桜花 ~いまも記憶に舞い散るは、かくも愛しき薄紅の君~

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◆ 壱 ◆

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漆黒にはほど遠いうす暗闇。
そんな中途半端な闇の中で身を横たえている。

泣き声をあげることさえ忘れ、なにをすることも出来ぬままに。

顔を向けたその先だけがぼんやりと明るい。
だけどぼやけた視界はまともな像を浮かばせず、おぼろげな輪郭を捉えるばかり。

だから……その老婆にはいつも顔がない。

「不吉な」

しわがれた声が吐き捨てる。

顔立ちも表情も捉えられないのっぺらぼう。
それでも老婆の顔に嫌悪と侮蔑が浮かんでいるのはありありとわかる。
心の底から忌まわし気な視線と声。

それを受けてもわたしは身動き一つ出来ぬまま。
満足に働かぬ目と耳でそれらを見て聞くことしか出来ない。

「殺せ」

ひび割れた声がそう命じる。

「殺せっ、殺してしまえ」

冷たく無慈悲に老婆は命じ、ぼやけた視界いっぱいに肌色のなにかが迫る。

それはきっと誰かの腕だ。
老婆の命令に従い、わたしへと伸ばされた腕。

その腕がわたしを掴み_______。

閉ざされた瞼裏に映るのは、今度こそ本当の闇。


怖くて、哀しくて、途方もなく寂しい。
胸に深く残るのは、泣きたいぐらいの心細さ。

その理由をわたしは知っている。

人は、生まれたときからどうしようもなく独りぼっちなんだ。




はっと目が覚めた。

うす暗闇のなか、ただ無為に天井を見上げる。
まるで夢の残滓を引きずったように心の奥に拭いきれない切なさや寂しさが居座っていた。

夜着に寝ころんだまま天井を見上げ、息を吸って、吐いた。
それを幾度か続けるうちに心は平静を取り戻し、暗さになれた目が部屋の様子を捉える。

物が少ないためがらんとして見える六畳間の座敷。
天上に向けていた視線を周囲へと移し、面白みのない室内をゆっくりと見渡した。

ここは生駒屋。
主人の勝三郎かつさぶろうとおたえ夫婦が営む小間物屋。

店構えこそ大ぶりではないものの市中では知られた繁盛店で弥生やよいは二年前からここで働いている。
主人夫婦の一人娘の名はおりんで六歳と可愛い盛り。通いの番頭と、女中は弥生の他に二人いる。古参のおしまは所帯持ちだし、もう一人のゆきも親元からの通いで、住み込みで働いているのは弥生だけ。だからこそ一人でこの部屋を宛がわれている。

そんな取り留めのないことを反芻はんすうし、現在の自分の居場所と立場を把握する。

そうする内に心の臓も落ち着きを取り戻した。

つっ、と視線を再び滑らす。
視界は慣れたものの、差し込む光は気配すらない。
夜明けはまだまだ遠かった。
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