お嬢さま本人じゃなきゃだめだ」

もじもじと動かす手に文のようなものが見えた。
忙しなくきょろきょろと動く視線、警戒心の強い小動物のような様子にふと、この子は美桜が拾ってきた子かも知れないと思った。

「そう。じゃあまた後で来てくれるかしら?」

そう言って、美桜が帰ってくるだろう時間を告げてやれば、顎を引いてこくりと一つ頷いた。
そのまま走り去ろうとし、足を止めた丁稚が振り返る。

「なぁあんた、美桜お嬢さまの姉さまなのか?」

突然の問いかけに吃驚して目を見張る。

「まさか。どうして?」

「だってお店の阿仁さんたちがよく似てるって。もしかしたら、って噂してた」

ますます開いた目が丸くなった。
弥生はほとんどこの離れから出ないし、他に行くのはくりやぐらいだ。
一体、どこで姿を見たのだろう?

「違うわよ。でも似てるのは当然ね。だってだからお嬢さまは面白がってわたしを雇ったんだもの」

「ふぅん。なぁんだ」

丁稚は今度こそ身を翻し、またたく間にその背は見えなくなった。


その後も数度、丁稚の姿を見かけた。
離れに面した庭からこそこそと隠れるように頭を覗かせる姿を二度ほど、そして美桜となにやら短い遣り取りをして走り去っていく姿を二度ほど。


相変わらず周囲とは関わりを持たずにいた弥生だけど、ごくまれにくりやの周囲で見かけぬ若い男を見かけたこともあった。

「油売ってないでとっとと仕事しなっ!!」

綿棒を振り上げて追い払ってくれたおくまが言う分には興味本位で弥生の姿を見に来た若い衆だろうということだった。

「あんたはえらい別嬪べっぴんさんだからね。お嬢さまは高嶺の花すぎて手が出せなくても使用人ならあわよくばって腹でもあんだろ」

おくまの言葉に眉がよる。
あの丁稚が噂になっていると言っていたのはどうやら本当のようだ。


一度だけ、この屋敷の主人とすれ違ったこともあった。

美桜の昼餉の膳を下げに向かう途中の渡り廊下でばったり行き会ったのだ。
普段そこを通る者はほとんどいないし、完全に油断していた弥生は大いに慌てて端へと寄った。

唐桟縞とうざんじまの着物は見るからに高直こうじきで漂う風格からも相手が誰かは一目瞭然。五十路いそじ手前と思しき相手は十中八九、柳屋の主人で美桜の父親その人だろう。

珍しくも離れの美桜の元へと向かうのだろうか。
膳を手にしたまま深く頭を下げて通り過ぎるのを待っていると、下げた視界に見える足がふと止まった。

「あれが連れて来きたという娘か」

「はっ」

身を縮めて短く返す。
名を名乗るべきだろうか?
逡巡している間に相手の視線は弥生の手にしたものに移ったようだ。

「食事をまともにしておらぬのか」

ほぼ手の付けられていない膳の残りを見て放たれた声はどこか苦々しい。

「近頃……お嬢さまはひどく塞ぎ込んでおりますようで……」

消え入るような声で答えれば、はぁと面倒くさそうにため息をひとつ吐いて足音は遠ざかった。
その足音が完全に消えるまでその場で立ち尽くし、その背が角を曲がった途端に逃げるようにくりやに急いだ。
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