私は今日、好きな人の弟と婚約致しました

神楽ゆきな

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ある扉の前で、キャンディスは足を止めた。
中からセオドアの声が聞こえてきたのである。

思わず耳をそばだてて扉に張り付くと、セオドアの困ったような声が先ほどよりも鮮明に聞こえてきた。

「そんなふうに言うなよ。
キャンディスが可哀想じゃないか」

自分の名前の登場に、肩が震える。
セオドアは宣言した通り、今まさに彼女のことをドミニクに聞いてくれているらしかった。
しかし……

「俺は婚約者なんて誰でも構わないんだよ。
興味なんかない」

ドミニクが低い声で言うのを聞いて、凍りついたように体が動かなくなってしまった。
本当に彼の言葉なのか疑いたくなってしまうほど、冷たい口調だった。

けれども、扉に姿を隠されてはいても、キャンディスには分かっていた。
それはどう考えてもドミニクの声なのだ。

しばしの沈黙のあと、セオドアの声が聞こえてきた。

「ひどい言い方するな、ドミニクは。
キャンディスはお前と仲良くしてくれているじゃないか。
お前だって、彼女の事は随分気に入っているように見えるよ?」
「気に入ってなんかいないさ。
婚約者だから、仲違いしない程度の付き合いをしていけば十分だ」
「あんなに可愛い婚約者を前にして、よくそんな事が言えるな」

セオドアのため息が漏れる。

キャンディスにはもう、これが現実に起こっていることとは思えなかった。
今まで目にしてきたドミニクの笑顔が、チラチラと脳裏に浮かんでは消えていく。

確かに喧嘩もたくさんしたし、その度に可愛くない態度もたくさんとった。
ひどい事を言われた事だって数知れず、といったところだろう。

しかし、これほどまでに冷たい言葉を向けられた事はなかった。

少しは仲良くなれたのではないかと思っていたのに。
少しは彼の好意が自分に向けられているだろうと思っていたのに。
まさかこんなに、にべもなく否定されるとは思ってもみなかった。

悲しみのあまり色々考え込んでいたキャンディスは、それからしばらくの間、すっかり2人の話を聞き逃してしまっていた。
が、セオドアの言葉の中にグレースとキャンディスの名前が出てきたことに気がつくと、慌てて扉に耳を貼り付けた。

「もしかしてお前は、グレースが好きなのか?」
「いや、だから、婚約者に好きとか嫌いとか……」

ここで唐突にドミニクの言葉が途切れた。
扉越しなのだから、彼がどんな表情をしているのかはもちろん分からない。

しかしキャンディスにはイヤな予感しかしなかった。
耐えられないほどの長い沈黙の時間が流れた後、ようやく、ドミニクの声が聞こえてきた。

「いや、そうだな。
キャンディスよりはグレース様の方が良い」

キャンディスは、ガツンと頭を殴られたような衝撃を受けた。

「それは本音か?」
「当たり前だ。
男なら誰だって、キャンディスよりもグレース様に惹かれるに決まってる。
容姿だって性格だって、彼女は……」

セオドアが次々とグレースの美点を述べるのに耐えられず、キャンディスは慌てて扉から体を離した。

一刻も早くここから逃げ出したかった。
しかし震える足が、言う事を聞いてくれなくて。
今にも崩れ落ちそうな体を支えるために、壁にもたれかかる。

言葉は聞き取れなかったが、セオドアとドミニクの話し合いはまだ続いているようだった。
しかしそれ以上は聞きたくなくて、なんとか真っ直ぐに立ち上がると、ノロノロと歩き出そうとしたのだったが。

「もう良いだろ。俺は戻る」

突然、すぐ近くでドミニクの声がしたかと思うと、ほとんど同時に勢いよく扉が開いたのである。

あまりに急なことに、隠れる暇も無かった。
ところが、出てきたドミニクはキャンディスには目もくれずに、荒い足音を立てて、彼女とは反対側の廊下を歩いて行ってしまったのだった。

どうやら、ちょうど開いた扉の後ろに隠れる形になっていたおかげで、キャンディスには気が付かなかったらしい。

これにホッとして良いものかどうかは分からなかったが、とにかく今はドミニクと顔を合わせたくはなかったキャンディスにとっては、幸運だった。

体の力が抜けてしまって、今度こそ床にへたり込んでしまう。
倒れ込まないようにするのが精一杯の彼女は、次の瞬間、顔を覗き込まれて目を見開いた。

「聞いてたのか。
大丈夫……じゃ、ないよね?」

色々ありすぎて、すっかり忘れていた。
部屋の中にはセオドアもいたことを。

心配そうな顔の彼に「大丈夫です」と心にもない事を言って、なんとか立ちあがろうと腰を上げる。
が、いつもならば感じないはずのドレスの重みに足を取られ、よろけてしまった。

咄嗟にセオドアが抱きとめてくれた。
キャンディスは小さく礼を言って、体勢を立て直そうとしたのだったが、ぐいと背中に腕をまわされたせいで、彼の胸に頬を押し付けたまま動けなくなってしまった。

「セオドア様……?」
「大丈夫じゃないでしょ。
こうしていれば、顔、見えないからさ。
少し休んでから、戻ろう」

憧れのセオドアに抱きしめられているとか、婚約者以外の男性に触れられているとか、色々なことが頭に浮かんできたけれど。
我慢できずに頬を涙が伝い始めると、そんな考えは泡のように、はじけて消えてしまった。

セオドアはそれ以上何も言わなかった。
ただ優しく背中を撫でながら、キャンディスが落ち着くのを待ってくれた。

泣きやもう、泣きやまなきゃ、と焦れば焦るほど涙は止まらなくて。
ぐしょぐしょに濡れていくハンカチは、握りしめられすぎたせいで、いつしか見る影もなく皺だらけになってしまったが、そんなことを気にする余裕など無かった。
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