おままごとみたいな恋をした

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魔女の短剣

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「・・・カイル様?」

 深く俯いた彼の表情は黒髪に覆われて見えない。

 よろよろと足を引きずるような歩みの彼がクローディアの数歩手前で止まった。
 胸の前で掲げられた両手。
 小さなその手に握り締められた短剣の刃が鈍く光る。

 クローディアへと向けられた切っ先が大きく震えていた。まるでわざとやっているのではないかというぐらいガタガタと震える刃は、彼自身が震えているから。

「カイル様」

 もう一度名を呼べば、ビクリと肩が大きく跳ねた。

 上げられたカイルの表情は可哀想なぐらい悲痛だった。
 屋敷に着いた時も思ったが、まだまろさを残していた頬が痩せ、眼にの下には隈が浮かんでいた。固く引き絞った唇、緋色の瞳から止めどなく零れる涙。もう如何しようもない程に涙に濡れているというのに、まるで泣くまいとするかのように強張った表情。

 一歩踏み出したクローディアに両手で抱えた短剣を突き出す。
 睨みつける緋色の瞳。だけど瞳には憎しみがなく必死に強がっているようにしか見えないその姿が酷く哀れだった。

「来ないで下さいっ!!」

 また一歩近づくクローディアにカイルが叫ぶ。

 両手を突き出したまま、それでも歩みを止めないクローディアに恐怖の表情を浮かべて後ずさる。
 数歩しかなかった距離をつめ、短剣を握るカイルの手に触れれば熱いものに触れたかのようにひときわ大きく彼の手が震えて短剣がカーペットの上へと落ちた。小さな肩が、指が、全身が震えていた。

「・・・クローディア様を・・・・・・殺・・・せば、クリスが・・・助かる・・・て・・」

 ひくりと喉を震わせながらカイルが途切れ途切れに言葉を紡ぐ。

「わたくしと彼の話を聞いてらしたのね」

 問い掛けに小さくカイルがこくりと頷く。


 オーナメントを探しに行ったまま戻らないクローディアを迎えにきて、開かれた扉の間からクローディアとジルベルトの会話が聞こえたらしい。その時は意味がわからなくって、ただ、殺すと言う言葉が恐くて足音を立てないように急いでシャーロット達の所へ戻ったとカイルは語る。


 一人でずっとその意味を考えて。

 侍女達が宣言された余命の倍の期間を超える誕生日を無事に迎えられるだろうかと言う噂話を耳にして。
 クリストファーが体調を崩すたびにシャーロットやテオドールの表情が、自分達には見せないようにしているけど苦痛に歪むのを知っていて。
 またクリストファーが発作を起こして、体調が全然回復しなくて。

 助かるって言葉だけがずっと頭に響いていた。

「・・・僕は、クリスの兄様だからっっ・・・クリスを・・弟を・・・守らなきゃ、いけないのにっ!!」

「全然守ってあげられない」呟いた声音が酷く悲しい。

 片手で目元を擦るカイルをカーペットに膝をついてクローディアは抱きしめた。

「・・・ごめんなさい」

 まるで壊れたレコードのようにごめんなさいを嗚咽混じりに呟くカイルの背を、あやすようにぽんぽんと叩く。「大丈夫」「怒っていないわ」その度に何度も繰り返しながら。

 隈の浮いた目元を親指でそっと撫ぜても、涙は次から次へと止めどなく溢れて拭ってあげる事が出来ない。クローディアはカイルの額にこつと自らの額を合わせた。

「必死にクリストファー様を守ろうとなさったのね。一人でずっと考えて、苦しんで。カイル様は立派なお兄様だわ」

 小さな手がぎゅっとクローディアの服を掴んで、クローディアの胸元に縋りつく。
 ごめんなさいを繰り返しながら、漏らされた一言。


「・・・助けてっ」

 それは、誰に向けられた言葉でも無かったのかも知れない。
 眼の前のクローディアでも、特定の誰かでもなく、唯の祈りであったのかも知れなかった。

 それでも

「ええ。助けてあげる」

 その言葉は、何よりも強くクローディアの心に響いた。



 きつくカイルを抱きしめて、強い声で応える。

 必ず助けると、そう覚悟を決めた。



 魔術で少量の氷を生み出し、ハンカチに包んでカイルの瞼へ当てる。

 泣きはらした瞼は腫れて重たげだ。少しでも腫れが引いてくれればいいのだけど。泣き止んだカイルを座らせてカップの紅茶を差し出した。温めなおす事も出来るけど、沢山泣いて喉が渇いているだろうからすぐに飲める方がいいかと思ってカップはあえてそのままだ。

 拾いあげた短剣を眺める。
 真紅の鞘に薔薇の意匠と金の縁取りがなされた美しい短剣だった。

「この短剣はカイル様の物なの?」

 幼い彼が持つには不釣り合いな凶器にそう尋ねればハンカチをどけたカイルが首を振った。

「お祖母様の部屋で見つけたものです」

 どうやら泣きたい時や、独りになりたい時に今は使われていない祖母の部屋にこっそり潜り込んでいて見つけたものらしい。
 美しいそれが何故か酷くクローディアの心を惹いた。

「大切な物かしら?」

「いいえ。お祖母様のお部屋の奥にずっとそのままになっていたものなので、そもそも誰も存在自体気にしてないと思います。僕が持ち出してもばれなかったし」

「じゃあ、カイル様、わたくしにこれを下さらない?クリストファー様を助ける対価として」

 申し出にカイルがカップを両手で持ったまま、一度こくりと頷いて。
 「でも」と不安そうにクローディアを見上げる。

「・・・助けるって・・・どうやって、ですか?」

「今はまだ内緒」

「叔父上が・・・・・クローディア様を、殺す・・・んですか?それは嫌です!」

 人差し指を唇の前に立て、誤魔化したクローディアに不安そうなまま言葉を紡いだカイルが立ち上がった。テーブルに手を付き、俯いたまま続ける。

「僕があんな事をしようとしたのに、言える権利なんてないけど・・・嫌・・・です。ごめんなさい」

 小さく震える肩に、折角泣き止んで下さったのにまた泣いてしまっては大変とカイルの傍にしゃがみ込んで手を握った。

「大丈夫よ。彼はそんな事しないし、貴方と同じで出来ないわ。色々確実じゃないし、詳しくは言えないのだけど、それでも出来る限り頑張ってみるわ」


「ねっ」と緋色の瞳へ笑いかける。


 まだ僅かに熱をもった瞼を冷やすように指で撫でて、反対の手で先程と同じように人差し指を一本唇の前へと立てた。



「今日の事はわたくし達二人だけの秘密よ?」


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