おままごとみたいな恋をした

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美しい夜の色彩を纏う人

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 懐かしい夢を見た。


 小鳥の囀る声。カーテンの隙間から淡く除く光。ベッドに手を付いて身を起こし、微睡む思考を振り払うように軽く頭を振った。その拍子に視界の端に散った長い黒髪を持ち上げた片手で掻き上げる。

 喉が、酷く乾いていた。サイドテーブルへと手を伸ばし、水差しからグラスへとなみなみと水を注ぐ。コクリ、と冷たい水が喉を通る感触に比例して思考がクリアになっていくのを自覚する。最後の残滓を振り払うように一度瞳を閉じて、開く。

 視界に映る落ち着いた内装の部屋。

 品のいい、繊細な細工の施された家具。華やかな、それでいて落ち着いた色合いで統一された部屋ははたして彼が選んだのだろうか。此処へ来て、もう二か月が経ったのだと思いだす。雑多に過ぎない、清潔感のある内装はとても落ち着くのだけれど、同時に意外だとも思った。自分の為に用意されるのならば、もっと華美で、実用性からはかけ離れた部屋だと思っていたのだ。

 自分の外見から他人が描くイメージがどの様なものであるかは経験から知っている。
 もしかしたら、どうせ好きに整えるだろうと考えてのことなのかも知れない。必要性を感じないので、変える気もないけれど、案外意外に思っているのはあちらの方なのかも知れなかった。

 寝台から降りて全身を映せる鏡の前に立つ。

 腰まである艶やかな黒髪。白い肌に、化粧も施していないのに鮮やかな唇。薄いシルクのナイトドレスに覆われた躰は華奢なのにそれを裏切るような曲線美を描いていて。長い睫毛に縁取られたアメジストの瞳が此方を見ていた。

 見慣れた、それでいて見知らぬ女のようなそれに手を伸ばせば、鏡の中の女も同じ動きで手を伸ばす。


 _____クローディア


 それが私の、そして、鏡に映る女の名前。






「おはようございます」

「おはよう。いい朝ね」

 入室した侍女たちへ微笑みながらそう返すと、二人の内、より若いほうの侍女の肩の力が抜けるのがわかった。仕方のないことだと思いつつ、内心いい加減慣れてくれないかとも思う。

「クローディ様、今日はどちらになさいますか?」

 同僚に瞬時にきつい視線を送った後、何事もなかったかのように此方に話題を振ってくるクレアは流石に侍女歴が長いだけの事がある。単に性格の問題かもしれないが。年若い方、マリーは素直な性質で反応がすぐ表に出る。別に悪い事だとは思わないし、これは彼女達に限った事でもない。

「そうね、そろそろお庭の薔薇が見ごろだから真紅のドレスにしようかしら。あとは貴方達に任せるわ」

「かしこまりました。では、こちらは如何でしょうか?」

 クローゼットに鮮やかな花々のように並ぶ色とりどりのドレスの中から選ばれたそれに、ええ、お願いと軽く頷いた。



「おはようございます。クローディア様」

 食卓へと向かう途中、掛けられた声に足を止めた。おはよう、と返しながら向けた視線の先には礼儀正しく胸に手を当て一礼する壮年の男の姿。整えられたダークブラウンの髪も、ピシリとした執事服も立ち姿も相変わらず一部の隙もない。

「クロード、旦那さまはお食事はまだかしら?今日はご一緒出来て?」

 頬に手を当てて小首を傾げながら問いかければ、細い銀フレームの眼鏡越しに見える琥珀色の瞳が瞬きするする間の一瞬だけ色を変えた。

「はい。只今準備をしております」

 淡い色合いの瞳が困惑を含んで向けられる。

「畏れながら、クローディア様。以前も申し上げましたが、ジルベルト様の事を旦那さまと呼ばれるのは如何なものかと」

「どうして?いずれそうなるのだから構わないじゃない」

「お二人はまだ入籍をなさっておりませんから」

「慎みというものかしら。でも、旦那さまは許して下さっているわ」

 歩きながら軽く窘めてくる言葉を笑顔で切り捨てる。何度か繰り返した事のあるやり取りにクロードが少しの不満を残しながらも話を切り上げた。

 流石ね、と思う。

 不快感を抱かせない、深追いしすぎない姿勢も、無駄とわかっていても忠言を重ねる所も。心の内を読ませることのない完璧な笑顔も。さっき一瞬見せた非難の色だって、きっと隠そうと思えば出来たのにあえて隠さなかった。

 出来る男、の外見を裏切ることなく本当に優秀。

「あんなにも素敵な方と結婚出来るなんて、わたくしは幸せ者ね」

 淡い琥珀へ笑いかける。
 ともすれば冷徹な印象を与えかねない隙のない外見の中で、優し気な柔らかな瞳がその印象を覆す。
 それすらも計算されたことのようで。流石ね、ともう一度心の中で呟いた。





 恭しく掬いあげられた指先に、僅かに感じる熱。
 離れていく唇を眼で追えば、優美に口付けを落とした男と瞳が合った。

「今日の貴女は、一段と華やかで美しい」

 耳に心地いい、落ち着いたバリトンボイス。

 蒼みがかった深い紫の髪を漆黒のリボンで緩く束ね、ところどころに銀の刺繍が施されているものの、全体的に黒を纏った彼はどこか夜を連想させた。男性的に整った美しい相貌の中、紫紺の髪よりもさらに深い夜を宿したかのような瞳は、紺碧の夜空のようだといつも思う。

 美しくて、少し、哀しい。
 深く、淡い、夜の色彩いろ


 ジルベルト・オルセイン


 このマーリン国の伯爵家の次男で、国に仕える魔術師団のなかで齢二十歳にして第三魔術師団の副団長の席に就いたエリート。
 この屋敷の主で、そして_______

「有難うございます。旦那さまこそ今日もとっても素敵ですわ」

 クローディアに求婚をしてきた男。

 離された指でそっとドレスを持ち上げて、ふわりと軽く揺らしてみせる。鮮やかな真紅が花弁のように舞った。紅を引いた唇が綻ぶ。

「今日の装いは薔薇をイメージしてみましたの。お気に召しましたら幸いですわ」

「ああ。丁度花が盛りですね」

「ええ、是非ご一緒出来ればと思ったのですが、やはり今日もお忙しいのですか?」

 窺うように見上げれば、申し訳なさそうに瞳が揺れた。

「残念ですわ」

「私もです」

 拗ねてみせるクローディアに苦笑いを浮かべながら、長い指がそっと頬を撫ぜる。

「数多の薔薇の中で、どんな薔薇よりも美しく咲き誇る貴女を見られないのはひどく残念です」

 ぱちり、と眼を瞬く。

「お上手ね」

 頬に添えられた彼の手に手を重ねて、甘えを含んで見上げる。

「早くお帰りになられないとしても、せめて日付が変わる前には戻ってきて頂きたいわ。お食事は無理でも、お茶ぐらいはご一緒して頂けるかしら」

「善処します」

 一層の苦笑いを含んだ答えは、肯定でもなく、否定でもなく。

「一番美しい花をお部屋に飾っておきますわ。どうせ、お戻りになられた後も自室でお仕事をなさるのでしょう?旦那さまが少しはわたくしを思い出して下さるように」

 ツン、と顎を反らした後で、いいでしょう?と瞳で問いかければ、今度は肯定が返ってきた。

 ですが、と続けられた声。

 耳朶を掠める吐息。内緒話のように告げられた言葉。

「思い出す事などない程に、貴女を忘れる事などありませんよ」


 告げられたそれに、唯、肯定も否定も返さなかった。






 ふと、顔を上げた。

 読みかけの書物から視線を移せば、時計の針は二時を指そうとしていた。少し、夢中になりすぎたかも知れない。そっと栞を差し込んで本を閉じる。寝台へと向かいかけた足を止め、思い立ってショールを羽織った。夜の空気はまだ少しだけ冷える。無人の廊下を進んだ先に見えた漏れる明りに溜息がひとつ。

 カウチに身を委ねる美丈夫。

 ローテーブルの上には飲みかけのブランデー。燭台の光を受けて揺らめくそれを見ながら、飲み過ぎていなければいいのだけれどと思う。

 緩められた首元に、リボンを解かれた紫紺の髪。閉ざされた瞳。

 珍しい姿に、クローディアが近づいて尚、目覚めない彼をじっと見つめる。

 整った鼻梁。薄い唇。引き締まった体躯と、首元から覗く喉仏。白皙の相貌には僅かに疲れが透けて見えた。だけど、それすらも大人の男の色気を醸し出していて。

「んっ・・・」

 苦し気に身じろいだジルベルトへ手を伸ばす。頬に落ちた髪を耳にかけ、疲労の見える目元を親指でそっと撫ぜる。触れた肌が、意外な程冷たくて。泣きたいような気持のまま、両手で彼の頬を包み込んだ。



 どうか、私の熱が彼に移ればいいのに。



 瞳を閉じて、そう願った。

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