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観客の居ない滑稽な戯曲。
しおりを挟む野次馬達の騒めきに呑まれた会場をジルベルトは足早に扉へと向かう。
騎士達に拘束を解かれたクローディアは既に退出していた。すぐにでも後を追いたかったが流石に同僚に何も告げずにこの場を去る事も出来ずに、姿を見つけたヴィンセントに簡単に言付けを残しその場を後にした。
無人の回廊を進み、月が差し込む一角で漸く彼女に追いついた。どうやら先客が居たらしく、ジルベルトは咄嗟に柱の陰へと隠れる。クローディアの腕を掴み何やら言い募る神経質そうな男の顔はおぼろげながら覚えがある。確か公爵家の長男。
「一体何を考えているんだ!?今すぐレオン殿下の許に戻って謝罪するんだ。そうすれば殿下やフローラだってきっと」
「何の為に?」
感情を荒げる男の言葉を平坦な声が遮る。
掴まれたままの腕を視線で示し「離して下さるかしら」と続けた。
「この国に、居られなくなるんだぞ」
クローディアの態度に信じられないと言いたげに男が眼を見張る。眼鏡を指先で上げる動作をアメジストの瞳が無感動に見上げた。
「だから何だと言うんですの?元々わたくしは聖女としてこの国に連れて来られ、レオン殿下に婚約者へと望まれた。聖女としても婚約者としても必要ないと彼が言ったんだから、わたくしがこの国に居る必要がそもそもないのではなくて」
「・・・・・・」
「わたくしは謝らないし、レオン殿下もお許しにならないでしょう。こんなところを誰かに見られたら貴方まで噂の的になってしまってよ。早くお戻りになって」
言葉を失った男の背をそっと押して「今までお世話になりました」と礼をする。下げられたままの頭に、男は自分が去るまで動くつもりがないと悟ったのだろう。未練を残した足取りのまま去っていく。
回廊に一人残されたクローディアは月を見上げていた。
蒼い夜の闇に、満月が煌々と照っていた。
闇を裂いて柔らかな光が辺りへと零れ落ちる。先程までいた喧騒とは程遠い静寂。
細い指が何かを掴もうとするかのようにそっと空へと伸ばされた。
何故だかはわからない。
ジルベルトはその指を掴みたい衝動に駆られた。
無意識に踏み出した足に、コツリと硬質な音が響いた。破られた静寂にクローディアの細い肩がびくりと揺れた。夢から醒めたように振り返った彼女の表情が固まる。漏れかけた声を抑えようとして唇に当てられた手。零れてしまいそうな大きな瞳。自分一人だと思っていた所に見知らぬ男が突然現れて驚いたのだろうか、両手で胸元を抑えて後ずさった彼女に柔らかな声を意識して声を掛けた。
「美しい月ですね」
大きな瞳でじっと此方を窺う様子に本当に猫みたいだなと思った。
「突然お声掛けして申し訳ありません。ジルベルト・オルセインと申します。本日はマーリンの魔術師団の一員として此方に伺いました」
礼をして告げれば「・・・ジル・・ベルト様」とクローディアが戸惑ったように名を復唱した。
思えば、クローディアがジルベルトの名を呼んだのは後にも先にもあの一回だけだ。
「それで・・・何の御用ですの?」
気を取り直したのか、問いかけられたそれにジルベルトは答えに窮する。
自分は何をしようとしているのか。
自問して、息が詰まる。
彼女を手に入れようとしている。眼の前のこの女性を、その命を贄として捧げる為に。
歪んだ表情に、クローディアが不審を浮かべる。
自らの悍ましさに胃の腑が冷たく凍えた。
彼女が生に執着していないからと。彼女が裁かれた罪人だからと。そんな身勝手な理由を免罪符に、見ず知らずの女性の命を己の願望の為に奪おうとしている。
悍ましさを覚えながらも、それでも尚、諦めきれないものがあった。
「貴女は、これから如何されるのですか?」
「特に決めていませんわ。取り敢えず適当に近隣の国に行くつもりです」
「でしたら、私と共にマーリンへ行きませんか?」
問い掛けながら、ごくりと無様に喉がなった。
怪しまれるのは承知の上。それでも行き場を失った彼女ならと、打算があった。この場で了承が得られるとは勿論思っていなかったけれど、滞在中に説き伏せる事が出来ればと。
なのに。
「構いませんわ」
あっさりとクローディアは頷いた。
呆然としたジルベルトに「如何して貴方の方が驚かれますの?」とくすくすと笑う。
「わたくしには居場所が無いもの。貴方がマーリンへ連れて行って下さるのなら喜んで同行致しますわ。だけど如何してそんな申し出をして下さったのかぐらいは知りたいわ」
楽し気に語っていた彼女の瞳が急に真剣みを帯びる。アメジストの深い紫がジルベルトを見据えた。誤魔化しを許さない真っすぐな瞳。
「言いたくないなら仰らなくても構いません。だけど嘘は吐かないで。貴方にはわたくしが必要なの?」
その瞳に、嘘を吐く事は出来なかった。
「運命だと思ったんです」
だから、言えない事は言わずに、ただ思った事だけを言った。
「運命、ね」
陳腐な言葉に鮮やかな唇が震える。
零れた言葉は、我ながら失笑をされて仕方ない陳腐な台詞だと思う。
だけどあの時、確かに思った。
剣先にも怯まなかった、あの美しいアメジストの瞳を眼にした瞬間。それは決してロマンチックなものでは無くて、醜悪で歪な、自らの悍ましい行動を正当化する為だけの言葉だと知ってはいたけれど。
色々と思い出して、より一層穴に入りたくなった。
両手で掴んだ髪が乱れる。いっそ穴に入りたいというよりも、過去に戻れるのなら彼女の手を取った自分を斬り殺したい。
あの後、彼女の手を取り、跪いて求婚をした。
月明りだけが照らす回廊で、唇を寄せた彼女の手は酷く小さかった。
レオン殿下の断罪を性質の悪い見世物のようだと思ったが、ならば自分のしているこれは観客の居ない滑稽な戯曲だと、自嘲と共にそう思ったのを覚えている。
求婚をしたのは自らの逃げ道を完全に塞ぐ為と、せめてもの贖罪だったのかも知れない。
縊り殺す為の贄に、最後の瞬間まではせめて安らかな時を。
そんな身勝手で最低の贖罪。
握りしめた拳を額へ打ち付ける。
『誰だって他人の事なんてわからないわ。自分の事すら』
クローディアの言葉が頭に木霊した。
本当にその通りだった。出会った時から彼女の事も。そして自分の気持ちすらわからない。
もうずっと 彼女を失いたくないと願っている自分の心すら____。
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