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「……最悪だわ」

思わず心の声が口から飛び出したが、咳をして誤魔化した。

目の前で楽しげに笑う男、ドミニク・ヘンズリー侯爵令息のことはキャンディスもよく知っていた。
なんたって彼は、事あるごとにキャンディスをからかってくる嫌なやつなのだ。

こんな奴とだけは結婚したくないとさえ思っていたのに、そんな男がいったいどうして、今この場にいるというのか。
すっかり頭が真っ白になっているキャンディスをニヤニヤ笑いを浮かべて眺めながら、ドミニクは言った。

「なんだよ、その顔は。
まさか相手は兄のセオドアだとでも思ったのか?
それは残念だったな」
「だ、だって……」

そう、キャンディスにも勘違いをした言い分があったのである。

ドミニクには既に婚約者がいるはずなのだ。
一方のセオドアについては、そういった話は聞いたことがない。
となれば、ヘンズリー侯爵令息と聞いて当然のようにセオドアを思い浮かべたとしても仕方がないことだろう。

キャンディスはまだ悪い夢を見ているとしか思えずに、上擦った声で訊ねた。

「ドミニク様には、すでに婚約者がいるはずではなかったですか……?」

それにドミニクはあっさりと答えたのである。

「婚約は破棄となった」

キャンディスは唖然としたまま、動けなくなってしまった。
いつもは、座っている時でもキチンと背筋を伸ばすよう気をつけているものの、もうそんな元気は無くなってしまって。
ぐったりと背もたれに寄りかかりながら、モゴモゴと呟いた。

「そ、そうでしたか。
それは残念なことで……」
「別に残念なんかではないさ。
好き合っていた女性でもなんでもない、ただの政略結婚の相手だったんだからな」
「そ、そうですか。
ちなみにセオドア様は……?
セオドア様はまだ婚約者が決まっていらっしゃらないと聞いていたのですが」
「ああ、セオドアなら、先日婚約が決まったところだ」
「……はあ、そうでしたか」

それでは、もうどうにもならないではないか。
本当にこのまま、ドミニクと婚約し、結婚しなければならないというのか。

キャンディスは笑顔を保つことすら出来ずに、あからさまにため息をついてしまった。
期待が大きすぎたが為に、現実とのあまりの落差に、いまだに心がついて来れないでいるのである。

そんなキャンディスを呆れたように眺めながら、ドミニクは肩をすくめた。

「なんと素直なやつだ。
貴族のくせに、思っていることが顔に出過ぎだぞ。
そんなんじゃ嫁の貰い手がないんじゃないか?」
「……そうですね、すみません」
「まあ安心するがいい。
この俺が貰ってやるんだからな。
だが結婚したら、もう少し可愛い表情を見せてくれよ?
毎日その仏頂面では見るに耐えん。
それに……」

意気揚々と話し続けるドミニクに、すっかりイライラしてきたキャンディスは、これ以上感情を抑えることが出来なかった。

もうどうにでもなれ。
そう思ったキャンディスは、拳を握って言い放ってやったのである。

「こんな女とは、ドミニク様も結婚したくはないでしょう?
でしたらこの婚約のお話は断って頂いて構いません!」
「なっ……」

呆気に取られたドミニクが、ぽっかりと口を開けたまま、間抜けな顔でこちらを見ている。
しかしそれには構わず、これ以上文句を言われないうちにと、キャンディスは素早く席を立った。

「これで結論は出ましたわね。
では、私はお先に失礼致します」

と早口に言い残し、答えを待つこともせずに、さっさと部屋を飛び出したのである。

もしかしたら、彼は何か言っていたのかもしれない。
しかし意味が分かるほどには聞こえなかったし、もとより足を止めるつもりなどなかった彼女は、無心で歩き続けた。

背後で扉が閉まる音が聞こえる。
その瞬間、頭に浮かんだのは両親の顔だ。

自分のせいで、我が家が助かる道は閉ざされてしまった。
きっと両親を悲しませてしまう。
そう思うと、思わず顔を歪ませた。

しかし今さらなんと言って謝ったところで、ドミニクは聞き入れようとはしないだろう。
それにキャンディス自身、彼に許しを請いたくはなかった。
あんなやつに頭を下げるくらいなら、平民のように汗水流して働いて、細々と暮らす方がマシだ。

「……きっと、なんとかなるわ」

キャンディスは自分に言い聞かせるように呟くと、背筋を正して、早足に歩き続けた。
ただまっすぐに前だけを向いて。
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