ハロルド王子の化けの皮

神楽ゆきな

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ボックス席に入ると、ようやくナディアはひと息つくことができた。

まだ開演までには時間がある為、階下の座席は半分ほど空いているのが見える。

挨拶を交わす者やら、辺りを見回す者やら。
幕が開くまでの自由な時間を、思い思いに過ごしている。

ナディアは壁に掛かった鏡を覗き込みながら、乱れた髪を撫でつけていた。
チラリと、そこに映り込むハロルドの姿を見れば、どうやら熱心に階下を見下ろしているようだ。

「誰かお探しですか?」

と、一応聞いてみたが

「あ?ああ……」

思った通りと言うべきか、彼の返事は、とても返事とは言えないものだった。
肯定したのか否定したのかも分からないような、曖昧な声が漏れただけ、といったような感じだったのである。

そもそも彼の返事に期待などしていないナディアは、特段気にしてはいなかった。
こんなことで、いちいち目くじらを立てていては、彼の婚約者などとても務まらないと、分かってきていたのだ。

だから彼女は、鏡から目を離すことさえせずに、手を動かし続けていたのだったが。

いつの間に立ち上がったのだろう。
突然、背後にハロルドが立っているのに気がついて、ギョッとした。

思わず上げかけた悲鳴をなんとか飲み込んだものの、彼の行動は、ナディアの予想を遥かに超えていた。

素早く彼の腕が巻き付いてきたかと思うと、後ろから抱きしめられてしまったのである。

ジタバタともがいても、がっしりと捕まえられているせいで、動くことが出来ない。
なんとか動かすことのできる首をひねって、ハロルドを振り返ったのだったが、それがいけなかったのである。

彼は待ってましたとばかりにニヤリと笑うと、ぐっと顔を近づけてきたのだ。
それも、唇が触れ合わんばかりの距離まで。

思わず目を閉じたナディアだったが、不思議なことに、いつまで経っても、唇に当たるものはない。
そこで恐々目を開くと、やはり彼の顔はまだそこにあった。

「動くな」

吐息がかかるほどの距離で、ハロルドが囁く。


なんでこんな近くに!?


頭が真っ白になってしまったナディアは、文句を言うことさえ忘れて、硬直していたのだったが……

「ハロルド様ー!」

ノックの音とほとんど同時に扉が開いたのである。
誰も返事をしていないというのに、気にする様子もなく、1人の女性が笑顔で飛び込んできた。

確か、なんとか言う伯爵の娘だと、ナディアはすぐに気がついた。

伯爵令嬢は、ハロルドの肩越しにナディアと目が合うなり、笑顔のまま固まり、動かなくなってしまった。

その理由は、すぐに分かった。

ちょうど彼女に背を向けて立つハロルドが、ナディアを抱きしめながら顔を寄せているのである。
つまり、この伯爵令嬢から見れば、キスシーンにしか見えないに違いなかった。

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