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意を決して、家まで迎えにきてくれたドミニクと対面したキャンディス。
しかし、いざ話を切り出そうとしても、なかなか上手くはいかなかった。
適当な挨拶を交わして馬車に乗り込んでも、なんだかタイミングがつかめなくて。
互いに無言のまま、ダラダラと時が流れていく。
それは劇場に到着して、ボックス席に入っても同じことだった。
客席のざわめきの中とは言え、ここなら小声で秘密の話をするにはもってこいだ。
頭ではそう分かっていても、いざとなると何と言えば良いのか分からなくなってしまう。
グズグズしているうちに、とうとう劇場内の照明が落とされ、音楽が鳴り始めてしまった。
芝居が始まっても、キャンディスには物語の流れなど全く頭に入ってこなかった。
チラリと横目でドミニクを見ながら、小さくため息をつく。
彼はいつも通りの無表情ではあったが、なんだか少し気まずそうに見えた。
そう思ってでもいなければ、ここに来るまでの間にこんなに静かなはずはなかっただろうが。
舞台の上では、きらびやかな衣装を身に纏った女優が、遠く離れた場所にいる恋人を想い、愛の歌を歌っている。
キャンディスには彼女の悲痛な想いが、自分の想いと重なるように思えた。
婚約者であるドミニクは、肩が触れ合うほど近くに座っているというのに。
心の距離は、遠く遠く離れているかのようだ。
キャンディスは女優から目を離さぬまま、スカートを強く握りしめると、ボソリと呟いた。
「グレース様が好きなの?」
力強い歌声にかき消されそうなほど、小さな声だったはずだ。
それでも、耳元で大声を出されたかのように、ドミニクが勢いよく振り向いたのが分かった。
けれどもキャンディスは前を向いたまま、彼を見ようとはせずに、続けた。
「本当は婚約していた時からずっと……グレース様が好きだったんじゃないの?」
「は?」
ドミニクはイラついたような声を上げた。
立ち上がりかけたらしく、イスがガタガタいう音がした。
が、すぐに思い直したようで、乱暴に座り直すと、深く息を吐くのが分かった。
「なに、いきなり。
どうして急にそんなこと……」
「急じゃないわ。
前から考えていたことなのよ。
ただ、この前の事があって、確信したの」
「なんだよ、この前のことって」
ドミニクの問いに、キャンディスが答えようと口を開きかけた時だった。
唐突にドミニクが言ったのである。
「ああ、もしかして、聞いてたのか」
そしてまだキャンディスが何も言わないうちに
「そうか、そういうこと。
それで最近ずっと怒ってたのか」
と1人で納得したような声を出している。
そういうこと、とは、どういうことなのか。
突然話の流れが変わってしまったことに動揺を隠せず、ドミニクの方へと顔を向けると、ちょうどこちらを見ていた彼とパチリと目が合ってしまった。
「この前の、俺とセオドアの話を聞いてたんだろ」
「え?えっと……」
まさにその通りだった。
しかしまさか盗み聞きしていたとは言いにくくて、返事に困っていると、ドミニクは「やっぱりな」と得意げに頷いた。
そしてニヤリと笑うと、まるで子どもを相手にでもするように、キャンディスの鼻をツンと突っついてきた。
「あんなの嘘だよ」
「嘘?」
「ああ。セオドアは、俺の物はなんでも欲しがる奴だから。
少しでも俺が良いと言ったものは、ぜーんぶ奪っていくんだよ。
だから、ああ言えばグレース様に興味が戻るだろうと思って」
「そ、そんな……」
「疑ってるのか?」
ドミニクが、ぐっと顔を近づけてきたものだから、キャンディスは目を白黒させてしまった。
「本当のことだ。
あいつは昔から、おもちゃでもお菓子でも、俺が欲しがったものは次から次に横取りしてきたんだからな」
「で、でも!ということは、やっぱりドミニクはグレース様が好きだったってこと?
だからセオドア様は、彼女を奪って自分の婚約者にしたくて……」
キャンディスは言いかけて、はたと口を閉ざした。
「あれ?でもセオドア様は、グレース様の方から婚約者の変更を希望してきたって言ってたわ。
セオドア様の要望ではなかったってこと?」
首を傾げるキャンディスに、ドミニクは深くため息をついてから、人差し指を立てた。
「ひとつ目。
俺はグレース様には恋愛感情は抱いてなかった。
だけど彼女は、社交界じゃ人気のある人だからな。
それが、セオドアが彼女を欲しがった理由だろ。
それから……」
ドミニクは人差し指を立てたまま、今度は中指も立てて、話を続けた。
「二つ目。
確かに婚約者の変更を言い出したのは、グレース様の方だ。
だけど、彼女がそうしたいと思うように仕向けたのはセオドアだよ。
あいつはいつもそうだ。
『自分はそう思ってないんだけど、向こうが希望するから』っていう、格好つけたポーズを崩したくないんだろ。
ただ今回は、あいつにとっても予想外の事があったから婚約せざるを得なかったんだろうけど」
ドミニクは椅子の背に深くもたれかかった。
「予想外のことって?」
キャンディスは訊ねたがドミニクは答えずに、まっすぐ舞台に目をやったまま動かなくなってしまった。
いつの間にやら舞台上では、女優と、その恋人役の俳優が涙ながらに愛を歌い、抱き合っている。
なんだか羨ましくなって目を細めて見ていると、不意に手を握られて、はっとした。
顔を上げるとドミニクが、俳優顔負けの熱っぽい視線をまっすぐにこちらに向けているものだから、大きく心臓が飛び跳ねてしまった。
しかし、いざ話を切り出そうとしても、なかなか上手くはいかなかった。
適当な挨拶を交わして馬車に乗り込んでも、なんだかタイミングがつかめなくて。
互いに無言のまま、ダラダラと時が流れていく。
それは劇場に到着して、ボックス席に入っても同じことだった。
客席のざわめきの中とは言え、ここなら小声で秘密の話をするにはもってこいだ。
頭ではそう分かっていても、いざとなると何と言えば良いのか分からなくなってしまう。
グズグズしているうちに、とうとう劇場内の照明が落とされ、音楽が鳴り始めてしまった。
芝居が始まっても、キャンディスには物語の流れなど全く頭に入ってこなかった。
チラリと横目でドミニクを見ながら、小さくため息をつく。
彼はいつも通りの無表情ではあったが、なんだか少し気まずそうに見えた。
そう思ってでもいなければ、ここに来るまでの間にこんなに静かなはずはなかっただろうが。
舞台の上では、きらびやかな衣装を身に纏った女優が、遠く離れた場所にいる恋人を想い、愛の歌を歌っている。
キャンディスには彼女の悲痛な想いが、自分の想いと重なるように思えた。
婚約者であるドミニクは、肩が触れ合うほど近くに座っているというのに。
心の距離は、遠く遠く離れているかのようだ。
キャンディスは女優から目を離さぬまま、スカートを強く握りしめると、ボソリと呟いた。
「グレース様が好きなの?」
力強い歌声にかき消されそうなほど、小さな声だったはずだ。
それでも、耳元で大声を出されたかのように、ドミニクが勢いよく振り向いたのが分かった。
けれどもキャンディスは前を向いたまま、彼を見ようとはせずに、続けた。
「本当は婚約していた時からずっと……グレース様が好きだったんじゃないの?」
「は?」
ドミニクはイラついたような声を上げた。
立ち上がりかけたらしく、イスがガタガタいう音がした。
が、すぐに思い直したようで、乱暴に座り直すと、深く息を吐くのが分かった。
「なに、いきなり。
どうして急にそんなこと……」
「急じゃないわ。
前から考えていたことなのよ。
ただ、この前の事があって、確信したの」
「なんだよ、この前のことって」
ドミニクの問いに、キャンディスが答えようと口を開きかけた時だった。
唐突にドミニクが言ったのである。
「ああ、もしかして、聞いてたのか」
そしてまだキャンディスが何も言わないうちに
「そうか、そういうこと。
それで最近ずっと怒ってたのか」
と1人で納得したような声を出している。
そういうこと、とは、どういうことなのか。
突然話の流れが変わってしまったことに動揺を隠せず、ドミニクの方へと顔を向けると、ちょうどこちらを見ていた彼とパチリと目が合ってしまった。
「この前の、俺とセオドアの話を聞いてたんだろ」
「え?えっと……」
まさにその通りだった。
しかしまさか盗み聞きしていたとは言いにくくて、返事に困っていると、ドミニクは「やっぱりな」と得意げに頷いた。
そしてニヤリと笑うと、まるで子どもを相手にでもするように、キャンディスの鼻をツンと突っついてきた。
「あんなの嘘だよ」
「嘘?」
「ああ。セオドアは、俺の物はなんでも欲しがる奴だから。
少しでも俺が良いと言ったものは、ぜーんぶ奪っていくんだよ。
だから、ああ言えばグレース様に興味が戻るだろうと思って」
「そ、そんな……」
「疑ってるのか?」
ドミニクが、ぐっと顔を近づけてきたものだから、キャンディスは目を白黒させてしまった。
「本当のことだ。
あいつは昔から、おもちゃでもお菓子でも、俺が欲しがったものは次から次に横取りしてきたんだからな」
「で、でも!ということは、やっぱりドミニクはグレース様が好きだったってこと?
だからセオドア様は、彼女を奪って自分の婚約者にしたくて……」
キャンディスは言いかけて、はたと口を閉ざした。
「あれ?でもセオドア様は、グレース様の方から婚約者の変更を希望してきたって言ってたわ。
セオドア様の要望ではなかったってこと?」
首を傾げるキャンディスに、ドミニクは深くため息をついてから、人差し指を立てた。
「ひとつ目。
俺はグレース様には恋愛感情は抱いてなかった。
だけど彼女は、社交界じゃ人気のある人だからな。
それが、セオドアが彼女を欲しがった理由だろ。
それから……」
ドミニクは人差し指を立てたまま、今度は中指も立てて、話を続けた。
「二つ目。
確かに婚約者の変更を言い出したのは、グレース様の方だ。
だけど、彼女がそうしたいと思うように仕向けたのはセオドアだよ。
あいつはいつもそうだ。
『自分はそう思ってないんだけど、向こうが希望するから』っていう、格好つけたポーズを崩したくないんだろ。
ただ今回は、あいつにとっても予想外の事があったから婚約せざるを得なかったんだろうけど」
ドミニクは椅子の背に深くもたれかかった。
「予想外のことって?」
キャンディスは訊ねたがドミニクは答えずに、まっすぐ舞台に目をやったまま動かなくなってしまった。
いつの間にやら舞台上では、女優と、その恋人役の俳優が涙ながらに愛を歌い、抱き合っている。
なんだか羨ましくなって目を細めて見ていると、不意に手を握られて、はっとした。
顔を上げるとドミニクが、俳優顔負けの熱っぽい視線をまっすぐにこちらに向けているものだから、大きく心臓が飛び跳ねてしまった。
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