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しおりを挟む「おはよう、三宜泣いたのか?嬰林とお前は仲良かったもんな。ギリギリまで冷やしとけよ」
松末が疲れたように濡れた手拭いを手渡してくる
口は悪いが優しいやつなのだ松末は
皆一様に嬰林のことがショックだったのだろう。空気も重苦しいものだった
宮廷の広場は物々しい雰囲気で、恐らく今日から始まる選定の儀の準備で慌ただしい
旗が掲げられ、観客もおりお祭りのような雰囲気だが、準備されている物を見て皆一様に顔を強張らせた
広間に弓矢や銅羅が並べられ空気も不穏だ
「ね、ねぇ、何で侍女達がいないのかしら…三宜、わたしとても不安だわ…」
気弱そうに葵が話しかけてくるのに、ふと気付くと確かに侍女達が側にいない
侍女達の帯同は認められていた筈なのに
「日出までいない…今から始まるのかな?」
不安に目を揺らす葵の肩を撫で、案内されて胡桃や松末が自分の席へ座るのを見て、とりあえず葵も三宜もそれに倣い案内についていく
昨日の光景そのままに香が焚かれ、音楽が奏でられると、広場の大きな門が開き、皇帝が闊歩してくる
やはり昨日のは気のせいじゃないくらい異臭がし、不気味な気配に広間が支配される
皇帝は相変わらず生気のない赤黒い顔を、固定されたような不気味に笑みを浮かべながら玉座に座る
その横には皇帝の側室だろう美姫達や家臣が居並んでいた
「今日から選定の儀を執り行う。まず今日してもらう事は、後日あるお披露目の競技を決めてもらう。弓矢、剣技、薙刀でそれぞれ得意の武具で競ってもらう。的はこちらで用意させてもらうので的の部位によって点数を競い合うものとする」
簡潔な皇帝の説明に頷きながら、三宜はふとある事に気付いて青褪めた
あの時の、初恋の少年がいる
今はもう少年ではないのだが、昨日はいなかった皇帝の横にいる若い男
ぬばたまの艶やかな黒髪に、切長のきらきらと輝いているような瞳、全ての配置が完璧な少年の頃のあの危ういまでの色気はそのままで、周りを破滅させていくような美しい男
長い手足はしなやかであるのに筋肉質で、紫色の見事な刺繍が入った衣装に、髪を飾り紐で結い流し、形の良い右耳には高額だと解る白い宝玉の装飾が飾られている
男は美しい顔に朗らかに微笑みを浮かべていて、周囲はのぼせ上がったように、悲鳴や歓声を上げている
周りの美姫達が袂を押さえながら頬を染め、男に秋波を送っているのがわかる
三宜は身を強張らせながら、身を縮めた
今、自分は猿の干物のような皇帝に嫁入りとして選定の儀を受けている
それをあの美しい男に知られたくない
何故か、そう強く思った
「あれは、この世のものか?あの紫の衣装の男、物凄い美貌の男がいるな。どうせなら、あのアルファに嫁ぎたいよな」
松末の耳打ちに頷きながら、見るからにこの世の支配者である美しいアルファ男性を眺める
「あーあ、俺たちは猿の干物に嫁がなきゃいけないかもしれないのに、むかつくぜ」
あけすけな松末の言葉に苦笑いしながら、松末の袂を叩き、男を見ると、目が合ったような気がした
吸い込まれるような深いぬばたまのキラキラとした瞳に、息を呑む
細められたその目は確かに三宜を捉えているようで落ち着かない
所在なく膝の上で拳を握り締めていると、松末が再び耳打ちしてくる
「ずっと俺、目があってんだけど。匂いまで最高とか…見ろよ、胡桃とか目がハートになってんぞ」
はっとなり松末を見て、恥ずかしくなる
自分と目が合っているかと思い込んでいて恥ずかしい。辺りを見れば、葵は口を開けたまま見惚れているし、胡桃も本当にうっとりとしていた
匂いは抑制剤を飲んだせいで解らないが、周りの反応からして、きっとすごく良い匂いなのだろう
「あの方、何者なんだろうな。皇弟様はご年齢が合わないし…皇子かな?あー…堪らない、この匂い…」
色めきたつ松末の手を、もう一度軽く叩きながら、運び込まれてくる酒や豪華な料理に皇帝が杯を交わすのに合わせて杯を上げる
「では、選定の儀を始める事とする!」
皇帝が枯れ木のような赤黒い手で掴んだ杯を掲げ、皆がそれに倣う
美しい女達が広間に進行し、透けた薄桃色の衣装で舞い踊る
三宜としては目のやり場に困るような衣装だが、松末すらケロリとしているので自分の見識の浅さを恥ずようにチビチビと杯の酒を口にした
それよりもずっと視線を感じる
強烈なねっとりとした視線は三宜の爪先から腕、胸元、首筋、髪から脚を舐めるように見ているように思う
ぞわぞわと体を縮こませながら、居心地が悪い
「さて最初の課題だが、1週間後にこの場所で執り行う。弓矢、薙刀、剣技のうち一つを選び披露してもらう」
三宜は実家の兄達に混じって体を鍛えていたので、全て使えるが文官の家の松末や葵や胡桃は武具なんて使えるのだろうか?
試験は花や詩や教養だけかと思っていた
この試験は三宜に有利なのだが、有利なのもまた良くない。三宜は皇帝に選ばれたくないのだから
「それぞれ的は選ばせてもらった。一週間、精進するように」
皇帝の言葉に三宜は顔を上げる。今、皇帝は何と言ったのだろうか?
的を選ばせてもらったと言った
的とは何なのだろうか?侍女達がいないのが妙に気になる
「陛下、本日は善き日におめでとうございます」
よく通る低い声は耳に心地よく、そう感じたのは三宜だけではないようだった
紫の衣装を着たあの美しい男が立ち上がり、杯を掲げて一献する
何処かの皇子様のように輝かんばかりの笑顔に、すらりとした肢体は人の視線を強烈に奪う
周りはあまりの美貌に、うっとりとした感嘆の溜息に包まれ女達の感心する声が聴こえる
「清順か…相変わらず美しい。選定の儀、楽しむが良い」
わかりやすく皇帝は赤黒い皺皺の顔の相好を崩し、ニチャリと笑う
三宜はぞっとしたが、清順は平気そうな顔をして酒を呷る
三宜は、そっと胸元を手で覆う
あの時の少年、恋焦がれた、あの男の名前は清順というのだ
じんわりと胸が温かくなる
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