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ショコラブラウン
しおりを挟む気まずい。
胸の中の感情に名前をつけるならこの一言に尽きた。
あの話をして数日。ジルベルトの態度は分かりやすくぎこちなかった。それはもう分かりやすく。
屋敷の者やセオは問いただしこそしなかったけれど、遠慮のないゼロスやアルバートには速攻で指摘された。彼に演技や嘘が向いていないのはわかりきっていた事だし仕方がない。
そして話す訳にもいかない。
どう説明すればいいと言うのか。
実は生贄として彼女を殺そうとしていたのがバレました。
アルバートやオズワルドにそう言った時の反応をちょっと見てみたい気もするが。
ジルベルトは相変わらず優しいし気遣ってくれる。今はその気を遣いすぎているところが問題なのだが。性格的にジルベルトに開き直るのは無理なんだろうけれど。
はぁ、と大きく溜息を吐く。
因みに場所はジルベルトの屋敷の鍛錬場。
それ程大規模な物ではないが、屋敷の隅にあるジルベルトの鍛錬場は存分に魔術を扱える造りとなっており、勿論防音。クローディアはジルベルトに許可をとって時々使用している。使用時は常に一人。特に鬱憤が溜まった時など思いっきり剣を振るい魔術を放つ。
シュネールクラインでもよくやった。勿論一人で鍵を掛けて。
防音最高。
密室最高。
人様にはとても見せる事の出来ない姿だ。
額から垂れてきた汗を腕で雑に拭う。漏れる息は荒く、肩が忙しなく上下する。
最近は特にこの場所を使用する機会が増えていた。隠しきれなくなってきている心の靄を払うために。
そして彼に勝つために。
若干ハードな鍛錬の後、汗を流し一休みしたクローディアは街へと繰り出した。
実はクローディアは一人で出歩いた事がほとんどない。マリーやクレアには心配されたが何とか躱す事に成功。何せ気晴らしなのだ。被った猫を脱ぎたい。
最近ちょくちょく脱げてる事は一応自覚済みだが。
クローディアの恰好はドレスではなくワンピースにボレロという無難な服装。Aラインのシンプルなワンピースで、ウエスト部分の菫色のリボンがアクセント。気ままに散策できるように靴も踵の低い物を選んだ。
さて気晴らしをと意気込んだのも束の間。
自分を取り囲む四人の男。顔にはにやにやと下卑た笑み。
クローディアはわかりやすく絡まれていた。
一人の男がクローディアの手を掴もうと伸ばした腕を躱す。周囲に視線をちらりとやれば気まずそうに、あるいは心配の色を浮かべながらも逸らされる視線。因みに助けを期待したわけじゃない。ただ人目が在る中で男共を伸すのもなとそんな気持ちの視線だった。
さて、如何しようか。
思案しているところへ
「待たせてごめん!!貴族様のお相手が長引いてしまって」
見知らぬ男が忙し気に走り寄って来た。
「遅くなっちゃって本当にごめんね。代わりに何でも好きな物を奢ってあげるね」
四人の男を通り抜けた彼がクローディアに甘やかに微笑みかける。
誰?正直そう思ったけれど、どうやら自分を助けてくれているようなので話を合わせる。
「本当?約束よ。今度遅刻したら許さないから。貴族様ったらいっつも貴方を独占するんだから」
ぶりっ子しつつプンプンしてみた。
男の連れが現れたのと、貴族の単語にやばいと男達がそそくさと去って行った。心配気に見守っていた野次馬達も。
「大丈夫だった?」
小声で囁きかける男に、先程の男達の姿が完全に見えなくなった事を確認して頭を下げた。
「助けて頂き、有難う御座いました」
突如雰囲気の変わったクローディアに「演技上手だね」と男は朗らかに笑う。
男は仕立てのいい薄茶のスーツを着ていた。上品に整えられた身嗜み。貴族ではなさそうだが裕福な出だろう。細身で、ショコラブラウンの髪と瞳。顔立ちは派手でこそないけど整っており、何よりその名の通りチョコレートのような瞳がとても甘い。
「お嬢さんは一人?」
問い掛けにええ、と答えれば彼の顔が顰められた。
「何処へ行くの?」
特に決めてない、と答えれば一層思案気な顔になった後、クローディアの姿を上から下まで眺めた。
「もし良かったら僕もご一緒させてもらえないかな?君みたいな可愛い子が一人で居たらまた絡まれちゃうよ」
下心を一切感じさせない申し出にクローディアは暫し考える。本音を言えば一人で散策をしたい。だけど彼のいう事も一理あった。何せ馬車を降りて数分もしない内に絡まれた。今も時々視線が投げかけられているのを感じている。彼が去れば新たな輩に絡まれる事は目に見えていた。
「じゃあ、お願いしてもいいかしら?実は街の事も何もわからなくて何処へ行こうかも迷ってたの」
どうせもう会う必要のない相手なら猫を被る必要もなくて気兼ねしないし。そんな事を考えて、話やすい彼に虫よけと案内をお願いする。
「お嬢さんの事は何て呼べばいい?」
「・・・」
名を告げるべきか迷っていると、「別に本名じゃなくてもいいよ。ただずっとお嬢さんっていうのも微妙だから」と言ってくれたのでその言葉に甘える。
「・・・ディー」
「ディー。可愛い名前だね。僕の事はレイって呼んで」
似合わない名前だと思いつつ告げたのに、レイは甘く笑って軽く流す。
言いそうな事はアルバートと同じなのに、全くチャラさを感じさせない爽やかさにクローディアは謎の感動を覚えた。
手の中には小さな使い捨てのカップ。
中身は果実を絞った酸味のある果汁で、歩きながら飲み物を口にするのなんて初めてなクローディアは零さないように慎重に口をつける。慎重になるあまりその度に歩みが疎かになるのを、レイは微笑まし気に眺めながら嫌がりもせずに歩調を合わせてくれた。
「何が見たい?綺麗な装飾品の店も、可愛い雑貨も、流行りの服屋もこの辺りのことなら僕はちょっと詳しいよ。それとも美味しい食べ物がいい?ディーは何が好き?」
指を折りつつお勧めしてくれるお店はどれも素敵で
「そんなにいっぱい言われたら迷っちゃうわ」
「それは困ったな。じゃあ近場から寄ってみる?途中で行きたい所が決まったらそこへ行こうか」
そう言って再び賑わう通りを歩き始めた。
至る所に来月行われる《星祝祭》のポスターが張られ、祝祭用の商品を売り出す店々が並ぶ通りはひどく賑やかだった。
自分で言っていただけの事はあり、レイはこの辺りに詳しかった。
お客さんでいっぱいの可愛い雑貨屋も、入り組んだ道の奥にある書店も、一見店には見えない隠れ家のようなレトロなカフェも。おまけに彼はとても顔が利いて、覗いた露店で菓子等を買う際もおまけを沢山つけて貰った。お蔭でクローディアのお腹は一杯だ。
薄っすらとオレンジ色に染まりだした空に、あっと言う間に時間が経った事を思い知る。
「今日は有難う。凄く楽しかったわ」
「こちらこそ、僕もすごく楽しかったよ。もしまた何処かで見かけたら是非声を掛けて」
にっこりと笑いながら、先程露店で買った蜂蜜を固めた菓子を差し出してくれるレイにありがとうと告げて手を伸ばす。優しい甘さが口の中に広がった。
「でも、次は誰かに着いてきてもらった方がいいよ」
「いや」
レイの忠告に子供みたいな拗ねた声が出た。
「だって誰かに着いてきて貰ったら目的が果たせないもの」
「目的?」
「被ってる猫を脱ぎ去りたい」
クローディアの言葉にレイが噴出した。口元を腕で隠したまま肩がプルプルと震えている。
「そんなに笑わなくてもいいじゃない!」
「ごめん。ディーって猫っぽいから、ディーが猫の着ぐるみ着てぽいっってしてるとこが頭に浮かんじゃった」
可愛い、可愛いとレイが笑う。
「ディーは猫かぶりなんだ?」
「そうよ。厚着で暑苦しいんだもの」
「でも確かに、わからないでもないな。ずっと取り繕っているのは疲れるもんね。偶に誰の眼も届かないところに逃げ出したくなる事がある」
「レイも?」
隣を歩くレイを覗きこめば「うーん」と小さく首を傾げながら苦笑いされた。
「そう思う時があるのは確かなんだけどね。だけどもう身につき過ぎちゃって、半分それが素になっちゃってるっていうとこもあるんだよね。今更やめろって言われても逆に無理っていうか」
「すごい良くわかるわ!散々取り繕ってきた相手に素で接しろとか恥ずかしくて軽く死ねるもの」
「だよね」
そんな事を話している間に迎えの馬車が待つすぐ傍まで着いた。
楽しかった時間が終わってしまう事に名残惜しさを感じながら手を振れば
「ディーには本音で話せて楽しかったよ。気をつけて帰ってね」
ショコラブラウンの瞳を甘く緩めてレイが手を振り返してくれた。
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