桜花 ~いまも記憶に舞い散るは、かくも愛しき薄紅の君~

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◆ 伍 ◆

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「失礼します」そう声をかけてから唐紙を開けた。

きっちりと膝を揃えて慎之介が正座していた。
身なりもいつもより上等だ。
脇に置いていたお盆を引き寄せ、熱い茶と菓子を置くとはにかんだ顔で礼を言われた。

「申し訳ございません。お客さまは到着がすこし遅れるようです」

茶菓を勧め、お妙からの伝言を伝える。

「そうですか。生駒屋のご主人は?」

得意先の屋内だからというわけではなく、弥生のような小娘相手でも慎之介の言葉はいつだって丁寧だ。

「お客さまをお迎えに出て、一緒に戻られるそうです」

わかりました、と素直に頷く慎之介とは裏腹に弥生は勘ぐらずにはいられなかった。

「お待たせして申し訳ないからお客さまがくるまでお持て成しして」

にっこりと笑顔でそう告げた主人夫婦が早めに慎之介を呼んだのでは?と考えてしまうのは意地悪が過ぎるだろうか。
当の本人といえば、そんな疑いなど欠片もなしに春の日差しのような穏やかな笑みを浮かべている。

「娘御の嫁入り道具だとか。そのような品に携わらせて頂き嬉しい限りです」

心の底から誇らしそうに「若い娘さんはどのような細工が好みだろうか」と細工の話をする慎之介に相づちを打ちつつ、弥生はこっそりと彼を眺める。

色白で整った顔だ。
肌の白さや少し困ったような優し気な笑みが気弱さを感じさせるが、それでもさぞやもてることだろう。
実際、弥生が現れるまでは狙っていた娘も沢山いたと以前お妙やおしまが話していた。気質も穏やかで仕事の腕もいい。娘たちが熱を上げるのもわからずともない。

今日のように上等な身なりをしていれば尚更だ。
これで眉をきりりと上げて、颯爽さっそうと振る舞ったならば付け文でたもとがいっぱいになるだろうにとも思う。

女の趣味が悪いのだろうか?

そんな失礼なことを考えながら顔をまじまじと見すぎたのか、気後れしたように「どうかなさいました?」と問われて慌てていいえと誤魔化した。

「これまでこしらえた細工を参考に見せて欲しいと先方からの申し出で、いくつかお持ちしたんです」

そう言って慎之介は濃い紫のふくさを取り出した。

「そうは言ってもこしらえたそばから捌かなきゃ暮らしが立ち行かないんで、細工途中のもんくらいしか手元にはないんですがね」

照れ笑いしながらそれを開く。

ふくさには三本の簪やこうがいが包まれていた。
どれも丁寧な仕事がなされた見事な品だった。

一本一本、手にとって説明をする若い職人は心の底から己の仕事が好きなのだろう。黒目の澄んだ眸はきらきらと輝き、口ぶりには誇りと情熱が宿っている。

だが、熱を帯びたその語りを弥生は聞いてはいなかった。

視線が一本の簪に釘づけになる。
じっと注がれるその視線に気づいたのだろう。
器用そうな指が一輪の簪を摘み上げた。

「これはずいぶんと工夫を凝らしたんですよ。もっと紅色を濃くした方が華やかになるんじゃないかとご主人には言われたんですがね。淡い色合いだからこそ、それこそ黒々とした黒髪に挿せば可憐に映えると思ったんです」

ほら、と弥生の髪に寄せ……、すぐさまそれでは弥生自身に見えぬことに気付いてあっと声を漏らした彼の手元をじっと見る。

季節にはまだ早い薄紅の桜が数輪咲いている。
本物と見紛うばかりのそれはほんのりと淡い桜色で、中央にいくほど微かに色づいていた。

あまりに熱心に見すぎ、はっと慌てて笑みを作った。

「すごく奇麗です」

この場を取り繕う言葉を、だけど本心からそう告げたあとで弥生はちらと廊下の方へと視線を向ける。

「まだお越しになられませんね、お待たせして申し訳ありません。ちょっとお内儀かみさんに聞いてまいります」

一言で言い切ると、慎之介に軽く頭を下げた弥生はお盆を胸に抱いて部屋を出た。

足音を立てぬ歩みは部屋から遠ざかるにつれどんどん早く。やがて廊下の端まできたところで胸に溜まった息をすべて吐き出すように深く大きく息を吐いた。

お妙の元へと向かわねばならぬ足はなかなか向いてはくれない。
心を落ち着けて表情を取り繕うのには、いましばらくのときが必要だった。両手で掻き抱くようにお盆を抱いたまま息を吸っては吐く。

瞼を閉じれば、淡い闇の中で幻の花弁がひらりと舞った。


あのは まるで薄紅の桜みたいだった。

軽やかに、華やかに、ひらひら舞い遊ぶ桜の花びら。
鮮やかに目を奪って、手を伸ばしても指先をそっと掠めて掴めない。

そんな、春に咲く花のような娘。

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