ハロルド王子の化けの皮

神楽ゆきな

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さて、ハロルドからの手紙を受け取ったナディアは、もうたっぷり15分もの間、封筒を握りしめたまま固まっていた。
そもそも彼に自分の居所を知らせていなかったというのに、どうしてここが分かったのだろう、と疑問はあったが、正直、今のナディアはそれどころではなかった。

まるで中身を透視でもするかのように、封さえ開けていない封筒を睨み続ける。
いつまでもきつく握りしめているせいで、封筒の端が徐々にシワだらけになってきていた。

「いったい……何が書いてあるのかしら。
一言も旅行のことを言わずに来てしまったことへの怒りの言葉?
それとも……ま、まさか、正式に婚約を破棄する為の……?」

考えれば考えるほど、嫌な予感しかしないものだから、とても開封する勇気など出てこない。

「はあ……開けるのが怖いわ」

ナディアは大きなため息をついて、ヒラヒラと手紙を振ったりなんかして気を紛らわせていたが、やがて

「悩んでいても仕方ないわ!
とにかく開けてみなきゃ!」

と自分を励ますように言うと、やっとの思いで手紙を開けた。
そして便箋を取り出しながら、ほんの少しだけ期待している自分がいるのにも気がついていた。

もしかしたら……早く帰るように催促する言葉が並んでいるかもしれない。
しかし、いや、まさか……。

ナディアは震える手で便箋を広げると、期待と不安の入り混じった顔で、ひと通り目を通して……ポツリと呟いた。

「え……それだけ?」

あまりにも色々と考えすぎていたせいだろうか。
あっという間に読み終わったところで、すっかり拍子抜けしてしまったのである。

なにしろそこに並んでいた言葉は、国の公式行事に出席するよう求める、ほんの短いもので。
ハロルドの感情が読み取れるものなど、何一つなかったのだから。

緊張して損した、というのが彼女がまず思ったことだった。
そして次には、胸の奥からじわじわと悲しみの波が押し寄せてきた。

「やっぱり……ハロルドにとって私は、ただ名ばかりの婚約者なんだわ」

そっと便箋を封筒に戻しながら、ナディアはぼんやりと窓の外を眺めた。
リンデン王国に来てから、ずっと天気のいい日が続いていたのに、今日は朝から分厚い雲に覆われていた。
雨こそ降って来ないものの、どうにもすっきりしない天気である。

見ているだけで気分までどんよりとしてきそうな眺めに目をやっていたナディアは、ブンブンと首を横に振った。
このまま落ち込んでいるわけにはいかなかった。

そして机に向かうと、ハロルドへ返事を書き始めた。
行事へ出席することを伝える手紙である。

ちょうど予定していた旅行の期間ももうすぐ終わる。
レナードへの返事もしなければならないし、なにより……ハロルドへの自分の気持ちを整理しなければならない。

ハロルドと離れ、リンデン王国でレナードと過ごすうちに、今後自分がどうしたいのか、ようやく心が決まったのである。

それが本当に正しい道なのかは分からなかったけれど。
自分が信じた道を、まっすぐ進んでいこうと心に誓ったのだ。

ハロルドにもレナードにも、自分の気持ちを正直に話そう。
ナディアは小さくひとつ頷くと、熱したロウを封筒に垂らして封をした。

そこへ遠慮がちにノックの音がした。

「失礼します。
今、少しよろしいですか?」

と顔を覗かせたのはレナードだった。
ナディアが頷くと、彼は扉を開けたまま戸口へ立った。
ナディアが立って行って彼の前に立つと、レナードの柔らかそうな髪がわずかに揺れた。

「そろそろ帰国の予定日になりますね」
「はい、レナード様には本当にお世話になりました。
とても楽しかったです」
「あ、いえ……それなら良かった……です」

レナードの言葉は、妙に歯切れが悪かった。
ナディアが不思議そうに首を傾げていると、彼は困ったように笑った。

「あ、いや……もしかしたら……このままここに残って下さる、なんて話になるかなと期待したものですから」
「え!?あ、そ、それは……」

ナディアがあまりに大きな声を出したものだから、レナードはすっかり笑い出してしまった。

「いやいや、良いんです。
これは僕が勝手に期待しただけですから!
僕への返事だって、ナディア様の好きなタイミングでしてくだされば……」
「そ、その事なんですが!」

ナディアが勢いよく言ったものだから、レナードの目は一瞬驚きに丸くなったが、すぐに、ふにゃりと細くなった。

愛おしい者を見つめる、優しい瞳。
このあたたかい眼差しを独占出来る人は、幸せ者に違いない。
ナディアはそんなことを思いながら、まっすぐに彼を見つめた。

「お返事をお待たせしてしまって、すみませんでした。
あの、私……」
「ナディア様」

レナードは不意に言葉を遮ると、恥ずかしそうに笑った。
それから廊下に誰もいないのを確認するように振り向いてから、まっすぐナディアに向き直った。

「返事を頂く前に、これだけは言わせてください。
あなたの返事がどんなものであっても……僕はあなたを愛しています。
いつだって味方です。
どんな時でも、ナディア様の幸せを祈っています。
どうか、忘れないで」

それから、素早く頬に唇を触れてきたものだから、ナディアは驚いて真っ赤になってしまった。

「レ、レナード様!?」
「はは……すみません。
手は出さないと言ったのに……我慢出来ませんでした」

レナードの顔は、ナディアと同じくらい真っ赤だった。
ナディアはうるさく騒ぎ立てる心臓に手を当てながら、早く静かにさせようと、きつく目を閉じた。

ドキドキが止まらない。
でも……とナディアは思う。
やはり、ハロルドに感じるドキドキとは、何かが違う。

何が、と聞かれても、そんなことは答えられそうにないけれど。
チクリと胸の奥が痛むのを感じながら、ナディアは躊躇いがちに口を開いた。

「あの……レナード様……」
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