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第一章(謎解きのはじまり)
僕の過去と、書店と、トラウマと。
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その本屋は、家から徒歩10分の最寄り駅に隣接したデパートの中にある。学生の頃は、学校帰りに寄り道をしたり、ただ暇つぶしをしたり、友達との待ち合わせ場所に使ったりなどしていた。
でも、ここ数年でいわゆる街の本屋さんは、みんな軒並み潰れてしまった。残るは、この駅のチェーン店の本屋か、もしくは街外れのショッピングセンターまで足を運ばないと見つからないくらいだ。
それはもちろん、ネットショッピングが主流となったせいもあるんだろうけれど、やっぱり何よりも電子書籍の台頭が大きいと思う。
なにも、本を読む人口自体が減ったわけじゃないんだと思う。きっと本を読む環境が変わっただけだ。
でも僕は、どうもスマホや書籍用の端末で電子の文字を追いかけるのが苦手だった。あの紙の手触り、あの匂い。何度も読み返して古びたホコリくさい匂いも、たまに出没するノミみたいな小さな虫の這いずりにさえも、本の魅力があった。
何年も大事に毎年着続けているセーターのように、その物語には確かな温度を感じることができた。
でも、電子書籍にはそれが無かった。その代わりに、手のひらサイズの手軽さと、どこにでも持ち運べる便利さと、暗くても読める親切さと、クーポンを使って安く買えるありがたさがあった。ただ僕が、それに馴染めなかっただけのことだ。
僕は、いつしか本を読む行為そのものから、身を遠ざけつつあった。
駅へ続く階段を上り、でも駅構内へは入らずに、そのままデパートに続く通路を歩いていく。ちょうどそのビルは鏡張りになっていて、どうしたって窓に、歩いている自分の姿が映ってしまう。あの頃と何も変わっていない。
でも、僕の隣には、もう誰もいない。そこにいるのは、ただの、社会から弾かれたくたびれてる男の姿だけだった。
ここに来るのは、数ヶ月振りだった。店内の間取りは、前回とほぼ同じように見える。ランキング棚で何冊か新刊が入れ替わっているけれど、あまり大きな動きは無いようだ。
そりゃそうだ、ほとんど客の来ない本屋じゃ、いくら催事に力を入れても何の意味もないだろう。無駄な努力というやつだ。
でも実は、僕は「デジャヴュ」の原作漫画を、この本屋にわざわざ購入しにきたのだ。お互いがレアな生き残りといえるだろう。
今、僕は、基本的に在宅で仕事をしているのだけれど、いくらインドア向きの性格だといっても、一日中家にいるのは、さすがにしんどくなるモードになる日がある。
そんなとき、僕はなぜだかいつも、ここの本屋を目的もなく訪れるのだった。
それは、ただ単に僕が、本が好きだったからかもしれないし、この本屋に楽しかった頃の思い出が多少は残っているからかもしれない。
たとえば、代わり映えのない本棚の作品の並び方に。「アイツ」が好きだった作家の相変わらずの品ぞろえの悪さに。変わらない本屋の匂いが、また僕を一瞬で高校生まで引き戻してしまう。目を閉じると、簡単に「アイツ」は、姿を現した。眩しいほどに、鮮明に。
「なあ、ヤマダ。見てみろよ!」
そう、「お前」に声を掛けられて振り返ると、棚を指さしながら、そりゃ嬉しそうな顔してるもんだから、僕はまばゆい光でも見たように目を細めてしまう。
「なあなあ、こないだ俺がお前に勧めた本、人気すぎてまだ入荷されてねえぜ」
ああ、あの小説のことか。「お前」がやたら気に入っている作家の。僕は、人気すぎて入荷待ちになっているわけじゃなくて、むしろ人気が無いから単純に入荷の手配をしていないだけだという気がしていたけれど、そんなことは露ほども思っちゃいないように笑って、「お前」の全てを肯定した。
音楽も、ファッションも、人気グルメも、合コンも。「お前」が良いと言うのなら、瞬時に肯定したし、「お前」が行こうと言うのなら、どこへだって付いて行った。「お前」が、僕の目の前からいなくなってしまうまで、ずっと。
だから、今、僕の世界は空っぽだ。自分が何が好きで、何をしたいのかだなんて、これっぽっちも分からないんだ。今にも潰れてしまいそうな本屋に、「お前」の過去の面影を探し求めてやってきた、未練がましい亡霊だ。
ちょうど、数ヶ月前の、あの日も「そんなモードになる日」だったのだ。
僕は、あの日も、いつものように、「アイツ」の好きな作家の棚まで直行した。ゆっくりと、バカみたいに亀足で。分かりきった答えを、わざわざ自分の目で確認して、安心してから絶望したかった。だから、その棚に、「存在しないはずの本」を見つけたとき、僕は、思わず絶望への足を踏み外してしまった。
自分が何歳で、何をしているのか、分からなくなっていた。あまりにも予想だにしていなかったことが起きたせいだ。そこは、パラレルワールドと言ってもいい、存在しないはずの世界に立っていた。
「当たっちゃいました?」
そう、僕の背後、肩越しから誰かに、静かな声で話しかけられたのに、僕はまだ夢見心地のようだった。目の焦点を手にした本に落としたまま、かろうじて首を、声のする方へ少しだけひねった。
すると、視界のすみに、漆黒の美しい長い髪の毛が揺れているのが見えた。
「あの、大丈夫ですか?」
その声に、今度は少し驚きが混じっていたので、不思議に思って我に返ると、自分の手にしている本が、小刻みに振動しているのに気がついた。
まるで追い詰められた生き物のように、ブルブルと震えている。それに一瞬、驚いたものの、何てことはない、震えているのは本ではなく、僕の手だった。首筋にも、ヒヤリとした汗が伝い落ちていくのを感じた。
僕が手にした本は、学生時代の友人が勧めてくれた本だった。「アイツ」に勧められるがままに僕が買って以来、ずっと入荷されずにいた、あの本だ。
今まで、この本屋に何度立ち寄っても、決して見つけられなかった本が、どうして今更になって、僕の目の前に現れるのか。あまりにも予想外の出来事が起きて、そのときの僕は正気を失ってしまっていた。
僕は、なおも僕のことを心配するそぶりを見せている店員の胸に、半ば無理やり本を押し付けると、逃げるようにして本屋を去ったのだった。
今にして思えば、本屋の店員とはいえ女性の胸に本を押し当てるだなんて、セクハラもいいところだ。正常な精神状態ではなかったとはいえ、自分のあまりにも常軌を逸した行動に血の気が引いてしまった。
そんなことがあったから、自発的にその本屋を出禁にしていたのだけれど、デジャヴさんがイラストの新規絵を上げてくれないことにしびれを切らし、あの一目惚れしたイラストの原作をどうしても今すぐに読みたくて、久しぶりに恥を忍んでまた、訪れたのだった。
でも、ここ数年でいわゆる街の本屋さんは、みんな軒並み潰れてしまった。残るは、この駅のチェーン店の本屋か、もしくは街外れのショッピングセンターまで足を運ばないと見つからないくらいだ。
それはもちろん、ネットショッピングが主流となったせいもあるんだろうけれど、やっぱり何よりも電子書籍の台頭が大きいと思う。
なにも、本を読む人口自体が減ったわけじゃないんだと思う。きっと本を読む環境が変わっただけだ。
でも僕は、どうもスマホや書籍用の端末で電子の文字を追いかけるのが苦手だった。あの紙の手触り、あの匂い。何度も読み返して古びたホコリくさい匂いも、たまに出没するノミみたいな小さな虫の這いずりにさえも、本の魅力があった。
何年も大事に毎年着続けているセーターのように、その物語には確かな温度を感じることができた。
でも、電子書籍にはそれが無かった。その代わりに、手のひらサイズの手軽さと、どこにでも持ち運べる便利さと、暗くても読める親切さと、クーポンを使って安く買えるありがたさがあった。ただ僕が、それに馴染めなかっただけのことだ。
僕は、いつしか本を読む行為そのものから、身を遠ざけつつあった。
駅へ続く階段を上り、でも駅構内へは入らずに、そのままデパートに続く通路を歩いていく。ちょうどそのビルは鏡張りになっていて、どうしたって窓に、歩いている自分の姿が映ってしまう。あの頃と何も変わっていない。
でも、僕の隣には、もう誰もいない。そこにいるのは、ただの、社会から弾かれたくたびれてる男の姿だけだった。
ここに来るのは、数ヶ月振りだった。店内の間取りは、前回とほぼ同じように見える。ランキング棚で何冊か新刊が入れ替わっているけれど、あまり大きな動きは無いようだ。
そりゃそうだ、ほとんど客の来ない本屋じゃ、いくら催事に力を入れても何の意味もないだろう。無駄な努力というやつだ。
でも実は、僕は「デジャヴュ」の原作漫画を、この本屋にわざわざ購入しにきたのだ。お互いがレアな生き残りといえるだろう。
今、僕は、基本的に在宅で仕事をしているのだけれど、いくらインドア向きの性格だといっても、一日中家にいるのは、さすがにしんどくなるモードになる日がある。
そんなとき、僕はなぜだかいつも、ここの本屋を目的もなく訪れるのだった。
それは、ただ単に僕が、本が好きだったからかもしれないし、この本屋に楽しかった頃の思い出が多少は残っているからかもしれない。
たとえば、代わり映えのない本棚の作品の並び方に。「アイツ」が好きだった作家の相変わらずの品ぞろえの悪さに。変わらない本屋の匂いが、また僕を一瞬で高校生まで引き戻してしまう。目を閉じると、簡単に「アイツ」は、姿を現した。眩しいほどに、鮮明に。
「なあ、ヤマダ。見てみろよ!」
そう、「お前」に声を掛けられて振り返ると、棚を指さしながら、そりゃ嬉しそうな顔してるもんだから、僕はまばゆい光でも見たように目を細めてしまう。
「なあなあ、こないだ俺がお前に勧めた本、人気すぎてまだ入荷されてねえぜ」
ああ、あの小説のことか。「お前」がやたら気に入っている作家の。僕は、人気すぎて入荷待ちになっているわけじゃなくて、むしろ人気が無いから単純に入荷の手配をしていないだけだという気がしていたけれど、そんなことは露ほども思っちゃいないように笑って、「お前」の全てを肯定した。
音楽も、ファッションも、人気グルメも、合コンも。「お前」が良いと言うのなら、瞬時に肯定したし、「お前」が行こうと言うのなら、どこへだって付いて行った。「お前」が、僕の目の前からいなくなってしまうまで、ずっと。
だから、今、僕の世界は空っぽだ。自分が何が好きで、何をしたいのかだなんて、これっぽっちも分からないんだ。今にも潰れてしまいそうな本屋に、「お前」の過去の面影を探し求めてやってきた、未練がましい亡霊だ。
ちょうど、数ヶ月前の、あの日も「そんなモードになる日」だったのだ。
僕は、あの日も、いつものように、「アイツ」の好きな作家の棚まで直行した。ゆっくりと、バカみたいに亀足で。分かりきった答えを、わざわざ自分の目で確認して、安心してから絶望したかった。だから、その棚に、「存在しないはずの本」を見つけたとき、僕は、思わず絶望への足を踏み外してしまった。
自分が何歳で、何をしているのか、分からなくなっていた。あまりにも予想だにしていなかったことが起きたせいだ。そこは、パラレルワールドと言ってもいい、存在しないはずの世界に立っていた。
「当たっちゃいました?」
そう、僕の背後、肩越しから誰かに、静かな声で話しかけられたのに、僕はまだ夢見心地のようだった。目の焦点を手にした本に落としたまま、かろうじて首を、声のする方へ少しだけひねった。
すると、視界のすみに、漆黒の美しい長い髪の毛が揺れているのが見えた。
「あの、大丈夫ですか?」
その声に、今度は少し驚きが混じっていたので、不思議に思って我に返ると、自分の手にしている本が、小刻みに振動しているのに気がついた。
まるで追い詰められた生き物のように、ブルブルと震えている。それに一瞬、驚いたものの、何てことはない、震えているのは本ではなく、僕の手だった。首筋にも、ヒヤリとした汗が伝い落ちていくのを感じた。
僕が手にした本は、学生時代の友人が勧めてくれた本だった。「アイツ」に勧められるがままに僕が買って以来、ずっと入荷されずにいた、あの本だ。
今まで、この本屋に何度立ち寄っても、決して見つけられなかった本が、どうして今更になって、僕の目の前に現れるのか。あまりにも予想外の出来事が起きて、そのときの僕は正気を失ってしまっていた。
僕は、なおも僕のことを心配するそぶりを見せている店員の胸に、半ば無理やり本を押し付けると、逃げるようにして本屋を去ったのだった。
今にして思えば、本屋の店員とはいえ女性の胸に本を押し当てるだなんて、セクハラもいいところだ。正常な精神状態ではなかったとはいえ、自分のあまりにも常軌を逸した行動に血の気が引いてしまった。
そんなことがあったから、自発的にその本屋を出禁にしていたのだけれど、デジャヴさんがイラストの新規絵を上げてくれないことにしびれを切らし、あの一目惚れしたイラストの原作をどうしても今すぐに読みたくて、久しぶりに恥を忍んでまた、訪れたのだった。
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