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◆ 玖 ◆
しおりを挟むたすき掛けをし、冷たい水に身を縮めながら洗濯をしていた。
「あんたは働き者だねぇ」
すぐ脇でかえでが感心した声を漏らす。
「じっとしてるのは苦手なんです」
じゃぶじゃぶと水音を響かせながら弥生は答えた。
美桜は三味線のお稽古で外出中だ。
空いた時間は好きにしていいと言われてはいたが、することがないのは気づまりなので日ごろから繕いものだの掃除、洗濯だのを手伝っていた。最近は膳を下げに行った先で洗い物などを手伝うこともある。
それでも店表や屋敷の奥には決して近づかないようにしていた。
面倒を避けるためにもそうした方がいいと美桜やかえでからもそう言われている。
「わたしみたいなことはよくあるんですか?」
かねてから疑問に思っていたことを口にすれば、かえでの眉がわずかに潜められた。
「幼いころからときどきね。猫だの犬だのを拾ってきたこともあれば、孤児を引き取ろうとしたこともあるよ。人を連れ帰るようなのはここ数年かね」
「美桜お嬢さまは優しい方だから」そう笑うかえでの笑顔に混じるものが弥生にはわかる気がした。
きっと美桜は心根の優しい娘なのだろう。
かえではそんなお嬢さまの気質を微笑ましく思っている反面、美桜のその優しさがその恵まれた立場ゆえのものであることもわかっている。
「お嬢さまが連れ帰った子らは居着いた子もいれば出て行った子も多い。問題を起こして出て行ったののほうが圧倒的に多いけどね」
「はい」
神妙に頷く弥生にかえではにかりと笑う。
「なんせ他の奉公人らとは違うからね。妬み、嫉みもある。そりゃ自分はお嬢さまの特別だ、なんて踏ん反り返ってりゃ反感を買うのも仕方ないだろ。その点、あんたは働き者で真面目だからそんなことにはならないだろうけどね。あのおくまさんが褒めてたぐらいだ」
実際、かえでの言うようなことは既にあった。
離れだけではすることがなくなって、厨に顔を出すようになった頃にそこで働く若い娘たちにちくりとやられたのだ。
「いいわよねぇ、お嬢さまのお気に入りは。でも正式な奉公人でないといつまでいられるかわからないわよ」
「ここに来る前は茶店で働いていたんでしょ?」
世間の荒波を知らぬ、浮かれた娘だとでも思われたのだろう。
食ってかかることはせずに、洗い物の手を休めぬまま弥生は「はい」と頷いたあとで「わかってます」と続けた。
その返しが意外だったのだろう、まじまじとこちらを見る二人に淡い笑みを浮かべて弥生は言った。
「少しの間で充分です。おっかさんの弔いで色々要りようだったので、お嬢さまには感謝しかありませんから」
「弔いって……」
「蓄えはないけど、女手一つで苦労して育ててくれたおっかさんなんで人並みのことはしてあげたかったんです」
狼狽えたように二人が怯んだ。
ことさら同情を引こうとは思わない。
だけど好んで面倒事を放置しようという気もない。
店表で働く者達ならともかく、厨の女中とは今後も顔を会わせる機会があるからなおさらだ。茶店で働いていたことも知っているようだし、遅かれ早かれ身の上は噂になるだろうからあえて弥生はそう告げた。
「……ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったの」
芯から意地悪な娘たちでないのだろう。
謝ってくれた二人の娘たちは今では親し気に話しかけてくれるし、厨を取り仕切るおくまという古参の女中も自発的に働く弥生を気にいってくれ、いまのところ面倒なことに巻き込まれていなかった。
「旦那さまがたは何も言われないのですか?」
前掛けで濡れた手を拭いながら、もうひとつ気になっていたことを口にした。
柳屋の権力者だという大お内儀も美桜の父親である柳屋の主人にも弥生は顔を会わせたことがないが彼らは口を挟まないのだろうか?
かえでは周囲をはばかるように見渡して、弥生に数歩近づいた。
口元に手をやり、耳元へと顔を寄せる。
「だから、ここ数年なのよ。大お内儀さまが寝たきりになってめっきり目が届かなくなったからね。それでも目につくようなら辞めさせられることもあるけどさ。でもあんたはたぶん平気よ」
含むようにそう言って、かえでは再び周囲を見渡す。
誰もいないのを確認してさらに身を寄せてきた。
「お嬢さまのお稽古ごとにいつも他の女中がお供につくの、不思議に思わなかった?」
それは弥生も不思議に感じていた。
かえでは美桜つきの女中でもある。完全にというわけではなく、店表のことも熟しながらだが。
だけど、はじめて出会った日のお供も彼女でなかった。
「あたしはここも長いし、美桜お嬢さまとは気安いからね」
眉をしかめてそう言うかえでに弥生はなんとなく理由を悟った。
以前、美桜が口にしていたお目付け役の言葉。
他出の供につくのは主人らの息のかかった奉公人で美桜と親しいかえでではまずいのだろう。
「ちょいとさ、少し前に美桜さまが問題を起こしてね。だからさ姉妹ごっこでもなんでも、お嬢さまの意識が外に向かずに大人しくしてくれるんなら旦那さまも大歓迎ってとこでしょうよ。でも念のため、あたしやおくまさんら以外には関わらないようにした方がいいわよ」
話しはこれでお終い、とばかりにさっと踵を返され、美桜が起こした問題というのがなんなのかは聞けなかった。
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