8 / 33
◆ 捌 ◆
しおりを挟む「梅見、ですか?」
朝餉をとっているところへ出た話題に思わず弥生は聞き返した。
「ああ、ちょうど見頃の時期だからねえ」
二杯目のおかわりも終え、誰よりも早く膳の上のものを平らげた勝三郎が熱い茶を飲みながらのんびりと言った。
そういうことを言っているのじゃない、その言葉を飲み込んで居住まいを正す。
「有り難い申し出ですが、気散じならわたしでなくゆきちゃんかおしまさんにどうぞ。わたしは留守番を務めますので」
抗議の言葉さえ飲み込んだものの、横一文字に引き結ばれた口元からも弥生の不満は明らかだ。
生駒屋は奉公人の処遇に厚い。
三度の飯はもちろん、お八つも出ることがあれば、今度のように主人の持ちで物見遊山や食事に連れて行ってくれることさえある。
繁盛していても奉公人にはこすっからいお店もたんとあるなかで、なんとも気前のいいことだろう。
本来なら浮かれ喜んでしかるべき提案をあっさりと断る弥生の姿に主人夫婦は苦笑いを浮かべた。
「店のことなら心配いりません。姉さんのとこから手伝いを呼ぶからね。それにゆきは桜見物に連れ出すつもりだもの」
お妙の姉の嫁ぎ先は生駒屋からそう遠くない紅白粉問屋で、姉妹仲もたいそうよく、家ぐるみのつみあいもあるので人手の入用なときには互いの店を手伝うこともままある。
ぐっと口をつぐんだ弥生にぴしゃりとお妙は言葉をかさねた。
「それにおりんのお供はあんたの仕事だろう」
好物である胡麻をかけた沢庵の古漬けに白米をほおばっていたおりんも口の中のものを飲み下し加勢する。
「そうよ。やよいはあたしといっしょに行くんだから」
そういうことなら弥生に反論の余地はない。
しぶしぶながらも頷いた弥生へとお妙がしれっとつけたした。
「そうそう、出入りの職人さんらも幾人か誘っておりますからね」
にやにやとした笑みを浮かべるよく似た母娘をなんとも言えない心持ちで恨めしく見やりながら汁ものの椀を口へと運んだ。
早春という言葉が相応しいような空だった。
よく晴れた二月の空は春の訪れと冬の寒さの名残をあわせ持ったかのような薄い空色。
「こりゃすげぇ。花見の前から花二輪だね」
出入りの職人の一人である八介が大げさに目を見開いて驚く。
「あら、あたしは勘定にはいらないのかえ?」
「なんでぃ鏡を見てからいいな。花もかくやってばかしのお嬢さんがたとは比べものにならねぇや」
「ほんと口が減らないね!」
八介のかみさんのおしずがぺしりと亭主の肩を叩いた。
たわむれるようなやり取りに相変わらず仲がいいことと思いながら挨拶を交わす。
共に梅見に出かける連れのなかには八介夫婦のほかに慎之介もおり、彼は弥生の姿を見た途端にほんのりと白い肌を色づけた。
その様に周囲の者達の口元が緩むのが弥生としては居心地わるい。
「でも弥生ちゃん、本当に奇麗だこと。弥生ちゃんは元がいいからねぇ、まるで梅の精が舞い降りたみたいだわ」
おしずは弥生を褒めたあと、腰を落としておりんを褒める。
おりんは紅梅の真新しい着物を着て着飾っていた。
そして弥生も「折角の遠出なのだから」と気合をいれたお妙に着飾ることを強いられた。
普段は薄く白粉をはくだけの肌にきっちりと化粧を施し、お妙の着物を着せられて小物まで誂えられた。
淡い紅梅色の小紋を纏った弥生を道行く人たちがときおりちらちらと振り向く。
「ねぇ、慎之介さんもきれいだって思うでしょう?」
歩きながらおりんが慎之介に問う。
「はい、よくお似合いです」
にんまりとしたおりんの顔が弥生を見上げた。
「そういえば吉野桜という桜が売りに出されるそうですよ」
道中にそんな話題になったのは、先だって慎之介が注文を受けた簪が桜の細工に決まったと話したことからだった。
出入りの植木職人から耳にしたという八介の言葉におしずが「梅見もいいけど、桜もいいわよねぇ」としきりに頷く。
「なんでも色が淡くて上品で、花ぶりもたいそういいそうだ。接ぎ木で増やしてくらしいんだが、こりゃ流行るって熱を入れてた」
「つぎき、ってなぁに?」
弥生と手を繋いだおりんが小首をかしげる。
「接ぎ木ってのは切断した植物同士をくっつけるんですよ」
「くっつくの?」
目をまんまるにした驚き顔を向けられた八介は「そのようですよ」と言いつつ小さく頭を掻いた。彼もそう詳しくはなくて深く追求されるのは困るのだろう。
「じゃあ同じものからたくさん桜ができるのね」
「すごいですね。あっ、お嬢さん飴細工がありますよ」
ひどく感心したふうのおりんに、しどろもどろになる亭主に助け舟をだすようにおしずが興味を逸らす。たちまち駆けて行こうとするおりんの手をぎゅっと掴み、早く早くと急き立てるおりんにならって弥生は歩みを早めた。
満開の梅は見事なものだった。
慎ましくも凛と咲き誇るその花姿は美しく、他出を面倒に思っていた弥生も思わず見惚れるほどだった。
「きれい、きれい」とはしゃぐおりんの言葉に素直に同意する。
お昼は評判の弁当を出す店でとった。
どれも絶品だったが、とりわけ厚めに焼かれた玉子焼きのふわふわした口当たりと甘さといったら格別だった。
思いがけず楽しいときを過ごし、晴れやかな気持ちで梅見を終えた。
10
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説

【完結】ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

葉桜よ、もう一度 【完結】
五月雨輝
歴史・時代
【第9回歴史・時代小説大賞特別賞受賞作】北の小藩の青年藩士、黒須新九郎は、女中のりよに密かに心を惹かれながら、真面目に職務をこなす日々を送っていた。だが、ある日突然、新九郎は藩の産物を横領して抜け売りしたとの無実の嫌疑をかけられ、切腹寸前にまで追い込まれてしまう。新九郎は自らの嫌疑を晴らすべく奔走するが、それは藩を大きく揺るがす巨大な陰謀と哀しい恋の始まりであった。
謀略と裏切り、友情と恋情が交錯し、武士の道と人の想いの狭間で新九郎は疾走する。
南町奉行所お耳役貞永正太郎の捕物帳
勇内一人
歴史・時代
第9回歴史・時代小説大賞奨励賞受賞作品に2024年6月1日より新章「材木商桧木屋お七の訴え」を追加しています(続きではなく途中からなので、わかりづらいかもしれません)
南町奉行所吟味方与力の貞永平一郎の一人息子、正太郎はお多福風邪にかかり両耳の聴覚を失ってしまう。父の跡目を継げない彼は吟味方書物役見習いとして南町奉行所に勤めている。ある時から聞こえない正太郎の耳が死者の声を拾うようになる。それは犯人や証言に不服がある場合、殺された本人が異議を唱える声だった。声を頼りに事件を再捜査すると、思わぬ真実が発覚していく。やがて、平一郎が喧嘩の巻き添えで殺され、正太郎の耳に亡き父の声が届く。
表紙はパブリックドメインQ 著作権フリー絵画:小原古邨 「月と蝙蝠」を使用しております。
2024年10月17日〜エブリスタにも公開を始めました。
ナポレオンの妊活・立会い出産・子育て
せりもも
歴史・時代
帝国の皇子に必要なのは、高貴なる青き血。40歳を過ぎた皇帝ナポレオンは、早急に子宮と結婚する必要があった。だがその前に、彼は、既婚者だった……。ローマ王(ナポレオン2世 ライヒシュタット公)の両親の結婚から、彼がウィーンへ幽閉されるまでを、史実に忠実に描きます。
カクヨムから、一部転載
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
佐々木小次郎と名乗った男は四度死んだふりをした
迷熊井 泥(Make my day)
歴史・時代
巌流島で武蔵と戦ったあの佐々木小次郎は剣聖伊藤一刀斎に剣を学び、徳川家のため幕府を脅かす海賊を粛清し、たった一人で島津と戦い、豊臣秀頼の捜索に人生を捧げた公儀隠密だった。孤独に生きた宮本武蔵を理解し最も慕ったのもじつはこの佐々木小次郎を名乗った男だった。任務のために巌流島での決闘を演じ通算四度も死んだふりをした実在した超人剣士の物語である。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる