桜花 ~いまも記憶に舞い散るは、かくも愛しき薄紅の君~

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◆ 拾壱 ◆

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弥生と美桜は不思議と馬が合った。

元来、弥生は口数が多い性質たちでないし、育ちも境遇もまるで違うから共通の話題などほとんどなかった。性格だって真面目で大人しい弥生と無邪気で朗らかな美桜では全然違う。
だけどそれでも貝合わせの貝がぴたりと合うように自然に馴染んだ。

真に相性がいいというのはかしましくお喋りが弾む相手ではなく、沈黙を厭わずにいられる相手だと弥生は思っている。

それまでどれほど盛り上がっていても、ふとした瞬間に沈黙が訪れた途端に襲う気まずさは誰しも経験があるだろう。それを厭うて気をつかい続けるのはひどく疲れるし、弥生は大概そういう相手とは長く続かない。
だけどときたま、その静けさが重苦しくない相手がいる。

弥生にとって美桜はまさしくそうだった。



「お嬢さま、お茶が入りました」

「美桜って呼んでって言ってるのにっ!」

もうっ!と美桜が頬を膨らます。
子ども染みた仕草に笑いつつ、弥生はゆるく首を振る。

「お嬢さまはお嬢さまですので」

もう何度目かわからない断わりを告げた。

「弥生は頑固者ね」

悪態をつきつつ美桜は熱い茶に口をつける。

姉妹ごっこがしたいのか、友人のように接して欲しいのか、美桜は名前を呼んでほしいようだ。呼び捨ては言外だが、かえでのように美桜お嬢さまと名を呼ぶ者もいる。
だけど弥生は頑として首を振り続ける。

美桜は屋敷のお嬢さまで自分は使用人。
どれだけ美桜が親し気に接してくれようと、いや、だからこそ一層に線引きはしっかりとしなくてはならない。


不貞腐れた表情は、ゆり根汁粉しるこの甘さにたちまち崩れた。

ゆり根を裏ごししたものと白餡しろあんで作れた汁粉はおくまが持ってきてくれたものだ。弥生の分もあるので有り難くご相伴にあずかる。

幸せそうに白玉をんだ美桜が膝でにじり寄るように身を寄せてくる。
ちょいちょいと手で招かれ、椀を置いて弥生からも身を寄せた。
きょろきょろと辺りを見渡した美桜はうっすら頬を染めて花のような唇を開く。

「わたしね、好きな人がいるの」

そっと囁き、「内緒よ?」と釘をさす。

きっとずっと口にしたくて仕方がなかったのだろう。
たまになにかを告げたそうにしているのには気づいていたし、淡く色づく頬に色恋絡みだろうと察してもいた。
恋する乙女というのは一様にこんな表情を浮かべるものなのだろうか。

美桜はといえば、驚きもしない弥生の反応に不満そうだ。
白玉を頬張り、上品な甘さの汁粉を流し込む。

ちょいと椀から口を離し、「まず食べちゃいましょ?冷めちゃうし」と自分から呼んでおいて弥生の椀を指した。
汁粉を完食し、湯のみだけもって手あぶりを挟むように身を寄せる。

「どのような方なのですか?」

興味半分、もう半分は「さぁ、聞きなさい!」とでもいうような美桜の視線に促されて弥生は聞いた。

「すっごく良い男。名前は佐助さんっていってね、身体つきはがっちりして背も高いし、目元が涼やかなの!職業は火消しよ。男らしくて頼もしくって、本当に素敵なんだから」

弾んだ声が、男の様子から好きな食べ物、口癖など絶え間なく語るものだから、弥生は一時に「大層良い男」だという佐助のことにすっかり詳しくなってしまった。

三杯目の茶を飲み干し、すっかり腹がくちくなった頃にようやく美桜の佐助語りは落ち着きをみせた。
それまでの浮かれようから一転、はぁと重いため息が漏れる。

「逢いたい……」

その一言は、重く、情念を感じさせるものだった。

「本当は毎日だって逢いたいのに……」

「お嬢さまはその佐助さんとはどこで出会われたのですか?」

「前に三味線のお稽古の帰りに鼻緒が切れて往生おうじょうしたことがあったの。その時に通りがかって助けてくれたのが佐助さんだったの」

典型的な一目惚れだなと弥生はこっそり思った。

「それからは機会を作ってこっそり逢ったりしていたのよ。お稽古ごとのの帰りとか、お使いを代わってとかね」

「ですがそれが見つかってしまったのですね?」

弥生の問いに意気消沈した表情で美桜は頷いた。

かえでが口にしていた少し前に起きた問題、そして他出の際に美桜にお目付け役がつく原因というのが佐助との逢引きなのだろう。

座ったまま腕を大きく後ろに投げだした美桜は仰け反るように天上を仰いだ。

「あーあ、いっそ火事でも起きればいいのに」

「お嬢さま」

目を剥いて弥生は諫める声を出した。
本気でないにしろ、誰かに聞かれでもしたらことだ。
だけど美桜はどこ吹く風で唇を少し尖らすばかり。

「恋しい男に逢いたくて火付けした女の話があるじゃない?その気持ち、わたしはわかるわ」

「滅多なことを言わないでくださいまし」

「あら、平気よ。お店が火事を出す怖さはよぅく知っているから、この屋敷は万が一火が出ても延焼を防げるように造ってあるって聞いたもの」

「そういうことではありません」


あのとき、呆れながら諫めた相手の声は少しの深刻さも孕んじゃいなかった。

きっとまだあのときは、考えてさえいなかった筈________。

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