私は今日、好きな人の弟と婚約致しました

神楽ゆきな

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舞台が終わり、キャンディスはまだほんのりと頬を赤くしたまま、ドミニクと並んでボックス席を出た。

二人の間に会話はない。
それは来た時と同じだったけれど、今はもう気まずさは感じなかった。
むしろこの沈黙が心地良くさえ思えて、あまりの心境の変化に、我ながら可笑しくなってしまう。

しかし穏やかな空気に包まれていられたのは、ここまでだった。

「やあ、お二人さん」

と声がして振り向くと、すぐ後ろにセオドアが立っていたのである。
彼を目にした途端、ドミニクの表情が険しくなった。

「またお前か」
「そんな言い方はひどいなー」

笑うセオドアの肩越しに、数人の女性と笑い合っているグレースの姿が見える。
彼女たちの話が終わるのを待っているところだったのだろう。

セオドアは、キャンディスとドミニクを交互に見てから、白い歯を覗かせた。

「見たよー。
芝居中に、抱き合ってたでしょ」
「え!?」

知らん顔をすれば良かったのだが、そう考えるよりも先に、キャンディスは声を漏らしてしまっていた。
その様子に、ドミニクは顔をしかめ、セオドアは楽しそうに笑い声を上げる。

キャンディスは今さら否定も出来なくて、もじもじと指を動かした。

「そりゃあ隣に、こんなに可愛い子が座ってて……しかも暗いんだから我慢出来ないよね。
でもまあ、とにかく仲直り出来たみたいで良かった」

キャンディスの方へと身を乗り出してきたセオドアに、彼女は思わずギクリとした。
しかしすかさずドミニクが、2人の立ちはだかろうと、一歩足を踏み出してくる。

「近づくなよ」
「おお怖い!
大事な大事な婚約者だもんな」

セオドアが、彼にしては珍しく挑発するように言うと、ドミニクが恐ろしい目つきで睨みつける。
もしかするとドミニクがセオドアに手を上げるかもしれない、とさえ思えた、その時だった。

「ドミニク様、お久しぶりです」

突然、緊張した空気を壊すように、至って礼儀正しい声が割り込んできたものだから、皆が驚いて振り向いた。
そこにいたのは、年若い青年だ。
彼はドミニクに軽く会釈をしながら、言葉を続けた。

「こんなところでお会いできるとは思いませんでした。
実は私は先月から……」

こうなればドミニクも話に参加しないわけにもいかない。
キャンディスの事を気にしつつも、青年に向き直ると、言葉を交わしだす。

その隙にセオドアはキャンディスの腕を引くと、自分の方へと引き寄せた。

「……よくあんなことを聞いた後に、仲直りできたよね?
ドミニクってば、キャンディスよりグレースの方が良いとまで言ってたのにさ」

キャンディスは答えに詰まった。
言いたいことは沢山あったが、それを面と向かって口にするのは憚られたのである。
しかしそんな彼女の思いを見透かしたかのように、セオドアはクスッと笑った。

「もしかして、『セオドアは俺の物を欲しがる』とでも言われたのかな」
「え……」
「本当にそうなんだ!
キャンディスってば分かりやすいなー。
でもそれ、嘘だから信じちゃダメだよ?
僕だって、ドミニクの物ならなんでも欲しくなるわけじゃないからさ」

セオドアは表情を窺うように顔を覗き込んでくるものだから、キャンディスは咄嗟に顔を背けた。
そのせいで、耳を彼の方へと向ける形になってしまう。
セオドアはゆっくりと彼女の耳元に唇を寄せると、キャンディスにしか聞こえないほどの小声で囁いた。

「……でも、キャンディスは欲しくなっちゃったな」

キャンディスはギョッとして目を見開いた。

目の前にいるのが、ずっと憧れていたセオドアとは、とても思えなかった。
もちろん姿形が変わるはずも無い。
けれども、こちらを見下ろしてくる水色の瞳が美しいとは、もう思えなかった。

「行くぞ」

突然ドミニクに手を引かれて、キャンディスは我に返った。
いつの間にか青年と別れたらしい彼は、キャンディスを引きずるようにして早足で歩いていくものだから、転ばないように慌ててその後をついていく。

チラリと見ると、セオドアはニコニコ笑いながら、まだこちらを見ていた。
優しい微笑みは、いつも通りの、女性を魅了してやまない笑顔だ。
しかしその目に冷たい光を見た気がして、キャンディスは急いで目を逸らしたのだった。



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