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南攻北守
月下の美を眺める男女
しおりを挟む「八重桜の月。アレス軍との同盟によって西の脅威を取り除いた剣合国軍は、南の強敵たる覇攻軍へ意識を集中した。
義士城にて軍師・安楽武は、ナルマザラス攻略を最終目的とした大戦略を打ち出す。
ナイトの号令に従った剣合国軍は、手始めに楚丁州北部中央の南亜郡へ侵攻する。
ここに拠点となる出城を築き、アレス軍と連携して覇攻軍領を攻めとる算段であった。
その侵攻戦の総代将に選ばれた将軍は武神将・ファーリム。剣義将・バスナと方元を副将に据え、大軍を率いて保龍より南下した」
八重桜の月。紀州十ヶ郷郡 西ノ庄 河西邸
同盟締結の会談が終了し、親睦の為に開かれた宴も程々の賑わいを見せた後、アレス軍の面々は西ノ庄随一を誇る河西邸に一夜の滞在が決まっていた。
「……そんで、どーよニア。お前さんから見た、生の剣合国軍ってのは?」
用意された和室の窓際にて。開け放たれた窓の近くにもたれ掛かるラタオが、外に見える庭園を眺めながら不意に、副将兼参謀の女性・レティへ問い質す。
彼の視線先には、灯りに照らされた庭園を優雅に散歩する涼周とキャンディ、それと涼周に牽引される稔寧とエソドアの姿があった。
その中でも特に視線を向けている存在は、軍閥の壁をいとも容易く除いている涼周と、如何にも楽しそうな花を咲かせる幼子大将にほだされたエソドアだ。
「ぅんーー? また唐突だねぇー、いきなりどうしたのー?」
片や、レティは部屋の奥にある流し場に居た。
彼女はラタオが所望した肴を慣れた手付きで作りながら、間延びした声音で応答する。
昼間の軍人然とした凛々しい面影は何処にもなく、気品を感じさせる服装で正してはいるが、気配は別人のそれであった。
然し、上官のラタオには、そんな彼女の言葉遣いや雰囲気などを咎める様子が一切なく、何を今更とばかりに普通に続ける。
「なぁに、ちょっとばかし気になっただけよ。俺以上に視野の広いお前が見て、剣合国軍とそれを率いる大将がどんな感じに映ったのかをな」
「一言で言うには難しいね。大将という存在の偉大さはナイトが上だろうけど、純粋な軍事力ならボクらの方だって負けてないんだし」
「軍兵の数や質は抜きにして、個々の力の結集たるものを見た場合は?」
「要は家族的な繋がりか、組織的な繋がりか……って話でしょ? それならやっぱり、剣合国軍が上だろうね。うちの軍内には家族に匹敵する絆なんて無いんだし、それは大将達を見たら一目瞭然だよ。実の兄弟同士であっても、あれなんだからさーー」
「…………やっぱそうなるのな」
レティは遠慮なく言い切った。実の兄弟でありながら、一定の距離を置き合うアレス四兄弟の希薄な繋がりに、半ば呆れていたのだ。
そんな彼女の意見を聞いて、エソドアへ向けるラタオの視線が俄に強まった。
だが当のエソドアは、涼周と何かしら語り合っている様子で、ラタオの注視にまるで気付く素振りがない。
(……おそらく気付いていない。他者の気配に敏感が過ぎる、あの御仁が、まさかこれ程までに気を許すとはな。しかも夜の敵地でだ)
ラタオが気配を抑えているとは言え、かつて共に戦場を荒らした武人であり、未だに戦いの「気」を忘れていないエソドアが、向けられる気配に気付かぬなど有り得なかった。
(へっ……所作の一つ一つですら、緊張を忘れていやがる。あの御仁は骨でも抜かれたか?)
更に言えば、エソドアが無防備に歩く事自体が、ラタオには到底信じられなかったのだ。
「…………ニア、それとな……その靴やっぱりペコパコ言うぞ。何でそれ持ってきたよ」
そして彼が黙考する傍ら、酒で満たされた盃と出来たての肴を盆皿に乗せたレティが、パコッ! ペコッ! と独特な音を鳴らすスリッパで緊張を打ち消すが如く歩み寄ってきた。
ラタオはその音を聞くたびに気勢を削がれるが、今回は特に酷かった。
「ボクの宝物なんだから意地悪言わないでよ。それに、何か作ってくれって言ったのラタオでしょ? せっかく心を込めてお肴作ったの…………酷いよ……」
言って、レティは激しい傷心ぶりを見せる。
しゅん……として肩と視線を真っ直ぐに落とし、ポニーテールの蒼髪をしんなりとさせ、ラタオから二メートル程度離れた場所で、盆皿を持ったまま立ち止まってしまう。
その様はまるで、彼氏の期待に沿おうとしたのに拒まれた彼女の如くであった。
「いや悪かった! 無神経だった! 来るなって訳じゃねぇ! 寧ろドーン!! と突っ込んで来い!」
ラタオは慌てて視線を改めた。改めて、泣き面を作りかけているレティを激しく求めた。
「んっ! 分かればよろしい! はいこれ。ご注文の酒と肴ですっ!」
「お、おぅ……ありがとな……! 早速いただくわ」
謝罪が入るや否や、レティは一転して快活美姫を思わせる笑顔を浮かべた。
浮かべて、盆皿をラタオの足下にサッと置き、腰を折った状態でウインクするや、それと一緒に「どーぞどーぞ」と手で示す。
その変貌ぶりを前にして、ラタオは女の凄さを再認識。
同時に、錝将軍である自分が上手く操られている事に情けなさを覚えた。
「……ん? …………ふぅん……成る程ね、そういう意味か」
ラタオが盃を手にし、機嫌を良くしたレティが姿勢を正した時。
今度はレティが窓の外を見つめ、上官の心中を察した彼女は不意に呟く。
「良しか悪しか、エソドアさんは落ちたね」
その唐突な話題転換に、ラタオは動じる事なく答える。
盃片手に視線を庭園に向け、猫じゃらしをフリフリする涼周と、フリフリされて穏やかな白目を見せるエソドアの姿を捉えて。
「あぁ、既に落っこちてるな。確実に虜になってやがるぜ、あの御仁」
「……魅惑の幼子大将・涼周かぁ。魔性の魅力で戦場を変え、列国が恐れる陣容をたった数ヶ月で整えてしまった。……あの子に関しては英雄でありながら、ある種の化物だね。噂から判断していた優良株が、実物を見て確かだなって風にも思ったよ」
「そんであの幼子大将だがよ……どっかのお姫様と同じ雰囲気を放ってやがるんだ」
「ふふんっ! どっかのお姫様……ね。じゃじゃ馬の」
「おうよ、じゃじゃ馬のお姫様……な」
両目の端をやや吊り上げて笑うレティと、妙に感慨深く盃を傾けるラタオ。
二人だけの独特な空間が、そこにはあった。
「…………それにしてもまぁー、あの白髪美人、稔寧って言ったっけか? 本っ当に綺麗だよなー! 月夜に照らされた立ち姿が何と――モウイタイッ!?」
……のも束の間。涼周の傍にあって微笑んでいる稔寧を注視するべく、ラタオが窓から身を乗りだそうとしたところで、嫉妬したレティが背後より急襲した。
スリッパを脱いで素足の状態となり、小さく可愛いらしい足先でラタオの腰を襲ったのだ。
「ねぇラタオ、ボク蹴るよ……!」
「いだぁぁっ!? ちょっ、ニア!? そここここ腰ぃ……!? 腰よぉぅ……!?」
据わった目の色を浮かべ、苦しむラタオを見下しながら青筋を立てるレティ。
既に蹴っている、グリグリしている件についてだが、ラタオは早々に白旗を上げる。
お婿に行けなくなっちゃう! とでも言わんとしているのだろうか、はたまた神仏にすがってまで危機を脱したいのだろうか……とにかく、ラタオは手をバタバタとさせた。
それでも盃に残っている酒が一滴も溢れていないところに、錝将軍たる矜持が垣間見える。
「それとも、ボクに蹴られたいのかにゃあ?」
「蹴ってる蹴ってるって!? 待て! タンマ! ウェイトゥッ! お代官様ぁ!」
レティの猛襲は尚も止まらない。
彼女は虐めっ子の悪どい笑みを浮かべながら、ラタオの腰をグリグリし続ける。
それに対するラタオの懇願に対するレティの反論が、こちら。
「ボクはタンマって名前でもウェイトゥって名前でも、お代官様でもない。つまり慈悲なんてものもぉーーー存在しないっ!!」
「ムジヒィッ!?」
そこには、後ろから押さえ付けられる様に身動きのとれない涙目の巨漢と、半分未満の体格をした細身の女性将校が腰に手を当てながら右足を突き出す図が、出来上がっていた。
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