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固く心に誓った
しおりを挟む「あまり飲み過ぎになられませんように」
眼の前に置かれた酒と共に、そんな言葉を貰う。
グラスに満ちた琥珀色の液体に口をつけながら「わかってる」と苦く呟く。
酒の瓶の横、コトリと置かれた皿の上。
そこに乗るのは、昼の茶会でも出されたミートパイ。
「酒だけでは胃を痛められますので」
つまみは要らないと告げた。
だけどこれならきっと手をつけるだろうと思われたのだろう、出来る執事は今日も強かだ。そして自分のことをよく理解している。
「懐かしさを感じられないのが残念なことだな」
一口、切り取ったそれを味わってぽつりと呟く。濃厚なそれは酒の風味にもよくあって美味しい。美味しいとは感じるが、そこに懐かしさを覚えることはなかった。
「まさかクローディア様がジルベルト様のかつてのお知り合いであられたとは」
「世の中は狭いな」
いつだって全てを見透かしたような彼でも流石に予想の範囲外だったようだ。
そう考えて、ふと思いつく。
聞きたかったこと。
聞けなかったこと。
人の感情の機微に敏いクロードならもしかしたら、と。
「クロード。クローディアには他に好きな男が居ると思うか?」
グラスの酒を飲み干せば、強い酒精が喉を焼く。
何気ない風を装って声を出しては見たが、クロードの反応を見るに上手くはいっていなかったようだ。
「貴方様からそのようなことを聞く日がくるとは思いませんでした」
くつくつと喉を震わす男を睨みつける。
らしくないことなど当に自覚している。
「例のご友人のことを気にしておられですか?恐らく、その心配はないかと」
あまりにもはっきりと言い切るクロードを訝し気に見つめた。何か知っているのかと視線で問えば、彼は答えるかどうか迷っているようだった。
じっと視線を注ぎ続ければ、観念したのか重い口が開く。
「確証は有りませんが、その方はきっと女性のご友人ではないかと」
「 如何いうことだ?」
「ジルベルト様がクローディア様との約束を放り出した次の日、彼女が何処へ出かけたのか御者に後から確認をとりました。向かわれた商店には男装をなさっているお嬢様がいらっしゃるという話も耳にしたことがありますので」
思ってもみない話に眼を瞬く。
「だがその女性に会いに行ったかはわからないだろう。商店なら他に男もいるだろうし」
「それはないかと」
クロードの口元に小さく笑みが浮かぶ。
「クローディア様は男性があまり得意ではないご様子ですから」
「は?」
言われた意味がわからなかった。
思わず身を起こして振り返れば、正面から見た男は驚く此方の様子を可笑しそうに眺めていた。
「嫌いなのか苦手なのか。普通に接する分にそれを感じさせることがないのは軽度なのでしょうが。私もはじめはまったく気づきませんでしたし、流石王妃教育を積まれているだけのことはある」
「本当なのか?」
「ええ、上手く取り繕ってらっしゃいますが唐突な接触などには反応が強張ることがあられます。貴方様に対しては嫌悪感は見られませんが」
男嫌い。
驚いたが、今日聞いた彼女の話を思い出せばある種当然の気もした。
誰もが彼女を利用し、不当に扱った。
自分を含めて。
後悔に頭を抱えた手が重く沈む。
「此方に見知ったお知り合いはおられないでしょうし、クローディア様が街に出られたのはほんの数度。短期間にそれ程親しくなられたのならきっとそのお嬢様ではないかと」
「成程」
憂いは晴れたが、別の悔恨で心が重く沈んだ。
「以前のようにお互い取り繕いあって核心に触れないようになさるのはお勧めできませんが、あまり急激に距離を詰めようとするのも逃げられてしまいそうですね」
完全に面白がっている男を恨めし気に睨んだ。
「まるで警戒心の強い猫のようだな」
「左様で」
グラスの中でカランと涼やかな音を立てて氷が傾く。その中を満たす液体を求めて伸ばした手は、だけどすぐそばの男によって瓶を遠ざけられて遮られる。
「飲み過ぎは成りませんと申し上げました。眠れないのならば、クローディア様が調合なさったお茶をお淹れ致しますよ」
「頼む」
どうあったってそれを取り戻すことは出来ないと知っているから素直に頷けば、眼鏡の奥の琥珀色の瞳が満足そうに細まった。
ジルベルトの書斎から頼んだ本の山を抱えて来てくれたクロードを捕まえて開口一番問いかけた。
「何か言ったでしょう」と。
今はマリーもクレアも席を外していない。
そのチャンスを逃さず問いかけたクローディアに絶対に何のことを言ってるかわかっている癖に「何の事でしょう」と和やかに返してみせる彼は面の皮が厚い。
正直、見習いたいぐらいだ。
最近めっきり猫が剥がれてる自分としてはそんなとこさえ憎らしい。
「しらばっくれないで。わたくしが男嫌いなの気づいてたのは貴方ぐらいだもの」
今まで誰にも気づかれることなんてなかった。
クロードを除いて。
最近、ジルベルトはクローディアに触れる前に声を掛けることが多くなった。元々世話をしてくれていたのは侍女達が主だったけれど、最近特に男性が周りにつくことが減った。気を遣われている。
ジルベルトが自分で気づいたとは思わない。
ならば犯人は一人だ。
「あまり不用意な接触はご不満かと思ったのですが、余計な忠告でしたでしょうか」
涼し気な声音が腹立つ。
「接触が減るのは大歓迎だけど下手に気を遣われるのもいちいち声を掛けられるのも迷惑なのよ」
それに尽きる。
適度な距離を保ってくれるのは大いに助かる。
だけど「触れていいですか?」とかいちいち聞かれるのも避けられる程度の動きで触れてこられるのも恥ずかしい。
「それは申し訳ありませんでした」
あくまで言葉だけの謝罪を告げて、持ってきた本をテーブルに置いてくれるクロードに顔を逸らしたまま礼を告げる。
「大体出来る執事としてはそんな忠告よりももっと大事な忠告をすべきでなくて?」
「大事な忠告とは?」
「主の間違いを正す忠告」
逸らしていた顔を戻して琥珀の瞳を真正面から見据えた。
「彼にはもっと他に相応しい女性が幾らでもいるでしょう。ジルベルト様は伯爵家の次男で国のエリート。一方わたくしは婚約破棄に絶縁に国外追放までされた身分すらない女よ。彼を諫めるのが役目じゃないの」
「身分のことに関してはさほど問題がないかと。テオドール様方は恩人であられるクローディア様に好意的であられますし、何よりクローディア様は巷で聖女として名声を誇ってらっしゃいますから」
凄く聞き捨てならない言葉があった。
「待って、名声って何?噂になってるって以前ジルベルト様から伺ったけどそんなに噂になってるの?」
ぎくしゃくと問いかければ、にっこりと微笑まれる。
「今や貴女様の名前を知らない方は居ない程に」
「・・・・・・」
思わず頭を抱えてテーブルに突っ伏した。
「嘘でしょ」思わず漏れた声に「誠でございます」とにこやかな追い打ち。本当にこの男いい性格してる。
「それに私には主の意思を変えることは出来ませんと以前申し上げました」
「そこを頑張って」
よろよろと身を起こすも首を横に振られる。
「まったくの予想外というわけでもありませんし」
「貴女様にとっては予想外なのかも知れませんが」と続けられた言葉の意味を考えているとそれこそ予想外の爆弾を放り投げられた。
「ジルベルト様は随分と早い時期からクローディア様に執着されておりましたよ。それこそ、あの方にとっては珍しい程に」
眼を見開く。
「取引は成立しないと以前貴女様はおっしゃった。私もそう思っていました。ジルベルト様が何を望んでいたかは知らなくとも、貴方様を利用することを躊躇われるだろうと」
シルバーのフレームの奥、細められた瞳が柔らかな視線を投げかける。
「だからこそ最初、私はすぐにジルベルト様がクローディア様を手放されると思っていました。だけどあの方はそうはしなかった。いつまでも貴方様を傍に置き、大切に扱った。その理由など、たった一つしかないでしょう?」
知らない。
そんな理由は知らない。
「クローディア様は存外想定外の出来事には弱くてらっしゃいますね。あとご自身のことに関してだけは鈍くてらっしゃる。これは敢えて見ないようにしてらっしゃるのかも知れませんが」
「貴方本当に嫌っ!」
思わず両の拳を握りしめる。
怒りに任せて吐き出せば、いつかのように笑いながら「申し訳ありません」と慇懃な謝罪。
綺麗に折った姿勢を真っすぐに直しながら「それに」と茶目っ気たっぷりに零された言葉。
「貴女様方の仲を邪魔でもしようものならクレアに嫌われてしまいます。彼女はすっかりクローディア様 贔屓ですし」
取り敢えず、今度クロード絡みで何かあればクレアに泣きつこうとそう決めた。
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