私は今日、好きな人の弟と婚約致しました

神楽ゆきな

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もうドミニクの顔なんて見たくない。
その思いばかりが胸の中で膨らんで膨らんで、とうとう爆発した。

結局その日、キャンディスは気分が悪いからと言い置いて、逃げるように自分の家へと帰った。
次の週も、そのまた次の週も体調不良を口実に、会いに来たドミニクを、顔を合わせることもなく追い返した。

ここまでくれば、さすがのドミニクも異変を感じたのだろう。
彼にしては珍しく体調を気遣う手紙までくれたけれど、すっかり凍りついたキャンディスの心は動かなかった。

体調が悪くて返事も書けない。
そう伝えて詫びを言うよう使用人に言いつけ、彼の元へと送り出した。

しかしドミニクとは顔を合わせずに済んでいたものの、同じ屋根の下に暮らす両親とはそうもいかない。

彼らは、頑なに婚約者を拒み始めた娘の異変に気がついても、始めは何も言ってこなかった。
そっとしておけば、そのうち娘の気が変わるかもしれないと思ったのだろう。

しかしいつまで経っても変化が起きないどころか、ますます事態が悪くなっていることに、ようやく焦り始めたらしい。
元々予定していたドミニクとの観劇を今夜に控えたキャンディスが、彼への断りの手紙を書いていると、両親が揃って彼女の部屋に顔を出したのだった。

「ちょっと……良いかしら?」

遠慮がちに顔を覗かせた伯爵夫人の顔を見て、キャンディスはペンを走らせていた手を止めた。
そして慌てて便箋を隠そうとしたが、ふと思いついて、そのままにしておいた。

ドミニクと距離を置いている事は、両親も気がついているだろう。
今さら隠したところで仕方がないと思い至ったのである。

「どうぞ」

キャンディスが頷くと、伯爵夫人に続いて、神妙な顔の伯爵も部屋へと入ってきた。
3人はなんとなく無言のまま小さいテーブルを囲んで椅子に腰を下ろすと、互いの思いを探るように顔を見合わせた。

まず口を開いたのは伯爵だった。

「キャンディス……婚約を破棄したいのなら、はっきりそう言いなさい」
「え……」

驚いてキャンディスは目を見張った。
そういう話になるだろうとは思っていたが、まさかいきなりこのように切り出されるとは思ってもみなかったのである。

しかし動揺する娘に向けられた両親の眼差しはあたたかかった。

「そうよ、キャンディス。
確かに家の為には必要な婚約だけれど……あまりにドミニク様に冷たくされているようなら、無理することなんてないわ。
彼は悪い噂もチラホラあるみたいだし……。
あなたの幸せを犠牲にする必要なんてないのよ」
「そうだぞ。
婚約を無理強いしてしまったことを、今では後悔しているんだ。
本当の気持ちを言っておくれ。
家のことなら心配するな。
どうにでもなるんだから。
最後には、この家を売り払ったって構わないさ」

キャンディスは口をポッカリと開けたまま固まってしまった。
どうやら両親は、ドミニクが噂のままの、性格の悪い冷血漢だと思いこんでいるらしい。
そしてキャンディスは、我慢して彼に嫁ぐ哀れな娘だとでも思っているのだろう。

本当の彼は、そんな人ではないのに。
思わずそう思ってしまった自分に、はっとした。

気がついたのだ。
今でも、どうしようもなくドミニクの事を想っていることに。

それならば、このまま逃げ回っているだけでは意味がない。
もう一度、ドミニクの気持ちを面と向かって聞くべきだと、今なら素直に思えた。
そして……自分の素直な気持ちを伝えるべきだ。

伯爵は労るように、娘の肩に優しく手をのせて微笑んだ。

「心配しなくても大丈夫だ。
そんなにお前がドミニク様が嫌なら、私が断りを……」
「いいえ、お父様!」

キャンディスは伯爵の言葉を遮ると、戸惑っている彼の顔をまっすぐに見つめた。
そして両手の拳を握りしめると、キッパリとした口調で言ったのである。

「ドミニク様が嫌なわけではありません!
むしろ、その反対です!」

それからキャンディスは、呆気に取られている両親など気にもせずに、書きかけていた便箋を取り上げると、ビリビリに破ってしまった。

「キャ、キャンディス……?」

恐る恐る伯爵夫人が訊ねるのに、ニッコリと微笑み返しながら、キャンディスは言った。

「なんですか?
出来れば話は後にして下さいな。
今夜のドミニクとの観劇の為に、早く着替えなければなりませんので」

彼女の心に、もう迷いはなかった。
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