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『出来損ないの聖女』
しおりを挟む予想通りお茶会の機会は数日の内にやってきた。
無事片付けられた団長しか出来ない仕事に、書類を受け取った部下が自分の頬を抓って眦を拭っていたのが酷く同情を誘った。
仕事が終わった!と自慢げに仁王立ちしたゼロスに連れられて来た彼の執務室。書類の山が連なっていた以外は整然としていたジルベルトの執務室と違い、乱雑に物が置かれた部屋はほぼ同じ造りにも関わらず酷く印象が違った。
用途不明な置物を眺めているとジルベルトが手を取ってソファへとエスコートしてくれるままに腰を下ろす。大分慣れたとはいえ、職場での彼の態度はぎこちなく、口数も少ない。甘い言葉を惜しみなく紡ぐ屋敷での姿を知っている分余計に、態度を決めかねる姿が少しだけおかしかった。
職場に居るクローディアに躊躇いが在る癖に、眼を離すのが落ち着かないのだろう。その気持ちはよくわかるのだけれど。
「クローディアは『出来損ないの聖女』なんでしょ?」
そしてゼロスから放たれる爆弾。
前置きなんて一切無しに初っ端から直球。
被弾したマリーが手を滑らせて、机に置かれようとしていたティーカップとソーサーが派手に音を立てる。隣ではジルベルトが息を呑んだ。
「も、申し訳ありません」狼狽しながら零れた紅茶を拭くマリー、「平気よ。火傷はしなかった?」と聞き返せば「大丈夫です」と返され、その白い手が赤くなっていない事を確認してほっと息を吐いた。
緊迫した空気。
問いを発した者と、問われた者と、当事者達だけがそんな空気をものともしていないのが何ともいえない。
「シュネールクラインではそう呼ぶ者もおりましたわ。あの国は聖女にご執心ですから」
「ゼロス団長、言葉を控えて下さい」
クローディアは平然と答えるのに、ジルベルトは険しい表情をゼロスへと向ける。尖った視線を受けたゼロスは不思議そうに首をかしげて白銀の髪を揺らした後で、「ああ、ごめん」と謝った。
「別にキミを侮辱する意思は全くないんだ。ただ理由と、聖女の能力の事を聞きたいだけなんだけど」
告げられた言葉は本心で。好奇心を満たしたい以外の他意を含まないと知っているからクローディアは何も気にしない。マリーが淹れなおしてくれた紅茶を「ありがとう」と受け取った。
「理由は簡単ですわ。わたくしが聖女と呼ぶに値しなかったから。わたくしの能力はほんの少し薬草や魔術の効能をあげるくらいしか出来なかったので。奇跡と呼ぶには相応しくない能力は彼らのお気に沿わなかったのでしょうね」
「勝手に期待して、勝手に失望するなんて失礼な話だわ」と笑う。
「効能をあげる、か。それって実際どのくらいの効果なの?今度見せてよ」
増強か、それとも補助か。顎に手を当ててぶつぶつと呟きながら思考に没頭するゼロスをよそに、隣から躊躇いがちに名前を呼ばれた。そうしながらも、言い淀む彼を視線で促す。気遣わしげな視線を向けながら「お聞きしても、いいですか」と問う小さな声に「どうぞ」と一言。
デリケートな話題なだけに仕方がないのもわかるし、クローディアを気遣ってくれているのも嬉しいのだけれど、ゼロスの直球・高速との温度差が酷い。
「それは始めからそうだったのですか?それとも本来の能力を上手く行使出来ていないという事だったのでしょうか?その・・・」
予想外の質問だった。
ジルベルトの表情が申し訳なさそうに歪む。
「・・・・貴女は、その国の・・・・・王妃となる筈だっと程に、期待を掛けられていたわけでしょう?」
言い難そうに紡がれた核心はきっと彼の心にずっとあったものなのだろう。
油断していた。
今このタイミングで放たれると思ってもいなかった質問に膝の上で無意識に握りしめた手を隠すようにもう片方の手を重ねる。
パチリと瞬く。
殊更ゆっくりと瞬きをすれば、音がしそうな程長い睫毛がアメジストの瞳を一瞬隠す。
「わたくしが聖女として見出され、シュネールクラインに連れて行かれた時は能力に目覚めてこそいるものの全く思い通りに能力を使う事さえ出来ませんでした。何年も勉強を重ねて漸く、自分の意思で扱う術を手にいれましたの」
上手く、表情が作れているだろうか。
何でもない事のように言葉を紡ぎたいのに、唇の端が震える。
「わたくしは、『出来損ないの聖女』サマですので」
微笑んで告げる。
微笑みをつくりたいのに、頬が無様に引き攣るのを感じて隠すように俯いた。
失敗した。
そう悟るも取り繕えなかった表情と声音に掌の中で爪を立てれば大きな手が重ねられた。隠していた方の手が掬いあげられ、労わるように彼の親指が掌を撫でる。
「不躾な質問をして申し訳ありません」
不意打ちな感触と、クローディアを覗きこむ真摯な眼差しの近さに心臓が音を立てる。「いいえ」と誤魔化すようにゆるく首を振れば、長い黒髪が繋いだ手にかかった。
「期待されていたのはやっぱり外見のせいだよね」
思考の波から抜け出たゼロスの紅玉がクローディアの全身をなぞる。
「器としてキミは申し分ない筈なのにね。まぁ、目安でしかないしそもそも聖女の能力は謎だらけだしそういうコトもあるのかなぁ。容姿も突然変化したりもするし、聖女って突然変異的な存在かもね。クローディアのその容姿は元々?」
「瞳の色は同じままですが、髪の色は以前とは異なりますの」
「黒かぁ。それなら尚更だよね。」
ええ、と苦く頷く。
眼の前の長い髪を一房くるりと指に絡めれば癖のない艶やかな黒髪は音もたてずに指先から逃げていった。
「この髪色の所為で要らない苦労をする羽目になりましたわ」
強い魔力を持つ者は瞳や髪、肌の色などに強い色彩を持つことが多い。
眼の前にいるゼロスの鮮やかな紅玉の瞳や、ジルベルトの深い紫紺の髪も然り。強い魔術を用いる為には、強い魔力が必要となる。
過去の聖女も同様に強い能力を持つ者にそれらの特徴を持つ者が多かったとされている。その例に該当せず、淡い色彩の容姿でも強い魔力や能力を持つ者やその逆は幾らでも居るし、一概に言い切れるものではないが概ねの認識としてはそうだ。故にひとつの目安とされる。
そうしてゼロスが先程言ったように、聖女の髪や瞳は稀に色彩を変えることがある。それは能力の大小に因る訳でもなく、変化が在る者と無い者の違いもわからない。色彩を変えたそれがそのままのこともあれば、元の色彩に戻ることもある。未だ全くの原因不明。
望まぬ変化を遂げた黒髪は、厭でも周囲の視線を集めた。
数えきれない打算と期待を、そして大きな失望を。
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